アリスン・アトリー『時の旅人』

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アリスン・アトリー小野章訳『時の旅人』(評論社 1988年)


 前回報告の近代的なSFのあとは、古風な味わいのタイムトラベル・ファンタジーです。アメリカSFと好対照の古色蒼然としたイギリスの伝統を感じさせられました。1939年に刊行されたと言いますから、かなり初期のタイムトラベルものでしょう。ジュニア小説のジャンルに属するようですが、歴史上の込み入った出来事を扱っていて、子どもには難しいような物語です。

 タイムトラベルの装いは、物語を進めるための便宜的な手段で、眼目は、田舎暮らしと古きよき時代への讃歌と言えます。三つの世界が描かれていて、ひとつはに主人公が育っているロンドンのテームズ川沿いの家、ひとつは主人公が気分転換に預けられた母方の実家で田舎の地主の古いお屋敷、もうひとつが主人公がその田舎のお屋敷でタイムスリップする16世紀の貴族の暮らし。ほとんどが古いお屋敷と田舎の自然の描写に費やされています。イギリスの田舎のサッカーズ農園のティッシュおばさんの家で暮らしてみたいと思わせる心癒される描写。

 産業革命が早かったイギリスであっても、現代に設定されている1939年当時の田舎は、350年前とそんなに変わっていないようです。駅に迎えに来る大叔父さんは馬車に乗ってやってきますし、テレビや電話も出てきません。牛小屋や馬の厩舎があったり、下男や女中らがいるのも、みんなで集まって酒を飲むクリスマスのお祝いの雰囲気もよく似ています。だから2つの世界がうまくタイムスリップで繋がるわけです。それぞれの世界のなかで、現代のティッシーおばさんと16世紀のシスリーおばさんが同じような役割を担っています。

 16世紀の建物の一部や礼拝堂や庭が現代(1939年)にもそのまま残っていることも、繋がりを用意にしています。ほかに16世紀と現代を繋ぐ物で、物語のなかで重要な役割をするものが二つ出てきました。ひとつは、スコットランド女王メアリーの肖像が入った金のロケットで、16世紀の世界で紛失したものが、現代の礼拝堂の床の穴に挟まっているのを見つけます。もうひとつは、現代のティッシーおばさんの針箱に入っていた糸巻き人形で、これは16世紀の世界に没入した際、ジプシーの拾われ子が主人公のために木彫りで作った人形だったのです。

 主人公は、物語の最初は12歳ぐらいで最後は17歳ぐらいになる娘で、想像力が豊かで透視能力を先祖から受け継いでいるという設定です。昔の服装を着た人を幻視して、初めは幽霊だと思いますが、建物などまわりの景色も一緒に古くなっているので、昔の時代にタイムスリップしたことを知ります。例えば、彼女が階段に座っていたりとか、廊下に出たときとか何でもないある一瞬に、夢を見たかのように過去の世界が現われ、そこで長い時間を過ごしてまた元に戻ると、それが時計の振り子の一振りのあいだに起こっていることに気づきます。

 向う側の世界では、現われたり居なくなったりする不思議な娘というので、女中の立場なのに屋敷の殿様や奥方たちと対等に話したり、弟君からは恋に近い信頼を得たりしますが、親戚の一人から魔女の烙印を押され地下坑に閉じ込められそうになります。過去のそのお屋敷は、スコットランド女王メアリーへの忠誠を誓い、エリザベス女王への反逆罪で死刑になったアントニー・バビントン卿のお屋敷で、主人公は悲劇に終わる結末を知っているだけに、何とかしたいという気持ちに突き動かされますが、歴史の流れは止められず、無力さを感じながら去る場面で終ります。古きよき時代に束の間没入した幸せを感じながら、それが永久に失われてしまう一種の郷愁にも似た哀切さの感情が余韻として残ります。