:FRANZ HELLENS『LES MARÉES DE L’ESCAUT』(フランツ・エランス『エスコー川の潮』)


FRANZ HELLENS『LES MARÉES DE L’ESCAUT』(ALBIN MICHEL 1953年)


 エランスの作品を読むのはこれで3冊目。8つの短篇(うち3篇は連作になっている)が収められています。以前読んだ短篇集『FANTÔMES VIVANTS(幽霊のような人々)』も、実際に幽霊が登場する作品は少なく、純文学的味わいの作品が多かったですが、今回も、幻想小説とはっきり言えるのは次の3篇のみ。幽霊を見る「LA MORT EST UNE RÉCOMPENSE(死はご褒美)」、絵画幻想小説の「UN VOYANT(千里眼)」、都会の中に桃源郷を垣間見る「AU REPOS DE LA SANTÉ(「健康の休憩」にて)」。

 残りの5篇は普通の小説に少し怪しい翳がちらほらするという程度。例えば「LES MARÉES DE L’ESCAUT(エスコー川の潮)」では、エスコー川に触発された苦悩の顔がちらつく悪夢、「Le renard doré(金の狐)」では、嫉妬に狂って妄想に憑かれるグロテスクさ、「La fille d’Amérique(アメリカの娘)」では、穏やかな風景が禍々しさに急変する結末、「SEULE AVEC LA MALADIE(病気になってただ一人)」は死の影が漂うような怪しい雰囲気。

 どの作品にも共通して言えるのは、人物や風景の細部の描写が行き届いており、人物の会話や独白が豊かできめ細やかなことで、それらを通して、ひとつの物語が浮かび上がる仕組みになっていることです。ドラマを感じさせられます。物語のひとつひとつの襞に魅力があり、並の書き手ではないことが分かります。


 以下に各篇の概略を記します(いつもながらネタバレ注意)。      LES MARÉES DE L’ESCAUT(エスコー川の潮)
 城館に住む工場主の娘と、その庭師の息子との互いに告白しないままの恋。工場主が亡くなり娘の兄が後を継ぐが、この兄は先代と打って変わって自分勝手で横暴な性格。庭師の息子は進学を断念し、工場に勤めるかたわら独学で勉強するが、次第に社会主義理論に染まり、組合運動に熱中する。工場主は庭師の息子を解雇し、組合運動を力で弾圧、流血の惨事となる。頭に血が上った息子は・・・。若者の狂乱を、普段は滔々と流れるが嵐には怒涛と化すエスコー川と比して語る。


SOEURS ARDENTES(熱情ある姉妹)―姉妹のそれぞれの物語のオムニバス。
1.Une lettre sur le coeur(気になる手紙)
 何度か恋愛し一度は結婚までした60歳の女性が、早く亡くなった姉の子と一緒に暮らしているところへ、子の友人が同居することになった。歳は親子のように離れていたが、子どものように可愛がるうちに、いつしか愛し合うようになる。その友人に転勤命令が下り、彼女の心は煩悶する。そして引っ越した後一緒に住もうという手紙が来た。どう返事すればいいか。さらに苦しみは募る。


2.Le renard doré(金の狐)
 4姉妹の中でいちばん美人だったドラは、いちばん性格が悪かった。偽の恋文をちらつかせて夫を嫉妬させようとしたり、へそくりで狐の毛皮を買ったりしたが、呑み助の夫は、居酒屋で知り合ったカード仲間の男と妻が不倫のうえ自分を馬鹿にしていると思い込み、妻を斧で叩き殺す。夫の猜疑心がどんどん膨らんで激していく情景が巧みに描かれている。


3.La fille d’Amérique(アメリカの娘)
 5人の子のうち三番目の娘がアメリカで幸福な結婚をし、たくさんのお土産を手に帰ってきた。彼女は学校へも行かず家の手伝いをして育ち、長じて家出をしてからも親元への仕送りは絶やさなかった。母と娘が公園で昔のことを語るうちに、娘は父親に怖しい眼で睨まれたので家出を決意したと告白すると、母親は怖い眼をしたのは父が自殺未遂をした直後だったからで、ちょうどこの公園のあの枝にロープを垂らしてと告げる。穏やかな景色が一転する話の運び方は絶妙。


〇LA MORT EST UNE RÉCOMPENSE(死はご褒美)
 まだ若い息子を戦地に送った父親。不吉な夢や予兆を感じる。戦争が終わっても帰ってこず、同じ部隊の兵士から証言を得るが、情報がバラバラで確証が得られない。ずいぶん経ったある夜、物音がするので息子の部屋を覗くと、息子がベッドで寝ており、自分の亡き母親が見守っているを見る。息子のところに駆け寄ろうとすると、心臓の鼓動が激しくなり、母親の「お前にも休息が必要だよ」と言う声がして・・・。幽霊小説だが、息子を心配する主人公の細かな内面の感情とともに描いているので、荒唐無稽な感じはない。


◎UN VOYANT(千里眼
 勝手な命名を許してもらえるなら、泥酔芸術家小説かつ、絵画幻想小説の傑作である。いまは巨匠だが当時無名で朝から酔っぱらっている破滅型の天才画家に肖像画を描いてもらう。その画家は、また千里眼の持ち主で、手紙を読むなり差出人の似顔絵を描いたりする。が、出来上がった肖像画は似ても似つかないものだった。売り飛ばして15年経ったある日、偶然昔撮っていたその絵の写真を見ると・・・。彼は未来を見抜いていたのだ。


AU REPOS DE LA SANTÉ(「健康の休憩」にて)
 悪寒と耳鳴りがするなか渡し船で島に向かった主人公。船頭に病気だと言うと、病気は健康の休憩だと答える。行きも帰りも娘と一緒だった。船頭に私の店に来ると楽になるよと誘われ、夜訪ねた店は「健康の休憩」という名で、天国のように安らぎに満ちた空間だった。そこでまたあの娘と同席になり悦楽の時を過ごす。朝目覚めると自分の家にいてすっかり元気になっていた。娘も店も幻だったのか記憶が定かではない。迷妄のうちに終わるのがいい。


◎SEULE AVEC LA MALADIE(病気になってただ一人)
 乳がんで死を直前にした女性の一日。亡き夫の友人がお見舞いに来たのをきっかけに、病人は亡き夫の生涯を振り返り、結婚当初の束の間しかなかった幸せな思い出に耽る。死を覚悟した人間の孤独のなかのたんたんとした境地が描かれている。病人、見舞い人、作者の視点を交錯させ、独白や会話、室内の描写を巧みに配して、物語を立体的に浮かび上がらせている。