島尾敏雄の二冊

  
島尾敏雄『その夏の今は・夢の中での日常』(講談社文庫 1972年)
島尾敏雄『島へ―自選短篇集』(潮出版社 1972年)


 「ユリイカ」の夢特集号で、清水徹加賀乙彦との対談の中で、島尾敏雄の夢の物語を紹介していたり、「伝統と現代」の夢特集で、岡田啓という人が「島尾敏雄と夢」という評論で、島尾敏雄の夢系列の作品を論じていたりしたので、興味が湧いて読んでみました。というのは、これまで夢日記である『記夢志』を除いて、小説作品では、『死の棘』しか読んだことがなかったからです。

 結論から言えば、夢系列の作品と思しき「夢の中の日常」、「鬼剥げ」、「島へ」、「孤島夢」、「アスファルトと蜘蛛の子ら」、「帰魂譚」はいずれも、期待していたほどではありませんでした。むしろ、「出発は遂に訪れず」を中心とした「出孤島記」、「その夏の今は」に見られる戦争末期沖縄の壮絶な現実の重みや、「原っぱ」の子どもの世界、「ロング・ロング・アゴウ」の青春小説的な抒情に感銘を受けました。岡田啓の評論の中にあった「摩天楼」や「石像歩き出す」はこの2冊には収録されてなかったので、機会があればまた読んでみたいと思います。

 島尾敏雄の文章は理知的な印象があり、事実を的確に伝えるためノンフィクションライターのような歯切れのよい簡潔な文章が基調になっています。しかし、抽象語を主語にするなど欧文脈の影響を受けたらしい不自然な文章が散見されたり(一例、「意識から解かれた自在な動きを、私はふしぎな気持で見たが、そこには苦渋がなく、感情が割れて停滞することもない」講談社文庫p80)、登場人物の心理の分析描写に深入りして迷いを感じさせるなど、一種の文学的気取りがあって、全体としてみるとだらだらとして饒舌な印象を受けます。明晰で論理的であろうとする意志が感じられますが、それで狂気を描いていると言えばいいでしょうか。先日読んだ百閒のような芒洋とした雰囲気のなかで語られる夢幻的小説とはまったく別の味わいでした。


 沖縄で終戦を迎える直前の体験を綴った作品は、この2冊では、「島の果て」(48年1月)、「アスファルトと蜘蛛の子ら」(49年7月)、「出孤島記」(49年11月)、「出発は遂に訪れず」(62年9月)、「その夏の今は」(67年8月)の順に発表されていて、やはり壮絶な体験で心に深い傷を負ったためか、当初は生々しく伝えることは避け、「島の果て」は童話風な物語仕立て、「アスファルトと蜘蛛の子ら」は創作の要素が強く、「出孤島記」は別として、事実をストレートに語ったと思われる「出発は遂に訪れず」、「その夏の今は」を書けるまでに、20年近くを要したということのようです。

 そこに描かれているのは、戦争末期の沖縄戦で、爆弾を積んだ小舟に乗って敵の船に体当たりをする特殊な部隊の将校として赴任した主人公の心の煩悶で、大学卒というだけで、年長の兵卒たちの上に立ちながら、士官学校出身でもなく、叩きあげの兵士でもない中途半端な自分に不安を感じ、かつ村の娘と密通していることに負い目を感じながら過ごす日々。突撃命令をいったん受けながらそれが立ち消えとなり、ついには終戦の宣言にいたるまで、死と生の間に宙ぶらりんとなった現実の不安定さ、他人に対する気遣いに揺れ動く心が描かれいて、「戦後文学の中で稀有の実存的深みをもっている」(講談社文庫p229)という解説の饗庭孝男の言葉に同感です。


 夢系列作品では、「帰魂譚」が比較的面白く、次のような展開。家に帰ろうとしていた主人公は、昔の知り合いから声をかけられ、気乗りがしないまま知らない町を通って、奥さんと娘の居る家に行くが、居心地が悪く辞去しようとしても、まだついて来た。逃げ出すと今度は追いかけて来たが、なぜ逃げるのか自分でも分からない。通りがかった自動車に飛び乗ると、グルだったらしく家に連れ戻されてしまう。また逃げようとすると、今度は奥さん、娘と三人がかりで押さえこんでくるのをかろうじて振り払い、電車に飛び乗った。が、軌道が一回りして家の方に戻ってくるのでは、どこで降りればいいのか、そのうち電車が軌道を飛び出して衝突してしまうのでは…と妄想に打ちひしがれてしまう。どうしようもなく閉塞感の漂うマゾヒスティックな話。

 ほかに夢系列作品では、美人の気違いの部屋を覗き見しようと誘われるという蠱惑的な冒頭から、女との熱烈な抱擁を経て、自分が鬼になったと感じて意味不明の言葉を発する結末の狂躁にいたる「鬼剥げ」が次点。


 妻と島へ旅するが、青年と相部屋になったり、夜、妻が塔へ行くと言って帰って来ず、探しに行くと男が居て妻が隠れん坊のように姿を見せる、という男の影がちらほらする「島へ」は、饗庭孝男の解説では夢系列に数えられていましたが、『島へ』の松岡俊吉の解説では、「死の棘」系列の作品に位置づけられていました。

 『死の棘』を高校のときに読んで、大人になるとこんな世界が待っているかもしれないと衝撃を受けました。その『死の棘』の先触れとなる作品が「帰巣者の憂鬱」で、夫婦げんかのあげく、妻や子が寝静まった隙に、夜の町へふらふらと彷徨い出る酒飲みの情けない主人公の心の動きが描かれていますが、妻の狂気の発作が不気味に描かれているほか、妻が夫の帰って来た姿を見るという幻視が語られていました。