須賀敦子の初期作品二冊

  
須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』(文藝春秋 1992年)
須賀敦子『イタリアの詩人たち』(青土社 1998年)


 若松英輔の本に須賀敦子のことが出てきて、以前、『ミラノ霧の風景』と『ユルスナールの靴』を読んで感銘を受けたことを思い出したので、しばらく須賀敦子を読みたいと思います。まず比較的初期の作品と思われる二冊から。この二冊はそれぞれかなり毛色が違っています。『コルシア書店の仲間たち』が、人生の一時期に焦点を当てた回想記となっているのに対し、『イタリアの詩人たち』は、イタリア現代詩紹介という体裁の客観的な読み物となっている点です。

 『コルシア書店の仲間たち』を読み始めてすぐに、ここしばらく読んできた志村ふくみ、篠田桃紅の随筆と、同じ女性の手になるのに、違った印象をうけました。それは、単に詩的な言葉の美しさだけでなく、造型的なしっかりした感覚があることで、下手な小説を読むよりも人物の描写がうまく、物語があって味わい深いものがありました。

 20代の終わりから、30代いっぱいまでの著者のイタリア滞在期を中心に、そのころ親しかった仲間の一人一人を回想したもので、過去の追憶というのが、異国の地もあいまって、独特の情緒を醸し出しています。読んでいて、私の若い頃親しかった友人らを思い出し、その後の消息が分からなくなっている人もいて、今頃どうしてるかとか、同じような追憶の気持にいざなわれました。

 癖の強い人物がいろいろ登場してきます。著者が運営のお手伝いをすることになったコルシア書店はレジスタンスを経験したカトリック左派の活動家によって、ミラノの教会の一部を間借りして創設された書店で、中心メンバーは詩人で神父のダヴィデ(「銀の夜」で回想される)と彼の親友のカミッロの二人。それに創設期から居たのは、メンバーのなかで唯一ブルジョワ階級出のルチア(「ふつうの重荷」)、著者の夫となるペッピーノ、出版部を任されていたガッティ(「小さい妹」)。

 コルシア書店を取巻く人々は、次のような人たち。コルシア書店のパトロンの一人の裕福な婦人ツィア・テレーサ(「入口のそばの椅子」)、著者夫婦を応援してくれたフェデリーチ夫人(「夜の会話」)、コルシア書店の場所で生活困難者支援の活動をしていたカルラ(「不運」)、エトルリア人のアルバイトのミケーレ(「大通りの夜芝居」)、書店の常連ニコレッタ・シュポシュと母親のノラ夫人(「家族」)、書店の常連で失恋ばかりしているガブリエーレ(「女ともだち」)、書店の常連で小説を自費出版したパレスチナユダヤ人アシェル・ナフム(「オリーヴ林のなかの家」)など。

 どの登場人物にも、優れたところがある一方、どこか欠陥もあって、それが昂じている場合は病的なものや狂気を感じさせられたりしますが、みんな愛すべき存在として描かれています。なかで強烈な印象を残したのは、巨漢ダヴィデの存在感で、つねに人々の先頭に立ち、歩くときも風を切って歩き、グラッパを朝っぱらからぐいぐいやりながら詩を書き、教会の上長や警官と衝突したり、一時は教会によって書店から追い出されたり、やがて書店から離れて山の修道院に新しい共同体をつくったりと、エネルギッシュ。詩人として名声を得、カリスマ的な宗教リーダーとして世に迎えられますが、著者は、饒舌なだけで論理的な思考ができない人と、やや批判的です。この本の「あとがき」で、そのダヴィデの死を報告し追悼しているのにはしんみりしてしまいました。

 ダヴィデと一緒にコルシア書店を立ち上げたカミッロ、著者の夫であるペッピーノについては単独の章がなく、人物像が不鮮明なのが物足りないところです。(ペッピーノについては今読んでいる『トリエステの坂道』で描かれていました)。


 『イタリアの詩人』は、須賀敦子がまだ無名時代の1977年から79年にかけて、日本オリベッティの広報誌に連載したイタリア現代詩の紹介記事を死後にまとめたもの。たぶん彼女が個人誌や翻訳以外で初めて世に発表した文章ではないでしょうか。一連の須賀敦子の回想記とはまったく異なったテイストで、固さとぎこちなさが感じられます。中井久夫が「付録」で「珠玉の訳詩」と褒めていましたが、私には大半の詩が冗漫にしか思えなく、しかもすんなりとは入って来ませんでした。私の好みでない詩が多かったからだと思います。

 ウンベルト・サバジュゼッペ・ウンガレッティ、エウジェニオ・モンターレディーノ・カンパーナ、サルヴァトーレ・クワジーモドの5人が取り上げられていますが、詩としては、「夜」という散文詩とトラークルを思わせるような「秋の庭園」を書いているディーノ・カンパーナが私の好みで、次に、シュルレアリスムの胎動期のパリに居たという、比較的言葉が凝縮されているウンガレッティがよい。