マイヤー=フェルスター『アルト=ハイデルベルク』

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マイヤー=フェルスター丸山匠訳『アルト=ハイデルベルク』(岩波文庫 1980年)

 

 実は1週間ほどドイツへ旅行に行っておりました。ハイデルベルクも行程に入れたので、出発前にこの本を読んでみました。学生のころ文庫本でよく見かけましたが、あれは角川文庫だったでしょうか。きれいなカバーがかかっていたような記憶もあります。てっきり小説だと思い込んでおりましたが、今回初めて読んでみて、これが劇作品だということを知りました。日本でも大正時代に松井須磨子主演で初演されて以降、ひと頃定番となっていた演目ということも知りました。

 

 絵にかいたような感傷的な青春物語で、解説で引用されている東山魁夷の言葉「『アルト=ハイデルベルク』が見せかけだけの青春劇であるとしても、私はそれを観て涙を流さずにはいられないだろう」のとおり、分かっていても巻末では涙を禁じえませんでした。

 

 読んでいて、お伽噺的な感じがするのは、まるで別世界の二人の恋であり、異類婚の要素があるからでしょうか。あるいは成就しなかったシンデレラ物語とも言えましょう。また、ネッカー河と古城という背景や、学生団たちが繰り広げる無礼講がゴブリンたちの跋扈を感じさせるからでしょうか。皇室と平民との恋では、男性が平民で女性が王女という逆パターンですが、「ローマの休日」というのがありました。

 

 ここで、讃美されているのは、結婚とは別の恋の形で、青春のひとときの思い出です。先日読んだジャン・ロランの『ムーア風別荘』で、リヴィティノフ夫人が言った「私はこのひとときのことは一生忘れないわ。青春の思い出よ」という言葉を思い出しました。

        

 解説で、幕構成や人物配置に見られるコントラストを際立たせる手法を指摘していましたが、まさにそのとおりで、暗く窮屈な宮廷の儀礼的生活と、明るい風光のなかでの自由奔放な酒乱の生活が対比されています。後者を憧れるのは私だけではないと思います。

 

 ついでに、本作品にも壊れた城として出てくるハイデルベルクの古城と、城から見たネッカー河とハイデルベルクの町の写真をアップしておきます。

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