奈良の寺と仏像についての本二冊

    
竹山道雄『古都遍歴―奈良』(新潮社 1954年)
矢内原伊作『古寺思索の旅』(時事通信社 1983年)


 前回に続いて、奈良の寺や仏像に関する本を読んでみました。書影(真ん中)には、『古都遍歴―奈良』の改版(1976年)も入れています。『古寺思索の旅』は、奈良の寺は半分ほどで、あとは京都の寺についてと、一般的な古寺の話題でしたが。竹山道雄はドイツ、矢内原伊作はフランス系の文学者と畑は違っても、前回読んだ和辻哲郎亀井勝一郎と似て、理屈っぽく、哲学者と言ったほうがふさわしいくらい自由に考えを繰り広げています。彼ら4人に共通するのは、身につけた西洋の思想を踏まえながら、専門外の建築や美術の世界で自らの感性にもとづいて論を展開しているところです。それが結構説得力があるのは、やはり考えがよく練られているからでしょう。美術界での定説というものを知らないので、何とも言えませんが、二人とも新しい視点を提供した部分があるように思います。

 例えば、『古都遍歴』で、竹山道雄は、過去の歴史家たちが、仏像の様式を某国由来の様式であると説明してそれで終わりとしていることに対し、「その某国の様式を解明するためには、さらにまたその源流となった某々国を追求しなくては」(p69)ならなくなるとし、次のような原理的な見方を提示しています。同じ抽象形態を描くために「つつむ線」と「流れる線」という二つの世界観点があり、大陸の各国でそれぞれの国の個性にそって発展し、互いに影響をしながら、さまざまの形のものとなって、一度に日本に入ってきたのだ。

 矢内原伊作は、先人たちの研究を土台にして考えを進めていますが、例えば、平安時代密教の山間寺院と、ヨーロッパの同時期の山間部のロマネスク寺院を比較して、そこに異邦的な要素と土着的な要素との混淆、超越的なものと人間的なものの併存という共通性があるのではと指摘するほか、貞観彫刻について多くの美術史家が精神性と肉体性の結合を指摘しながらその理由が解明できていないことに対し、時代精神という視点を提供し、官寺で培われていた乾漆像の明朗性に、密教伝来以前から山間部で苦行し木彫像崇拝をしていた民間仏教行者の精神性が加わったとしているところに、独自性が垣間見えるように思います。

 それ以外にも、それぞれに魅力的な視点が開陳されていました。
『古都遍歴』では、
①近代になって、個体化と合理化の結果、宗教とか民族の伝統といった精神の共同体が崩壊し、世界が一様となって様式も独創もなくなりつつあると嘆く一方、機械技術の決定的な勝利によって、人間の集団的画一化と構造の即物化がもたらされたことにより、逆に、新即物主義といったあたらしい精神の様式が誕生しつつある、と皮肉っぽく提示。

現代日本の精神の根本のあり方は、明治維新という時代区分から始まったのではなく、18世紀後半ごろに蘭学の科学を学んだ人たちが、人体解剖や透視画法を通してあたらしい世界観点を得て、それが社会に対する態度に影響を及ぼし、明治維新を推進する原動力となったのだから、すでにその頃に始まっていたのである。

③古代人の芸術意欲には抽象への衝動が見られるというヴォリンガーの理論を援用しながら、古代人は、人間の抽象的な合法則性を実現しようとして、その手段として、図形的に規則正しく安定のいい花を選び、さらにそれを幾何学的な抽象形をくりかえす唐草模様風の装飾として発達させていった、としている。

④飛鳥仏像においては、顔や手と光背や衣の作り方は別の発想に依っている。顔や手は、霊化された肉体として、直接に人の心に呼びかけて呪縛しようとしているのに反して、光背や衣などの物質的な部分は、抽象的な線として、それ自体の超絶的な絶対世界を形づくっている。

⑤古代人は、銅鐸の周辺にも怪奇な張り出しをつけ、太古の支那の銅器にはオコゼのような飾りをつけているのもあったりするが、怪奇なものの方がより大きなより根源的な深い世界感情を示すものである。


 『古寺思索の旅』では、次のような指摘でしょうか。
①古代日本の呪術的信仰、自然のなかの神との交感、あるいは飛鳥びとの鎮魂の祈りという系列と、法隆寺東大寺の造営に見られる大陸仏教への帰依の系列とは別個のものである。二つの異質な心情系列が一つに結びつき、大陸伝来の仏教がほんとうに日本人自身のものとなったのは奈良時代の末期からである。

 『古寺思索の旅』では、とくに論の進め方に妙味があります。
①「藤原隆信肖像画レンブラント肖像画・・・両者をともに傑作と認める以上、われわれはすでに『一つ』の美学をもっているのであって、この美学のなかで両者がどういう位置を占めるかが問題なのである」(p9)とか、「人は何故特に旅行に出たいと思うか・・・何故特に古社寺を訪れて古い美術に接したいと思うか」(p25)といった問いかけを設定してくるところ。

②「わたしは問題を示唆するにとどめて考察を読者に委ね・・・道を急がなければならない」(p24)とか、「ここでもやはり、わたしは問題を提供するにとどめ、思索を読者に委ねよう・・・室生寺を訪ねることが現代のわれわれにどういう意味をもっているかは、実際に訪ねたあとで反省しても遅くはあるまい」(p27)といった、読者と共にあるという書き方がいい。

③逆説的な表現が至る所に散見されました。「キリスト教・・・昇天のしるしが十字架・・・したがって十字架は、そこにいる人の記念ではなく、そこにいない人の記念なのだ」(p144)、「頼朝像・・・普通いわれているように写実性のゆえにすぐれているのではなく、写実性の欠如にもかかわらず美しい、とわたしはいいたい」(p129)、「移動可能の屏風、自由にあけたてのできる障子、しきるとともに人を招き入れるのれん、これらはすべて結界の空間である」(p197)、「揚簾戸(あげすど)も梅軒門も萱門も、すべては隔てつつ、見透しを与えているという構造をもち、狭さに豊かさを与えているのである。植込みにしても灯籠やつくばいにしても、すべてはさえぎりつつあらわにするといった性格をもっている」(p198)、「孤蓬庵・・・重要なのは、半ば閉ざされ、半ば開かれているこの窓が、人を一応自然から遮断して内観的精神に導きながら、その内観になお自然を導き入れる機能を果たしているということであろう」(p199)。

 また、和辻哲郎を意識していると思われるところがありました。
「われわれが動けば塔もまた動く。位置の相対的変化で、あたりまえのことだ、と人はいうだろうか。そうではない」(p59)は、和辻哲郎の「法隆寺五重塔・・・わたくしが一歩動きはじめると、この権衡や塔勢を形づくっている無数の形象が一斉に位置を換え、わたくしの眼との距離を更新しはじめるのである」(『古寺巡礼』p232)を、また「われわれは宗教によって救われるのではなく、美術によって救われるのである」(p120)という記述は、『古寺巡礼』の「われわれがある仏像の前で、心底から頭を下げたい心持ちになったり、慈悲の光に打たれてしみじみと涙ぐんだりしたとしても、それは恐らく仏教の精神を生かした美術の力にまいったのであって、宗教的に仏に帰依したというものではなかろう」(p37)を踏まえているのではないでしょうか。

 矢内原伊作による竹山道雄についての言及がありました。「竹山道雄氏の『京都の一級品』・・・は京都にある古い美術品を新鮮な眼で見直し、その美しさの秘密を分析しており、注目すべき試みだといわなければならない」(p10)と評価する一方、「竹山氏によれば精神的気魄を生命とするこれらの絵画は西欧美術とは根本的に異なるもので、われわれは西欧の絵画を見る場合とはまったく異なった観点からこれらの幽玄美術を見なければならないのである。しかし、果たしてそうであろうか」(p10)と疑義を呈し、自論の展開の出発点としていました。