『近代文学鑑賞講座21 翻訳文学』


河盛好蔵編『近代文学鑑賞講座21 翻訳文学』(角川書店 1969年)


 これも翻訳文学についての概説書。後半に、代表的な翻訳論を抜粋のかたちで掲載しているのが特徴です。前半は、編者による序論と作品鑑賞となっており、作品鑑賞の部では、随筆、詩、小説、戯曲のジャンル別に、実際の翻訳作品の一部とその解説がありますが、問題は、その解説が翻訳についてより、作品そのものや作者についての解説になってしまっていることです。

 翻訳論のなかで、いちばん感心したのは、萩原朔太郎が詩の翻訳について語った文章。冒頭、芭蕉の「古池や・・・」の英訳についての小宮豊隆の論評を引用し、古池とpond、蛙とfrogのあいだのそれぞれの国民が抱いているイメージがあまりに違い過ぎるので、まったく詩趣が通じないという点を例に取りながら、詩の翻訳の難しさを訴え、人情をテーマにした句ではまだ翻訳の可能性があるとしています。結論として、読者に各々勝手な主観的幻想を与えればいいと割り切ってしまえば、訳詩が詩となっているかどうかが重要で、そのためには訳者が原作者以上か同等に詩人であることが条件で、詩の翻訳は翻案にならざるを得ないと言っています。

 次に、面白かったのは、中野好夫で、国家間の文化の高低差というものに着目し、低い国は高い国の文化を熱望して、それを取り入れようとするところに翻訳というものが発生するとし、古い時代のヨーロッパが聖書やギリシア・ローマ古典を翻訳した事例を紹介しています。そしてアーノルドの翻訳論を引用し、翻訳には二つの態度があり、一つは原作を踏み台として創作作品を読んでいるような体験を与えようというもので、それには原作を忠実になぞるのではなく、全体の調子、雰囲気を伝えるのがよいとし、二つ目の態度は、反対にできるだけ原作の特異性をそのまま再現しようとするものと書いたうえで、第一の態度も形を無視する訳には行かず、第二の態度もやはり全体の調子を整えてこそ名訳となると、両者の折衷を唱えています。トーマス・マーカートという人のラブレーの英訳が引用されていましたが、その無茶訳ぶりには驚きました。

 大山定一と吉川幸次郎の翻訳を巡っての論争は、前に読んだ『翻訳の日本語』でも、大きくスペースを割いて紹介されていましたが、先ほどのアーノルドの第一の態度と第二の態度の対立に近いものがありました。大山が文学青年風のロマン主義的な観念論を振り回すのに対して、吉川は大人の構えで翻訳はできるだけ原作に忠実であるべきだと諭す構図ですが、どっちもどっちという印象がありました。私の心情としては、大山に近いものがありますが、興奮のあまり話題が拡散して説得力が減じてしまっているのが残念です。

 野上豊一郎の「翻訳の態度」では、翻訳という言葉には二つの英語が該当し、Translationは内容の置き替で、Versionは形式の着せ替であるとしたうえで、どちらかというと、形式を大事にしているように見えましたが、表現が分かりにくく、「翻訳は、全体として、措辞・語法の点から見ても、文勢・格調の点から見ても、原作のそれ等と同質・同量のうつしとなっていなければならぬ」(p227)とか、「絢爛たる絵巻物を模写して原物と同じ色調が出せないならば、まちがった汚い安っぽい絵の具を施すよりは、いっそ白描のままにしておいた方が、まだしも安全」(p230)の「同質・同量のうつし」、「いっそ白描のままにして」とかの喩えがよく分かりませんでした。


 その他印象に残った論評としては、
河盛好蔵が、「序論」において、和訳辞書の重要性を指摘し、ほとんどの人は翻訳にあたって和訳辞書を参照しているはずで、その辞書の良否が翻訳文学の価値を左右するとし、良い辞書を作成するためには良い翻訳の事例が積み重なることだとしているところ。

②同じく河盛の文章で、翻訳を試みる動機が自国の文学に不足する何かをつけ加えたい点にあるなら、小宮豊隆が、「新しい思想や感情や情緒や気分が、活きて第三者に働きかけるためには、必ず新しい言葉を要求する」と書いているように、原文の表現法はできうるかぎりそのまま日本語に移すのが翻訳者としての正しい道であろうとしている箇所。→明治の漢語、現代のカタカナ語の氾濫をどう見るのだろうか。それに私としては自国の文学に何かをつけ加えたいとかは思わない。一読者として広く良質な作品を読みたいだけだ。

③野上豊一郎の「翻訳の態度」のなかで、翻訳者を困惑させる問題の一つとして、原作の時代の取扱い方を挙げているところ。例えば、ホメロスギリシア語を古体英語に訳した例があり、日本語に訳すとしたら古事記の文体がふさわしいのだろうが、それには何の言語学的根拠もない。結論としては、アーノルドが「われわれの持っている道具で働かねばならぬ」と言って、詩の翻訳の際、自国の詩格を用いて訳すことを奨励したように、古典作品であっても現代語で訳すべしとしている。

④巻末の「翻訳文学参考文献解題・目録」のなかで、阿部知二が「翻訳の本道は訳者が原作者の思想を理解することと、正しい日本語を使うこと。深き理解は原作の味わいを伝える」と書いていることが紹介されていたが、まさにそれに尽きると思う。

 その巻末の目録を見て、膨大な量に圧倒されました。作成した安藤美登里も書いていますが、翻訳文学が日本の近代文学に影響するところが大きかったことを物語っています。