:MAURICE PONS『la maison des brasseurs』(モーリス・ポンス『ビール醸造業館』)

左カバー                                   
MAURICE PONS『la maison des brasseurs』(denoël 1978年)

 
 久しぶりに凄い小説を読んだという感じです。
 構成が複雑で入り組んだ構造になっています。長編小説ですが、短篇的趣向の十二の章からなり、それぞれが物語として独立しています。各章の最後にはその章のそれまでの物語が、一枚の絵の解説の形で再び繰り返されるというか、少し別の角度から復唱されます。というのは、主人公が絵描きの卵で、物語の中で、その物語の体験を絵にしていくからです。

 全編を通じて、主人公FrankがLouaneという神秘的な女性を追い求めていく探索の物語となっていますが、それと同時に、主人公がLouaneの大叔父である大画家de Wingの絵を目ざし、真を描くことはどういうことかと悩みながら絵の道を究めようとする一種の成長物語が低奏部にあります。

 そう言えば、主人公がLouaneとの間の子どもに執着するのも一つのキーとなっています。いま読んでいるポンスの自伝的要素の濃い『マドモワゼルB』によると、ポンスは独身主義者ということになっていますがその後結婚したのでしょうか。

 そして最後の章で、Frankが画いた絵と、大叔父de Wingが画いた絵が同じものであることが判明し、というよりde Wingの絵のとおりに、Louaneの手引きでFrankが動かされていたということが判明し、それらの絵の展覧会がde Wing回顧展の形で開催されるということで、過去の物語を総覧するような構造になっています。


 結局Louaneは亡霊か幻影か、あるいは妖精か、魔界の生きものだったに違いありません。
 すべての物語が夢の中で見るような出来事の連続になっており、絵画という虚構の空間と現実とが織り交ざった物語となっています。最初の章では、加えて劇場という虚構の空間も交錯して、複雑な時空が出現しています。劇場や公園が出てきたり、小路を彷徨うあたりはブリヨン的テイストも感じられます。

 その夢のような世界に入って行く方法は、主人公が画布の上に幻想の光景を描くというやり方で行われます。その時必ず出てくるのが筆のきしむ音。幻想シーンに入って行く叙述の方法としては、夢を見るとか、人の体験を聞くとか、手記を読むとか、突然扉を開けると現われるとか、あるいは現実に徐々に幻想的要素が闖入して来るとかいろんなやり方がありますが、こんな方法もあったんですね。

 ただ夢物語なので書き方がいい加減ということはなく、描写はとてもしっかりしています。細部の想像力の働きがこの作品の魅力を形作っているとも言えます。例えば、「Les Experts blancs(白い鑑定家)」で、凍った河の上の遠くの方をLouanが手を後ろに廻し身を前にかがめながら滑って行くのが見える場面、「Géothermie(地熱研究)」で、遠くから見ていると砂浜を歩く聖列が砂の上に頭だけ見えていたが、そこへ波が押し寄せて松明もろとも水の中に沈んでしまう場面など。


 この小説は、絵を語る物語、あるいは逆に物語が絵になるという一つのジャンルとして考えられます。他にそういった物語は何かなかったか、ありそうでなかなか思い出せません。絵がテーマになっているのは『ジェニーの肖像』や『ドリアン・グレイの肖像』、ユルスナールの『東方奇譚』の中の一篇などありますが、どれも少し違うような気がします。

 物語を絵画としてまた語るという試みはとても面白いと思います。これらの絵を本当に絵にする挿絵画家は出てこないものでしょうか。言葉だから可能な絵画であり、実際には描けないものだと思いますが。例えばこんな表現を絵にできるでしょうか。「バーのカウンターに落ちる瞬間のコンタクトレンズ2枚が絵の構成の中心にあり、それが列車の通り過ぎてゆく窓に貼りついていて、その窓は泡立つ白い飲み物に蔽われて、その色がこの絵全体の基調になっている。レンズの片方には、その列車が衝突してひっくり返った霊柩車とばらばらになった馬の死体が見え、巨漢が7キロ半の赤い肉を食べて・・・と延々と続く。」(「Le Chemin de merveille(驚異の道)」)


 ひとつ欠陥があるとすれば、例えば「La Salière de cristal(クリスタルの塩入れ)」で、これまでの物語で着ていたLouaneの衣装が次々現れるくだりなど、幻想小説によくありがちな、あり得ないことが次々と都合よく起こるところで、リアリティの欠如を感じさせ物語の迫真性を欠いてしまっているところでしょうか。

 上と矛盾するようですが、章の中では「La Salière de cristal(クリスタルの塩入れ)」がもっとも印象深く感じられました。川の中島に建つ古びた館の中の迷路を彷徨うシーン、首に包帯を巻いたLouaneが出てきてFrankを心配させますが最後に首の包帯は冗談という落ち、クリスタルの塩入れの存在感など。箪笥の中から急に年老いた従僕が出てきてクロスワードパズルの解を尋ねるシーンも意表をついて面白い。

 「Les Oiseaux piailleurs(囀る小鳥たち)」の学生の騒乱では、当時の学生運動の影響がありありとうかがえます。

 日本人の画家が登場したり、Fumoという相撲取りを思わせる巨漢が漢字らしき文字をハンカチに書きつけるシーンがあったりします。『マドモワゼルB』によるとポンスは旅行が好きなようで、ひょっとすると日本に来たことがあるのかもしれません。