吉武好孝『明治・大正の翻訳史』


吉武好孝『明治・大正の翻訳史』(研究社 1972年)


 タイトルどおり、明治から大正にかけて外国の小説、評論、詩の翻訳がどう行なわれていったかを、時系列に追ったものですが、それにとどまらず、日本語の文章が翻訳が進むに連れてどう変わっていったか、また小説や詩のあり方がどう変わっていったかを並行して語っているのが特徴です。

 著者が力説しているのは次のような点。
①翻訳というのは、ただ外国語を日本語に移し換えるという一つの技術にとどまるものではなく、それを通じて、人々の思想内容や感情のあり方にまで深く沁み込み、その方向を左右しないではおかないほどの文化的な創造の役割を果たしているものである。  

②言文一致については二つの異なった面があること。一つは福沢諭吉に代表されるもので、それまで日本の文章を支配していた支那修辞学を駆逐して、誰にでも分かりやすい文章をめざし、そのために漢字の数を制限し口語的な表現を導入した。もう一つは、二葉亭四迷に代表される言文一致で、難解になってもかまわないから、細かな気分の微妙な味わいを写し、主観的な情緒の妙味を筆先に再現できる文章をめざした。


 明治、大正へと翻訳がどう行なわれてきたかの大きな流れについては、だいたい次のとおり。
①明治以前は、オランダ語から訳された『ロビンソン・クルーソー』と、3、4種の翻訳が出ていたという『イソップ物語』があり、『イソップ物語』は教訓物語として仮名草子に大きな影響を及ぼしている。『ガリヴァー旅行記』や『ヴェニスの商人』も翻案されて日本の作品として出回っていたようだ。

②原文に忠実に訳そうとした初の試みが、中村敬宇の『西国立志編』(明治4年)であるが、文体は漢文直訳体に近いものであった。この文体は、森田思軒や井上勤へと受け継がれていった。

明治10年代には、英仏を中心に、社会小説、政治小説が多く訳されたが、直訳や逐字訳のものは少なく、抄訳だったり、物語の筋をうまく取った訳編ものだったり、原作の大意に訳者の想像したいい加減な内容をつけ加えたりで、多くの訳書の書名には読者の興味をそそる角書(つのがき)がつけられた。

④訳文の飛躍的な進歩は、明治21年二葉亭四迷訳『あひびき』の口語訳によってなし遂げられた。二葉亭は美妙や紅葉などよりもずっと我々の時代に近い作家である。

⑤さらに、独文畑の森鴎外と英文畑の坪内逍遥の二人は、文学理論を軸として、それぞれ創作と翻訳の両面で活躍し、両者の間で「理想か没理想か」という論争まで起こった。

明治30年代から末にかけては、急激に翻訳の数が多くなり、その影響下で、自然主義文学が根付くとともに、文学研究への意識も高まり、大正時代に入ると、さらに翻訳書と翻訳家の数は膨大となり、言語も英独仏以外の言語に広がって行った。


 日本語の文章がどう変わっていったかについては、次のような感じです。
①明治初年の文体は、大きく二つあり、一つは漢文直訳体であり、もう一つはそれに和文的要素を加えた和漢混淆体であるが、ほかに、日本的な文章の要素を多分に持つ雅文体が一部学者の間に行なわれていた。

②一方、民衆の間に俗文体が広がっていた。これは、西鶴等の浮世草子浄瑠璃や歌舞伎、恋川春町等の黄表紙山東京伝等の洒落本、為永春水等の人情本の会話のことばとして発達してきたもの。さらに、室鳩巣の『鳩翁道話』、蓮如上人の御文章、貝原益軒の「養生訓」など、道話や講義などを筆記した談話体が、別個に存在していた。

③広がってきた俗文体への反動として、大和田建樹や落合直文等を先頭とする新国文とか美文の復活運動が起こり、塩井雨江や武島羽衣等によって継承されたが、やがて言文一致運動が隆盛するとともに、その影をひそめてしまう。

福沢諭吉は、翻訳家ではないが、文体面での役割は大きく、蓮如上人の御文章にヒントを得た仮名まじりの平俗文体を創出し、また彼の生み出した外国語の訳語は、今日まで受け継がれている。

⑤口語訳の誕生は、二葉亭四迷訳『あひびき』(明治21年)が第一作であり、益田克徳訳『夜と朝』(明治22年)が第二作である。『夜と朝』は、年老いた両親から西洋の小説の話をしてくれと頼まれ、講談の口調にまねて口訳したのがきっかけ。

⑥言文一致運動を後押ししたものに、「かなの会」と「ローマ字会」の二つがあり、日本の文章が言と文の二つに分かれているのは野蛮の証拠だと機関紙で主張し、山田美妙らに影響を与えた。

 言文一致といっても、現在巷で流通している喋り言葉をそのまま文章中の地の文に使えば、不自然でとても読みにくいものになってしまうでしょう。著者も書いていますが、フランス語でも会話体と文章体が異なっており、言文一致運動というのは、喋り言葉と書き言葉を完全に一致させようとしたものではありません。ただ、文章体が硬直しないように、言葉の命である喋り言葉からたえず活力を注入しながら、口語文体というものを作って行くべきものと思います。

 翻訳史の点から言えば、どうやら、二葉亭四迷の『あひびき』において、現在の口語文体が確立したようです。当時の文学青年たちに新鮮な感動を与えた様子が書かれていました。また、山田美妙の文体に触れて、新感覚派に通じるモダンさがあるのに驚きました。欧文の直喩や隠喩、擬人法、倒置法、詠嘆法などを実験的に取り入れて新味を出そうとしたということです。

 前回読んだ島田謹二『翻譯文學』のなかで、鏡花は外国語が読めなかったのに外国小説の滋養をかなり取り込んでいることが指摘されていました。紅葉が、アラビヤンナイト小話の翻案「やまと昭君」、小話にヒントを得た「東西短慮の刃」、モリエールの翻案「夏小袖」(原作『守銭奴』)や「恋の病」、ボッカチオ「デカメロン」、ゾラなど、多数の外国文学を翻案して文体の研究をしていたということですから、弟子の鏡花がその影響を受けたということでしょう。