:モーリス・ポンス中村知生訳『マドモワゼルB』

                                   
モーリス・ポンス中村知生訳『マドモワゼルB』(早川書房 1976年)
                                   
 先日読んだ『LA MAISON DES BRASSEURS(ビール醸造業館)』の印象が凄く、いまだにいくつかの情景がよみがえってきます。昔買って置いてあったこの本を書棚から引っ張り出して読んでみましたが、若干期待外れ。でも、並みの推理小説ははるかに凌駕しています。こちらの方が早い時期の著作のようです。


 悪魔的な存在を描く幻想小説ですが、推理小説的要素が大きい。物語は、周りからポンスさんと呼ばれる作者の分身と思しき主人公が、パリから250キロ離れた川岸に住んでいるという設定で、そのまわりで、怪死事件が相次ぎます。川から溺死体が引き上げられるシーンで始まり、村の医師が謎の失踪をしていたことが振り返られ(死んでいるのかもしれない)、ついで森で男が首を吊り(後で男の正体は溺死体の男から告解を聴いた司祭だったことが判明)、そしてついには主人公の息子がオートバイで激突死し、最後は主人公が自殺的な行動を起こすところで終わります。

 描写がしっかりしており、読み進むにつれて、パリから離れた田舎の、密な人間関係のなかで暮らしている生活風景が立ちあがってきますし、そのなかで、徐々にマドモワゼルBの妖しい存在感が増してくるのは、小説としてよく出来ていると思います。結末に至る伏線が周到に張られていて、最後の一点目ざして収斂して行く感じがあります。

 川縁の小屋に一人住むマドモワゼルBが魔女的な能力を持ち、接触した男を次々に死に追いやって行く悪魔的存在であることを、本人の立ち居振る舞いや、母なし子という来歴、村の人々の反応などで巧みに匂わせながら物語は進んでいきますが、結局最後の決め手のところで、なぜ接触した男が死んで行くのか直接的な因果関係が明らかにされず、本当に彼女がかかわっているかどうか分からないまま、尻切れトンボになった印象があります。それがフランス的曖昧の美学かも知れませんが。

 主人公が、死に向かって猛スピードで走って行ったのは、単に息子の事故死によって、自暴自棄になっただけという解釈ができるからです(周りの人たちもそう考えている)。息子の死後、マドモワゼルBの住居が燃え尽きてしまい、マドモワゼルBの存在感がそこで希薄になってしまったことも、尻切れトンボの原因のひとつと考えられます。

 また決定的に叙述のおかしなところがあります。一人称で語られ、未来のある時点から振り返る形で話が進められますが、結末の部分は、その本人が猛スピードで死に向かって走って行く車中のモノローグになっています。その時点では誰がそれを書いているのか(そんな状態で書いている暇はあるのか)という疑問が出てきます。もちろん読んでいる最中はそんなことは考えませんが、読み終わってよく考えてみるとおかしな感じがしてきます。