JEAN RICHEPIN『MIARKA―LA FILLE À L’OURSE』(ジャン・リシュパン『ミアルカ―熊に育てられた娘』)


JEAN RICHEPIN『MIARKA―LA FILLE À L’OURSE』(CHARPENTIER FASQUELLE 1948年)


 ひさしぶりに生田耕作旧蔵書を読みました。生田耕作旧蔵書は54冊所持していますが、読むのはこれで26冊目。350頁の長編です。読んだ印象は、同著者の短篇集『Le Coin des fous(狂気の縁)』や『Les morts bizarres(風変わりな死)』のような奇作ではありませんでした。一言でいえば、大衆小説的な物語で、ジプシーの習俗と生き方がテーマになったジプシー小説とも言えます。

 大衆小説的といっても、文章はいかにもアカデミー会員の文学者らしく詩や文飾を取り交ぜていますし、文章は平明ではあっても、辞書にも出てないような古臭い言葉(初版刊行は1883年)、それにジプシーの言葉やガスコーニュ方言が出てきて、読むのには難儀しました。簡単に内容を要約してみますと(ネタバレ注意)、

フランス北部の小さな町ティエラッシュが舞台で、そこに母と息子とその妻のジプシー一家が流れついてきた。白人女と結婚したため、王であった息子が部族を追われてしまったのだ。息子が死ぬと同時に、妻も女の子を産んですぐ死んでしまう。その子がミアルカ。残された祖母とミアルカは、飼い熊プーズリとともに、ジプシーを研究している町長の家の納屋に住まわせてもらい、ミアルカは雌熊プーズリの母乳で育つ。だが祖母の手癖が悪く、町の人々との葛藤が絶えなかった。ただ一人、知恵遅れの少年グリュードだけが懐いていた。一方、町長は、ジプシー一家が持っている秘伝の書を何とか読みたいと画策していた。そうするうちに10数年が経ち、ミアルカもグリュードも成長した。

グリュードには足の悪い姉がいて、弟がジプシーに唆されていると思い込み、ジプシーの祖母は魔女でみんなを毒殺しようとしていると町中に触れまわり、その証拠にと、ジプシー一家が一日遠出をしている間に、忍び込んで秘伝の書を盗み出す。結局本はまた祖母の手元に戻るが、危険を察知した祖母は、納屋に火を放ったあと、グリュードとともに歩いて町を逃げ出し、部族と合流すべく南をめざした。タロット占いでは、将来ミアルカが部族の王と結婚して女王になることが約束されていたから。

祖母が無理がたたって死にそうになっているところへ、豪雨が襲い掛かり、沼のようになった道で立ち往生してしまった。北へ向かうロバ車に乗った商人と出会い、とにかくどこか家があればいいと、瀕死の祖母を乗せてもらうが、祖母は途中で命が尽き、その場で埋葬することに。ミアルカは、ジプシー部族が数年に一度は、ティエラッシュ近くを通ることを思い出し、戻ることにする。ぬかるみでロバも進めなくなってしまったが、畜産業者の馬車と出会い、グリュードが屠殺人と力較べをして勝ち、乗せてもらうことができた。

グリュードの姉の家に滞在することにしたが、ミアルカはグリュードの自分への愛が友情を超えたものになっていることに気づき、ジプシーの女王になるには障害になると、愛を拒絶した。一方、姉は、弟が邪険に扱われているのを見て、ミアルカに憎しみを抱いて、町中に、ミアルカが帰ってきたこと、町長の納屋に火を点けたのは彼女で、祖母を殺し、グリュードと恋仲になっていると言い触らした。怒った町の人々は、グリュードの家の前に集まり、家に火を点けようとした。ミアルカを可愛がっていた町長の女中がグリュード側に立ち、町長も秘伝の書が燃やされるのを恐れてグリュード側についたため、その場は収まった。

町長は、いっそのことミアルカと結婚すれば、ジプシーの秘密が手に入ると、ミアルカのところへプレゼントを持って日参するようになり、ミアルカも甘く応えたので、グリュードは嫉妬する。ある日、町長が司祭らとともにミアルカの愛を確かめに訪れたとき、嫉妬に狂ったグリュードは、町長を水溜りに押し倒して殺し、その勢いでミアルカにも襲い掛かろうとした。熊はミアルカを守って、グリュードを噛み殺してしまった。

独りぼっちとなり、町の人々から疎んじられ、部族も永遠にやって来ないと悲観していたミアルカが家に閉じこもっていると、遠くからざわめきが聞こえ、500人ほどのジプシーの一群がティエラッシュの町に押し寄せて来た。町の人々は侵略されるのではと怯え、橋を挟んで一群と対峙した。今にも一触即発というところで、ミアルカが歩み寄り、ジプシーの馬車からも若い王が降り立ち、二人は抱きあう。王の方も占いで同じ予言を聞いていたのだった。ミアルカはジプシー部族とともに町を去っていく。


 結末は、何ともでき過ぎたお伽噺のような感じですが、全体的にもお伽噺や民話に見られるように、人物像が類型的で、意地悪な女や、知恵遅れだが純情な若者、間の抜けた町長、意気地のない保安官などが出てきます。とくに意地悪女の仕掛けがことごとく裏目に出て悲劇が生じるという構図は民話的。もうひとつお伽噺的なのは、知恵遅れの少年が鳥を調教して囀りを真似したり、熊のプーズリが人格を与えられて人間の赤ちゃんような可愛らしい仕草を見せたりするところです。このプーズリが熊のプーさんのヒントになったのかと思われるぐらい。途中で歌われる詩も、とても易しく、子ども向きのような気がします。

 この作品の魅力のひとつは、フランスの自然風景が美しく描かれているところにあります。シャンパーニュ地方の荒涼とした石灰質の大地と、ティエラッシュ辺りの肥沃な土地が対比して描かれていて、野原、小川、森、それに峡谷や山岳、沼地など変化に富んでいます。いろんな種類の鳥や花々の名前もちりばめられ、太陽や雲への賛歌も歌われます。もうひとつの特徴は、そうした自然とともに生きているジプシーへの愛が感じられるところです。ジプシー=詩=自然という見立てができ、また、口頭で伝え秘密にするようなジプシーの知のあり方と、文字を使い広める白人の知のあり方を対比しているようです。

 同じジプシー小説にメリメの「カルメン」があります。「カルメン」でも、密貿易、盗賊、殺人など、裏社会が描かれると同時に、ジプシーに関する薀蓄が語られたように、この小説でも、祖母の従兄弟殺し、窃盗、火付けなどの冷酷な一面が描かれるとともに、ジプシーの由来や生態に関する薀蓄が語られていました。