プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番をCDとコンサートで聴く

 関西フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会で、神尾真由子が、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾くというのがプログラムにあったので、聴きに行ってきました。恒例により、予習として、持っていたCDを一カ月間ほど聴き続けました。


Serge Prokofief『Violin Concerto 1&2』(Grammophon 447 758-2)
GIL SHAHAM(Vn)、ANDRÉ PREVIN指揮、London Symphony Orchestra

 プロコフィエフの音楽は、学生時代に交響曲第5番を聴き、奇想溢れる旋律美に魅せられて以来、20世紀の作曲家の中では、かなり好きな部類の中に入っています。と偉そうに書いても、『ロメオとジュリエット』(抜粋)、『古典交響曲』、『ピーターと狼』ぐらいしか聴いておらず、『三つのオレンジへの恋』は何となく聴いたことがあるようなないような。ドイツ音楽というよりは、フランス音楽的で、重力から解き放たれた自由気ままな感じがあり、何と言っても最大の魅力は、誰も考えつかないような奇妙なグロテスクな曲想にあると思います。

 このヴァイオリン協奏曲は、聴けば聴くほどするめをしがむように味の出る曲です。何度聞いても覚えられません。全体をとおしては、旋回音が特徴でしょうか。
第一楽章:聞こえないぐらいの静かな音で始まり、穏やかで霧の中を歩くような夢幻的な雰囲気が、次第に凝縮されて行き、2分半ばあたりから予兆的な雰囲気のフレーズが登場、プロコフィエフらしい奇矯なメロディが3分半ばまで続きます(音源引用)。その後、細かいリズムを刻み旋回するような楽想が顔を覗かせたり、いったん沈黙が訪れたりして、最後は冒頭のように静かに夢幻的に終わります。

第二楽章:この協奏曲のなかではいちばん好きな楽章です。冒頭からプロコフィエフ風軽やかで弾むようなテーマがあり、55秒あたりから、一転してグロテスクな引っかかりのある曲想となり(ここが真骨頂!)、また初めの軽快なリズムに戻ります。(音源引用)、その後、旋回音がずっと続くところが面白い(音源引用)。最後は冒頭のテーマに戻って終わります。

第三楽章:冒頭ファゴットがリズムを刻みながら始まり、第一楽章とよく似た夢幻的な雰囲気が漂います(音源引用)。奇妙でのびやかな魅力的なメロディも。いちばん不思議なのは、第一楽章とまったく同じ終わり方をすることです。聞き違いではないかと何度も聞き直しましたが、器械が壊れたかと思うぐらいに同じです。


 神尾真由子のヴァイオリンは、何度か聴きに行きましたが、いちばん最初は、2002年頃か、大阪リーガロイヤルホテルチャペルコンサートで、たしか「シャコンヌ」か「序奏とロンド・カプリチオーソ」かを聴いたような記憶がぼんやりとあります。日本の現役ヴァイオリニストのなかではもっとも推しの人です。今回の演奏で、さらにその確信が深まりました。

 プロコフィエフVn協奏曲第1番も、プロコフィエフの最高作ではないでしょうか。できれば、もう一度生演奏を聴いてみたい。第1楽章の最初の出だしは、CDではあまり聞こえませんでしたが、コンサートではとても明瞭でした。全体的に、やはりCDにくらべると音が艶やか繊細で、オーケストラの響きも立体的に聞こえました。曲の夢幻的な雰囲気がいっそう募ってきます。

 いかんせん、座席が最前列の右端から2番目で、コントラバスやチェロの奏者の背中が見えるだけ。指揮者の姿もほとんど見えず、神尾真由子に至ってはまったく見えませんでした。指揮者も神尾真由子も出入りするときの足がオーケストラ楽員の隙間から辛うじて見えただけ。でも音は近いだけに格段にリアルに聞こえます。

 神尾真由子のアンコール曲のシチェドリンはかっこいいの一言。まったく弓を使わず、ピツィカートとギターのような掻き鳴らし方だけで弾いていたようです(まったく見えなかったので、音だけで想像しての話)。題名が「バラライカ」なので頷けます。

 その他の曲では、ヴォーン・ウィリアムズ「揚げひばり」が東洋的な穏やかな雰囲気を感じたこと、伊藤康英「ぐるりよざ」がティンパニーとそれに続く大太鼓の音がド迫力、とにかく大音量で圧倒され、またパイプオルガンや合唱を交えた後期ロマン派風の壮大さが印象的、それに民族音楽的な雰囲気とリズム感が特徴でしょうか。
 が、いずれもプロコフィエフの奇想の前では、印象は薄い。