Maurice Pons『Le passager de la nuit』(モーリス・ポンス『夜の同乗者』)

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Maurice Pons『Le passager de la nuit』(Points 2017年)


 引き続き、モーリス・ポンスを読みました。1959年に書かれた初期の作品です。前回読んだ『La passion de Sébastien N.』(1968年)に比べて、こちらは一転してまっとうな小説。共通点は、車が主人公のような存在感を示しているところで、ボンネットの先端にクロムの飾りのついたプジョー403という車が登場します。

 全篇、パリからブルゴーニュ地方ジュラ県のモレというところまでのドライブが描かれていて、もし映画ならこういうのはロード・ムービーというのでしょうか。いろんな地名や道路名が出てきたり、猛スピードで車を追い越したり、坂道をクラッチを切って滑走するので、車の好きな人にはたまらないと思われます。

 運転しているのに、レストランで二人でワインを一本飲んで、さらにバーでウィスキーのダブルを飲んで、しかもバーから出た直後警察官と話しをして、双方とも飲酒運転の意識がまったくないのは当時の(今でも?)フランスならではでしょうか。

 この本の最初に、ヴァレリ・ゼナティという作家と編集者による前書き、そしてポンス自身が1991年再版時に寄せた序文「もう30年も前!」が掲載されていますが、それらからうかがえるこの作品の出版にまつわるエピソードが胸を打ちます。初版(1959年)はアルジェリア戦争真っ只中に出版されていますが、どうやらポンスはFLNアルジェリア民族解放戦線)の一員あるいはシンパで、仲間たちが拷問にあったり、死刑になったりするなか、出版社のルネ・ジュリアーから、「小説の形にすれば逮捕されない」と言われて書いたのがこの作品ということです。

 この小説が当時監獄に居た仲間のあいだで読まれたのがいちばん嬉しかったとポンスは述懐し、「30年前にフランス軍の捕虜となっていたが、その後アルジェリア共和国の初代大統領になったアーメッド・ベン・ベラとバルセロナの空港で出会った・・・彼が監獄でこの本を読んだと言ってくれたことを誇りに思う」(p9)と書いていました。作品中にも「ベン・ベラ」の名が出てきたので、ベン・ベラは獄中で嬉しかったに違いありません。

 今回の版(2017年)のいきさつも胸を打ちました。ポンス作品に魅入られた女性編集者が、過去の絶版となっている作品を復刊しようとして高齢のポンスと手紙をやりとりしていて、急に返事が来なくなったと思ったら訃報が出ていたと書いています。同時に妹さんからの手紙でポンスが再刊を喜んでいたと知り、それが死者からのメッセージのように思えて、出版を急いだということです。


 この作品は、アルジェリア独立戦争の現場を描いたものでもなく、パリのメンバーの暗闘を描いたものでもありません。主人公の作家が、映画関係の知り合いに頼まれて、見知らぬ男を夕刻にパリで拾い、ブルゴーニュ地方のシャンパニョルという町まで、自分の車に乗せるというもので、主人公はFLNでもなくシンパでもない単なるフランス人。

(以下ネタバレ注意)
ただ、その同乗者は、陰気なアルジェリア人で額に傷があり、大事そうに鞄を抱え、「何か起こっても、俺のことは知らないと言うんだ。道で拾っただけとね」とぼそりと言い、パリからどれくらい離れたかをたえず気にしている。カフェでも人目につかないような席を選んで座るが、そのカフェの新聞でその日の朝、パリでテロ事件が起こり大臣が暗殺されたことを知る。途中警察の検問が見えると、男はすぐさま鞄を後部座席に投げる。

どうやら、同乗者は解放戦線の主要メンバーらしく、パリのテロ事件にかかわって逃亡しているという気配が濃厚に立ち込めてくる。主人公はたいへんな奴を乗せてしまったと後悔する。途中で給油したガソリンスタンドで、アルジェリア人と思しき店員から憎悪の表情で睨まれ、立ち寄ったレストランでは、客らから冷たい視線を浴びる。同乗者の説明では、アルジェリア人からすれば同国人が戦争中のフランス人とスポーツカーに乗っているのが憎悪の対象で、またフランス人からすればアルジェリア人はみんな敵に見えるという。

路上で警察の尋問を受け、無事に切り抜けた後、ほっとしたのか、同乗者は、テロ事件をきっかけに、仲間が散り散りに逃げていて、鞄の中身は4400万フランだと告げ、フランス国内での資金の提供ルートや協力者の厖大な網の目を教えてくれる。そして自分は医学生だったが、アルジェリアでは医者はゲリラ軍の診療を拒否し薬局も薬や包帯を売らないので、負傷者の治療を手伝っているうちにFLNに引きずり込まれたと告白し、麻酔や水なしで手術をする地獄のような体験を話す。主人公は自分も共犯者になるのかと悪夢を見ているような気がして来る。

 ところが、結末になって雰囲気ががらりと変わります。シャンパニョルに到着したあと、親切心からその先目的地だという田舎村まで送っていく途中、額の傷は幼いころロバに蹴られた傷だと分かり、最後に行きついた先は司祭館で、如雨露を手にした園芸姿の牧師が迎えてくれ、お茶を勧められたりします。断って帰る際、同乗者から「アドリアン叔父さんは元気だった」と主人公の映画関係の知り合いへの言伝を頼まれるなど、物事が長閑で平凡な方向に収束していきます。結局、本当のところ何だったのか、同乗者が長旅の疲れを紛らわそうとした架空の話なのか、主人公の過剰な想像力のなせる業か分からないままに終わります。このもやもやとした感じは、いかにもフランス的終わり方。