須賀敦子の二冊・続き

  
須賀敦子『地図のない道』(新潮社 1999年)
須賀敦子『時のかけらたち』(青土社 1998年)


 この二冊は、須賀敦子の中期から後期にかけての作品。これまで読んできた物語の続篇のような世界が描かれつつも、語り口が少し変わって来ていて、『地図のない道』の「ザッテレの河岸で」や、「ユリイカ」連載の『時のかけらたち』の諸篇では、学術的なアプローチの要素が大きくなっているような気がしました。その理由を考えてみると、やはり自分の経験だけを書き続けるのはそのうち種が尽きてしまうのを見通して、もともとの彼女の学術趣味を生かす方向へシフトして行ったということではないでしょうか。


 『地図のない道』は、「地図のない道」という中篇と、「ザッテレの河岸で」という短篇で構成されています。「地図のない道」は、これまでのモザイク状構成とは違って、3部からなる各篇が、同一のテーマで統一されているかたちになっています。それは一つは、舞台となっているのがヴェネツィアで共通していることと、ヨーロッパにおけるユダヤ人の問題がたえず意識されていることです。

 「地図のない道」の第1部「その一 ゲットの広場」では、ローマのゲット探訪と、ミラノのコルシア書店の仲間だった一人のユダヤ人の家族、そしてヴェネツィアのゲット見学ツアーが語られ、第2部「その二 橋」では、むかし友人に誘われてヴェネツィアを訪れた際、その友人がどうやらユダヤ人らしく、ユダヤ人居住区に消えて行ったことが冒頭の話題として出てきて(この挿話は『時のかけらたち』の「ヴェネツィアの悲しみ」でも繰り返されていました)、第3部「その三 島」でも、ヴェネツィアの近くのリドという島が舞台になっていますが、そのリドに招待してくれたドイツ人友人の母方がユダヤ系という設定になっています。

 「地図のない道」は、ほとんどイタリアが舞台の話ですが、「その二 橋」だけは、ヴェネツィアで見た人形浄瑠璃の話から、ヴェネツィアの橋につられて、大阪の橋が出てきて、その流れで祖母の思い出につながり、そのまま須賀敦子の家族の話に知らぬ間に移行する形になっています。最後は、60代になった著者が、幼いころ祖母に連れられた天神祭四天王寺の思い出を辿って、天満宮から四天王寺、一心寺へと歩くという、一種の大阪案内のような文章になっていました。

 「ザッテレの河岸で」は、新しい境地を開くような作品。これまでのような体験に基づいた話ではなく、ブロツキーのヴェネツィア滞在記や、ヴェネツィアの高級娼婦の話など、学術的な探求を語るエッセイ。この作品と、『時のかけらたち』の「図書館の記憶」の書き方には、澁澤龍彦の学術エッセイを思わせるところがあります。


 『時のかけらたち』で特徴的なのは、これまであまり見られなかった文中での( )の多用など、文体が少し冗舌で奔放になっているところでしょうか。建築や美術、文学への言及と説明が多くなってきています。

 建築や都市については、パンテオンについて薀蓄を語る「リヴィアの夢」、スペイン広場の大階段とアラチェリの階段の比較考証を行なう「アラチェリの大階段」、石が都市の基盤を作ったと悟る「舗石を敷いた道」、ナポリの幹線道路に人生を感じる「スパッカ・ナポリ」、いちおう建築物が出てくるが『コルシア書店の仲間たち』の雰囲気が蘇っている「ガールの水道橋」。

 美術が語られるのは、ヴェネツィアの新河岸を描いた古い銅版画からヴェネツィアの成り立ちを考える「ヴェネツィアの悲しみ」、シエナ市庁舎のフレスコ画「フォリアーノのグイドリッチョ」論の「空の群青色」、一人のイタリア現代彫刻家の思い出を語る「ファッツィーニのアトリエ」。

 文芸の世界では、ナタリー・ギンズブルグの友人の文芸評論家邸訪問記「チェザレの家」、イタリアの図書館の歴史に貢献した本好きな男の話「図書館の記憶」、ハドリアヌス帝のラテン語の詩についての詩論を展開する「月と少女とアンドレア・ザンゾット」、一人のイタリア現代詩人についての紹介評論「サンドロ・ペンナのひそやかな詩と人生」。

 とくに最後の詩に関する二篇は、『イタリアの詩人たち』の連載と同じく「スパツィオ」に掲載したもので、その続篇に位置すると思われますが、『イタリアの詩人たち』には見られなかったような音韻論が展開されていて、ほとんど詩の専門的な解釈書のようになっていました。これがおそらく須賀敦子の研究の本来分野なのでしょう。

 何度も同じことを書きますが、須賀敦子の過去を思い出す力の凄さはたいしたものだと思います。ひょっとして、少しの事実をもとに架空のできごとを織りあげているのではと勘繰ったりしてしまいますが、例えば、もし「ガールの水道橋」がまったく架空の物語だとしたら、それはそれで、著者の想像力は凄いと思います。