Maurice Pons『La passion de Sébastien N.―Une histoire d’amour』(モーリス・ポンス『セバスチャン・Nの情熱―愛の物語』)

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Maurice Pons『La passion de Sébastien N.―Une histoire d’amour』(Denoël 1968年)


 久しぶりにモーリス・ポンスを読みます。ポンスを読むのは、これでたぶん翻訳1冊を含めて11冊目になります(このページの検索欄で「Maurice Pons」で検索してみてください)。ポンスの特徴は、奇想に溢れた設定、詳細な描写力、多面的立体的な構成、落ちをつけるようなユーモアなど、いろいろありますが、本作では、奇想とユーモアが顕著なように思います。グロテスク・ユーモア小説といったところでしょうか。

 第二次世界大戦前に生まれ、ドイツ軍占領下の幼少期を経て、33歳で交通事故死した一人の男の生涯の奇癖を追った物語。「passion」というのはどうやら幼児の口唇期の物に対する偏愛が大人になっても残ってしまった男の性癖のことを指しているようです。その奇人の太く短い生涯を追った物語で、一種の受難の歴史でもあります。

(以下ネタバレ注意)
 7人の姉の末っ子で、奇癖は、幼いころナットを鼻の穴に入れて遊んでいたら取れなくなったというところから始まります。医者で手術で血まみれになりながら取り出されたナットを大事に瓶に入れて舐めたり、またそっと鼻のなかに入れたりしますが、意地悪な姉から処分されてしまいます。その後の奇癖にまつわる事件や受難は次のとおり。

①やはり子どものころ冬の朝火事を窓から見ていて、窓枠に額と唇が凍りついて取れなくなり、消防士に水をかけてもらって事なきを得たが、皮が剥がれて血だらけになった事件。その後枠に貼りついていた自分の皮を食べる、「自分の身体だから問題ない」と。

②ドイツ軍の車にどんぐりを投げたら、兵士がものすごい勢いで降りて来て、耳をよじられ、地面に押しつけられて頬を叩かれた。あまりの恐怖に失禁する。

③祖父の家にお使いに行って酒や卵、バターなどを持ち帰ったが、台所の手前で落としてしまい、きれいにしようと、割れた卵や流れた酒を舐めているうちに、酔っぱらって瓶のかけらから一切合切口に放り込み、洗濯釜の蓋に頭を突っ込んでしまった。

④学校を中退しての工場見習い時代、女の子にもてるには自転車だと、郵便兵の棄てた自転車を手に入れたが、時代はスクーターに移っており、何年かしてようやくスクーターを手に入れると、もう自動車の時代になっていて、目当ての女の子は自動車に乗せられて去って行った。スクーターで後を追ううちに、スイカに当って溝にはまりスクーターは大破。主人公はタイヤに齧りつき、スイカの皮、種、砂利やタールまで口に入れる。

⑤長じてもとにかく女性にもてず、娼婦にまで逃げられる始末。遊園地のゴーカートで女の子の乗っている車にぶつけ、それをきっかけにして声をかけるという手口で、7人の女性と付き合うようになるが、ことごとく振られて終わる。

⑥車の運転は軍隊時代に覚えた。が乱暴なインストラクターのせいで大事故で入院するはめに。終戦後、会社勤めをして、中古のプジョー403を手に入れるが、バカンスですることもなく、フランス全土の県をアルファベット順にまわる。夜は車内で寝て、37891キロを走り、7520リットルのハイオクガソリン、ゴーロワーズを33箱消費した。

⑦最後に、市で見た中古のドイツ製小型オープンカーへの愛に目覚める。コルシカ人販売員の巧みな話術に翻弄されながらも、会社から前借までして手に入れ、三日三晩フランスを走り回るが、ドイツの観光バスにぶつけられ、その運転手にフロントガラスやヘッドライトをスパナで割られる羽目に。

 こうやって書いてみると、何かしらドイツへの怨念がくすぶっているのがよく分かりました。前半は、ナットを舐め、自分の皮膚を食べ、割れた卵、酒瓶の破片、タールや砂利、それに煙草のフィルターまで食べ、そんなこともあるかなと読んでいましたが、最後の段になって、車の鍵を飲み込んだのでギョッとしたのも束の間、車を全部食べてしまうというとんでもない話になり、しかも自らが車になって高速道路を走るというに至っては荒唐無稽の極致。怪作の一語に尽きます。

 文章は易しいですが、車の部品用語がたくさん出て来て辞書を引くのが大変。カー小説というジャンルがあるとすれば、車の各部の微細な描写や、車に対する愛情の激しさで、その筆頭に挙げられるべき作品と思います。