:ERCKMANN-CHATRIAN(エルクマン-シャトリアン) の2冊

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Erckmann-Chatrian『Le requiem du corbeau-Contes fantastiques TomeⅠ』(L’ARBRE VENGEUR 2008年)(エルクマン-シャトリアン『鴉のレクイエム―幻想物語集Ⅰ』)
ERCKMANN-CHATRIAN『HUGUES-LE-LOUP et autres contes fantastiques』(Marabout 1966年)(エルクマン-シャトリアン『狼狂ウーグ伯―幻想物語集』)


 両冊とも、2012年夏パリでの購入本。エルクマン-シャトリアンを読むのは昨年の『L’œil invisible(見えない眼)』(L’ARBRE VENGEUR)に続いてです(2013年12月12日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20131212/1386807794)。フランス書の欄で2冊同時に取り上げるのは初めてのことですが、2冊と言っても、2冊目の『HUGUES-LE-LOUP(狼狂ウーグ伯)』は上記L’ARBRE VENGEURの2冊と重複した作品がかなり多く、新規は序文と3篇だけだったので50ページほどでした。

 ひとことで言って、エルクマン-シャトリアンは、なんとも私の好みにあっています。現代のいろいろ考え抜かれた技巧的な幻想小説と比べると、のんびりとして素朴で古臭い小説であるには違いありませんが、好きです。典型的な浪漫派の作家、それもドイツ・浪漫派に近いと言えるでしょう。自然の風光、村の風景、人情の豊かさ、どこかしら漂うユーモアなど、物語がとても温かくふくよかな感じがします。語りが中心になっているからもあると思います。最近読んだ日本作家の小説との差をありありと感じさせられます。

 好きな要素としては、他にも酒や音楽をテーマとした作品が多いこと、狂気を感じさせる人物が登場すること、フランスにあってドイツを舞台とした異国憧憬的なところ。ドイツが舞台になっているのは、エルクマン、シャトリアンともにロレーヌ地方出身だからでしょう。

 フランス語に関して言うと、前回のジャン・ロランの『フィリベール館』に比べ文章がとても易しく感じられ、辞書なしでずっと読み進められるページもところどころありました。

 『Le requiem du corbeau』も『L’œil invisible』同様、Vincent Vanoliの挿絵がついていて、とても味があって面白い。また珍しい誤植があって、目次から一篇が脱落していました。

 『HUGUES-LE-LOUP』には、Hubert Juinによる序文がついていますが、やはり評論の文章は難しい。時代精神を軸にエルクマン-シャトリアンの位置づけをしているようですが、作品をもとに具体的に書いておらず、抽象的、思い込み、説明不足な点があって、非常に分かりにくいものでした。


 くだらない感想はさておき、各篇を簡単に紹介します。(ネタバレ注意)
『Le requiem du corbeau』の12編。
○Le requiem du corbeau(鴉のレクイエム)
 小さな村の古びた建物、変わり者で天性の音楽家の叔父、向かいに住んでいるこれまた風変わりな医者、村人から大事にされるカラスと、お膳立てが揃っている。どこかしらユーモアが漂う好篇。音楽家が霊感にうたれて作曲しようとすると、必ず妨害しに現われるカラスが悪魔的存在として描かれている。


○Le tisserand de la Steinbach(スタインバッハの織工)
元狩人の老人がなぜ山を棄てて織工になったかを語るが、それは恐ろしい殺人の懺悔の物語だった。浪漫派特有の森林の生活への讃歌が朗々と歌われている。もう一つの軸は、悪を行なう人間の不思議な情念だ。ある場面で、実際の景色を風景画のようだと感じる感覚が面白い。


○Les bohémiens(ジプシー)
こころがけの悪い者たちに対し、神が警告を発する教訓話。アダムの時代に生きるジプシーたちと自分たちの財産を守ろうとする村人たち、村人たちの強欲の度が過ぎたこともあり、神はジプシーに味方する。作者も自由人であるジプシーに味方しているようだ。


◎Le bourgmestre en bouteille(ワインになった村長)
酒の魔力がテーマ。語り手と友人がワインの旅の途中、友人が魔力を持ったワインを飲んだために、自分の人格の中に別の人格が同居する羽目に陥る。それは吝嗇な村長の魂で、友人は見知らぬ土地なのに、何もかも知っているのだった。村長は3年前に死んでいて、二人でその墓を訪れると、葡萄の木が墓から生えていた。この葡萄からできたワインを飲んだために怪現象が起ったのだった。友人は最後にある解決法を思いついて村長の魂を解き放つ。


○Le cabaliste Hans Weinland(カバリスト、ハンス・ヴァインラント)
一種のマッド・ドクターものか。哲学の教授がカバラにうちこんで、地球の裏側の人と魂をやり取りする術を得たが、インドのコレラをパリに持ち込んでしまう話。ダンディな教授が一転痩せさらばえ鬼気迫る乞食のような姿でカバラ学を語る場面が印象的。


L’inventeur(発明家)
これも一種のマッドドクターもの。聴遠響という遠くの音を大きく聞くことができる器械を発明した男の話。若干荒唐無稽。


La tresse noire(黒髪の束)
15年前の旧友と再会し、二人で音楽を演奏しながら過去の失恋に思いを馳せる。このアフリカ帰りの旧友が謎めいた雰囲気で、どうなるかと後半に期待したが尻切れトンボ。怪異は、不思議なリキュールを飲んだ途端黒髪が蛇のように体内に食い込み心臓に食らいつく幻覚のシーン。この一篇でも音楽と酒の魔力が彩りを添えている。


○L’araignée crabe(蟹蜘蛛)
村の参事員が語る温泉地にまつわる怪異譚。むかし白骨死体が出たと伝えられる温泉で、はじめは動物たちの骨、次に原形をとどめた動物の死体が出てきて誰も温泉に寄りつかなくなってしまう。そしてついに人間が犠牲に。その犯人は、温泉の熱気で人間の頭ほどの大きさに巨大化した蜘蛛だった。語りの魅力。


◎Le chant de la tonne(ワイン樽の歌)
酒精と音楽を結びつけた一篇。皆が陽気に騒ぐ居酒屋が舞台。「人間は単なる楽器でワインが歌わせてるんだ」と主張するマスターが、ワインの銘柄を変えると、それまで騒がしい歌をうたっていた客たちが急に静かな歌を歌いだす不思議が起る。明るく陽気な店内と暗く寒い夜、厳粛な地下のカーヴの対比が面白い。


Myrtille(ミルティル)
とりたてて怪異は起らないが、あえて言えば、ジプシーの血を受けた少女が山の中の風景を見て、この風景は見たことがあると本能的に懐かしむところか。その娘を森で拾って育てた父が、娘が森の中へ帰ってしまったのを嘆いて病床に伏せるが、最後に息を引き取る時窓辺にジプシーの女が通りすぎていくのが感動的。自然のなかの風光が美しい一篇。


○Le rêve de mon cousin Élof(いとこエロフの夢)
主人公には昔から憂鬱で暗いいとこがいた。それは彼が子どもの頃、殺人現場の生々しい夢を見たからだった。死者の怨念の魂が乗り移ったのか。二人で過去の事件簿を探しあてるが、いとこは事実とは違うと断言し真犯人を告げるのだった。導入部の素晴らしさ、語りの素晴らしさが、後半の荒唐無稽な話を本当らしく盛り上げている。


La voleuse d’enfants(児さらい女)
日頃冷静沈着な人間でも、狂気のような感情を抑えることができなくなる一瞬がある、という話。愛児をさらわれたことで気違いになった女や、犯人の女二人をめった切りにする皇軍隊長が登場する。血なまぐさくかつ悲劇のまま終わるのが他の短編と違うところ。


『HUGUES-LE-LOUP』の3編。
◎L’esquisse mystérieuse(奇妙なスケッチ)
肖像画を描きながら絵の勉強をしている貧乏書生が、ある夜霊感に憑かれて見たこともない場所のスケッチを描く。それが奇しくもある殺人現場を示しており、その絵を描いたということで犯人とみなされ牢獄に入れられてしまう。が牢獄の壁に再び霊感によって真犯人を描き、真犯人が逮捕されるという話。絵画の中に入って行く幻想譚の反対で、現実が絵となって顕現する物語。


○Messire Tempus(時間の神)
久しぶりに故郷に戻った主人公が、懇意の娘から、3人の求婚者が、大小様々の時計を持って馬に乗った男に睨まれ、片目、びっこ、せむしになってしまったと聞かされているところに、馬に乗ったその男が現われ睨みつけられた。とんだところに戻ってきたと、髪の毛をむしろうとしたら、髪の毛がなくなっていた。時の神は不幸をもたらす神でもあったのだ。


◎La reine des abeilles(蜜蜂の女王)
若い植物学者が大雨を避けるために立ち寄った山小屋に、生れた時から目の見えない少女がいた。だが彼女はあちこち飛び回る蜜蜂から、魂による伝達で自然のすがたが感得できる特異な能力の持主だった。蜂の目で見た自然の描写が美しく、山小屋にひっそりと住まう一家の穏やかな愛情が感じられる。心温まる一篇。