MONIQUE WATTEAU『LA COLÈRE VÉGÉTALE』(モニク・ワトー『植物の怒り』)

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MONIQUE WATTEAU『LA COLÈRE VÉGÉTALE―La révolte des Dieux Verts(緑の神の反乱)』(marabout 1973年)

 

 marabout叢書の一冊。マルセル・シュネデール『フランス幻想文学史』や「小説幻妖 ベルギー幻想派特集」の森茂太郎評論でも、取り上げられていた女流作家です。この作品とあといくつかを残しただけで筆を折り、画家に専念したということです。どんな絵か見てみたいものです。

 

 文章が平易だったこと、マレーや地中海の島という自然を背景にした出来事であること、主人公の眼で叙述しながら途中で妻の父の手記が紹介されたり妻の日記がしばらく続いたり変化があったことで、面白く読むことができました。樹々が動いたり、みるみる植物が繁茂する場面などは特撮を使わないといけませんが、映画にしてもよさそうなヴィジュアルがあります。

 

 およそのストーリーは次のようなものです。

主人公は、動物を捕獲して動物園に売る仕事をしている男で、マレーの森のなかの寺院で、西洋人の娘と出会う。彼女は布教に来たオランダ人の宣教師の娘で現地で生まれたが、5歳の時に母、父を相次いで亡くし、現地の乳母に育てられた。彼女は樹や植物と話すことができると言う。二人は一目見て恋に落ち、その場で永遠の愛を誓う。そのとき石像の頭が落ちてきて、主人公に当たりそうになる。他にも不思議な現象があり、主人公が寺院に向かう途中は植物が繁茂して道が塞がれていたのに、帰りは道が開けていた。

 

別の島で落ち合う約束をし、別れ際に、彼女から父親の手記を渡される。船のなかで読んでみると、父親は現地の自然に魅惑され布教も忘れてしまったようだ。約束の島に現われた彼女と小さな湖で結ばれる。ヨーロッパに向けて船出する前日、島の儀式に参加した彼女はみんなの前で花を髪に挿して踊る。その最中に遠くで大木が倒れる音がする。彼女は自分が大事にしていた樹が倒れた音だと言う。

 

パリで一緒に生活したものの、南国育ちの妻には合わず、二人で主人公の祖母が遺したレバント海の島にある家に向かう。主人公が先に家に入って家の補修をしている間、妻は外の小屋で待つが、しびれを切らして庭に入ったところ、植物が繁茂し襲いかかってくる妄想に囚われて倒れてしまう。介抱された妻は、家の中に樹々が入り込んで、根を生やし壁の隙間に入り込み、寝室では薔薇の樹が床を突き破って生えているのを見る。家は広く、一室だけ植物が入り込めていないガラスと石の部屋があった。

 

ある日、島のバーで飲んだ後、家に帰ると、一人の大男が家の前で待っていた。変わった建物だから中を見たいと言う。家に招じ入れて話すうちに、男の話術と親しみに魅せられ、招待客として迎えることにする。大男はガラスの部屋を選んだ。お休みの挨拶で、大男がマレー語を喋ったので二人はびっくりする。その後、妻は大男と親しみを増すうちに、大男が何か企んでいると見抜き、聞きだそうとするが、はぐらかされるだけだった。

 

徐々に家の中や家を取り巻く植物の成長が激しさを増してきて、寝室も薔薇の枝が繁茂し、窓は薔薇の花で覆われ、ベッドにいても薔薇の棘で足を傷つけるまでになった。庭では昆虫や小動物たちの死骸が次々に見つかった。そしてある日、子ども同然に可愛がっていたリス猿が行方不明になる。二人はパリへ戻ることを決意する。荷造りをしていると、商人が売りに来た貝の中にリス猿のものと思われる動物の眼玉が二つあった。

 

リス猿を探そうと二人で外に出て入り江まで辿る途中で、大地を揺るがしながら樹々が追いかけてきた。ほうほうの体で逃げ、二人で海の中に飛び込んだ。気がつくと、港近くの岩の上で倒れていた。数日後の夜、妻は自分で作った服を着て見せ音楽に合わせ二人で踊る。翌朝妻は死んでいた。主人公が呆然とするなか大男は怒りに任せて森に火を点けながら去って行く。樹々は黒焦げになった。妻を埋葬しようと穴を掘るが、焦土のなかに緑の芽がはや生えていた。主人公は陸地では妻を植物に奪われると、妻と一緒に海の中に沈むことを決意する。

 

 長くなってしまいましたが、大きな軸は主人公と妻との愛の物語で、彼女を恋している緑の神々が嫉妬して主人公と妻の愛を妨害し、挙句の果てに妻を殺してしまうという流れです。途中宇宙開闢の神の化身と思われる大男が登場して最後に緑の神々と対決するという構図があり、結局人間同士の愛が勝つという結末が導かれています。

 

 醍醐味としては、植物が意思を持ち人間を襲うという恐怖で、昔テレビ映画(「世にも不思議な物語」か?)で、セイタカアワダチソウみたいな草がものすごい勢いで繁茂する恐怖映画を見たことがありますが、それに近いものがありました。また東南アジアの舞台設定や動物たちが出てくるところなど、モーリス・マグル『虎奇縁』を思わせるところがありました。

        

 最後の場面で、海に沈んでいくところは、荒唐無稽としか言いようがありません。足に重い石を括りつけて海面に身を投じてから、3ページにもわたって、海の中の様子が延々と描写され独白が続くのは不自然ですし、そもそもその場面を誰が書いているかということが成り立ちません。幻想物語にも本当らしさというのは必要だと思います。