タイム・スリップ長編二冊

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ジェリー・ユルスマン小尾芙佐訳『エリアンダー・Mの犯罪』(文春文庫 1987年)
ジュード・デヴロー幾野宏訳『時のかなたの恋人』(新潮文庫 1996年)


 わが家にある本のなかから手あたり次第、時間SFに関係した本を読んでいますが、今回はともにかなり長めの長編小説。文庫本ですが、『エリアンダー・Mの犯罪』は474ページ、『時のかなたの恋人』は602ページありました。『エリアンダー・Mの犯罪』は出版された直後に一度読んでいて今回二度目。30年以上前なので、読みながら雰囲気は思い出したものの、その先どうなっていくかまったく覚えていませんでした。

 両者に共通するのは、男女の恋愛場面が物語のなかで頻繁に出て来て、あからさまな性の描写もふんだんにあるというところでしょうか。『エリアンダー・Mの犯罪』は、主役は離婚したばかりの女性で、母親からセックス狂と言われるのもそのはず、夫の部下や、船旅の途中知り合った男、父親付の弁護士、ドイツの外交官と次々に関係を持ち、副次的主役である祖母は娼館の女経営者で、本人も高級娼婦としての振舞いを見せるほか、娼館内の様子や好色な男たちが憚ることなく描かれています。『時のかなたの恋人』は、主人公の女性は外科医と同棲している身でありながら、16世紀の好色な伯爵に夢中となり、最後は飛行機のなかで知り合った伯爵の子孫の建築家と結ばれるという展開。

 タイム・トラベルの点から眺めた場合、両者ともタイム・トラベルという意志的で悠長な状況ではなく、気がついたら別の時代に居たという点で、タイム・スリップというのがいいと思います。


(ここから物語の核心に触れるので、ネタバレ注意)
 『エリアンダー・Mの犯罪』は、1970年に息を引き取りかけている老女エリアンダーの魂が、1907年に馬車から突き落とされ意識を失った若い自分の身体にタイム・スリップすることが物語の核になっています。彼女は、自分の息子が第二次世界大戦で死んだことを知っているので、それを阻止しようと1913年にヒットラーを暗殺し、それ以後まったく別の展開を見せることになる世界が描かれています。タイム・スリップした際、魂が乗り移っただけでなく、部屋の所持物も一緒に移動していて、そこに写真集『第二次世界大戦史』や競馬の勝ち馬が記録された『大英馬事百科事典』があったというのが味噌。

 前半、エリアンダーの孫のレスリーを中心に話が展開しますが、そこは1983年で、第二次世界大戦の起こっていない世界。父親の遺品から『第二次世界大戦史』を見つけ、それが偽書であるかどうか、歴史学者や、写真映像の解析に詳しい映画監督、元イギリス軍准将、元ドイツ軍参謀総長などを集めて、検証する部分が興味の中心です。どう考えてもトリックではなく実際に起こった出来事だが、そんなことはありえないというのが彼らの結論。

 後半になって、エリアンダーの生い立ちが徐々に明かされるとともに、『第二次世界大戦史』が奇書として再刊され、映画化の話が持ち上がるに至って、それを英米の謀略と受け止めたドイツ国首脳陣によって、またヒットラーの悪夢が再現されようとします。レスリーは愛人のドイツ外交官からその動きを聞かされ、外交官とともにドイツ国首脳陣の秘密基地に乗り込んで、一同を爆死させるという祖母と同じような行動を取ってこの物語は終わります。時間SFに関する議論のなかで、過去に遡って歴史上の英雄を殺せば歴史が変わるかというのがあり、英雄は歴史の流れのなかで作られたにすぎないので、死んでも必ずや誰か代わりの者が出てきて大局的には変化はないという考え方がありますが、これを反映したものでしょう。

 以上は大枠の話で、これ以外に、幼児性愛者の露出狂で監獄にも入った大金持ちや、馬車から突き落とされて怪我したエリアンダーを世話し友人となる双子の姉妹のこと、エリアンダーが競馬で勝った金をもとに娼館を経営する話、エリアンダーの母親とH・G・ウエルズの不倫関係や(エリアンダーはウエルズの娘に違いない)、そのウエルズの友人の劇作家がエリアンダーの夫となる挿話などが絡み合う複雑な構造になっており、時代が目まぐるしく交錯し、場面が頻繁に入れ替わるので、訳が分からなくなってきました。私の頭では、年表に落とし込んで逐一整理しないと、正確に理解できないと思われます(そんなことは面倒くさいのでしない)。

 不思議な現象は、例えば、お墓のなかに1970年に亡くなった老女のエリアンダーの遺骨と、1915年に処刑された若いエリアンダーの遺骨が並んで埋められているという奇怪な状況。また、エリアンダーの夫となる劇作家が一度は自動車事故で死に、次にそれを知っているエリアンダーがその自動車を叩き壊して未然に防いだ後、エリアンダーのヒットラー暗殺を止めさせようとして乗った飛行機から落ちてまた死にますが、いずれもヒットラー暗殺で世界が変わる以前の話だということ。エリアンダーに老女の魂が乗り移った後の短い生涯は詳細に描かれていますが、乗り移らずに過ごした人生は、老女になってからの回想で2行ほど出てくるだけなので、謎に包まれたままということ。


 『時のかなたの恋人』では、主人公のアメリカ女性が、同棲中の男とイギリス旅行をしているあいだに捨てられて、教会の墓に凭れて泣いていると、その泣き声に反応して、墓の主が死ぬ直前の1564年の世界から1988年の世界に呼び出されるという第一のタイム・スリップがあり、そこでは16世紀の騎士が現代のさまざまな事物に当惑し、自分が歴史上の笑い者になっているのに悲憤するさまが描かれ、次に第二のタイム・スリップとして、今度は女主人公が1560年の世界に行き、田舎の糞便にまみれた貧困と野蛮さに驚きながら、騎士のために歴史的事実をひとつづつ改変していくという話になっています。彼女が再び現代に戻ったとき、以前「1564年没」と書かれていた墓碑が「1599年」に変わっており、騎士は英雄と讃えられているなど、歴史が塗り替えられていることを発見します。

 ハーレクインロマンスは読んだことがありませんが、たぶんその女性向け大衆小説のジャンルに入る作品でしょう。悪口になってしまいますが、いくつかの要素を列挙してみますと、①女性の主人公が一種のヒーロー(ヒロインと言うべきか)になっていて、弱い部分を見せながらも、正義を代弁し強く生きていること。②根っからの性悪女や恋敵が大勢出てきて、ヒロインが冷遇されたり惨めな気分を味わうという極端な人物の描き方があること。③ヒロインが逆境に陥ると、絵にかいたように都合よく、男が出てきて助けてくれること。④その調子で、最後はハッピーエンドで、すべてが好転すること。⑤適度にきわどいセックスシーンがあること。⑥ヒロインは他人の目線を気にし過ぎており、またすぐ男が言い寄って来るのが不思議。

 この本でも、スコットランド女王メアリの名前が出てきました。準主役の16世紀の騎士は、やはりメアリ女王に加担してエリザベス女王に歯向かうべく軍勢を集めようとした罪で斬首刑を宣告されています。先日読んだアトリーの『時の旅人』を意識した作品なのでしょうか。