ジャック・フィニイの2冊

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ジャック・フィニイ山田順子訳『夢の10セント銀貨』(ハヤカワ文庫 1990年)
ジャック・フィニイ福島正実訳『マリオンの壁』(角川書店 1975年)


 引き続きフィニイを2冊読んでみました。いずれもタイムトラベルを扱った長編ですが、『夢の10セント銀貨』は多元世界を行ったり来たりする話、『マリオンの壁』は過去からの来訪者がテーマです。この2冊はかなりテイストが異なっていて、どちらかというと後者の方が好き。


 『夢の10セント銀貨』は、気の利いたウィットに溢れた文章で楽しませてくれますが、スラップスティック的で、真摯さには欠ける印象。ハヤカワのファンタジーシリーズなので、ほんのりとした抒情的な世界を期待していましたが、少し当てが外れた感じです。

 ここからネタバレになりますが、内容に触れないと感想の書きようもないのでお許しを。
古銭の10セント銀貨を使って新聞スタンドで新聞を買うと、同じ日付ではあるがずっと前に廃刊になっている新聞を手にしており、あるはずのビルが消えていて、少しずつ何かが違う並行世界に入ってしまっているのに気づく。そこでは自分が以前別れた恋人と結婚していて、会社では部長になり、部長だった男が部下になっている、といった展開。

初めは恋人との関係も新鮮だったが飽きて来たうえに、元の妻が自分の旧知の男と結婚しそうになるのを見て、阻止しようとするがうまく行かず、また新しい10セント硬貨で新聞を買って慌てて元の世界に戻る。がそこはまた別の並行世界で、すでに妻とは離婚していて、妻には新しい婚約者(髪の色は違っているが前の並行世界の旧知の男だ)がいる。主人公は元妻への愛に目覚めて、何とか結婚を諦めさせようと画策する、という話です。

 話を面白くしようとして、状況設定にかなり無理をしたところがあり、また最後の方で、主人公が犬のぬいぐるみを着て、犬に成りすまして大金を奪おうとし、うまく行かずに、プールの中でぬいぐるみを着たまま乱闘するのは、まともには考えられないことで、著者はそれを承知のうえで、ドタバタの面白さを優先させたという印象があります。


 『マリオンの壁』は、過去から時空を超えて、自動車事故で死んだはずの女優が復活してくるという話で、タイムスリップ的要素はありますが、その女優は現在の女性に憑依するので、憑依された女性の二重人格小説としても読めます。

 この小説の最大の特徴は、アメリカの古い映画に対する愛情が溢れているところで、これまでのフィニイの作品に現われていた古い時代の事物、例えば、骨董品や古切手、クラシックカー、初期の飛行機乗り、ヴォードヴィルショー、タイタニックなどに対する偏愛と同様、フィニイの古い映画へのオマージュであることです。昔の俳優、映画の名場面が事細かに続々と出てきます。そういう意味では、映画にあまり詳しくなく、ましてやサイレント時代の古い映画はほとんど知らない私の場合、この小説の持つ本来の面白みが心から味わえなかったのが残念。

 映画へのオマージュという点では、最後にフィルムが焼けて火事になり、貴重なフィルムがすべて焼失してしまうというあたり、やはり映画へのオマージュ作品である映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)によく似たところがあります。『マリオンの壁』の原作は1973年。原作をもとにした映画は1985年に封切られていますから十分考えられることではないでしょうか。