東雅夫編『架空の町』

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東雅夫編『架空の町』(国書刊行会 1997年)


 国書刊行会の「書物の王国」という幻想小説アンソロジー・シリーズの第1巻目。アジアの架空の村の原点ともいえる陶淵明桃源郷の小話を皮切りに、前半では、マンデヴィルの『東方旅行記』や千夜一夜物語など、遠いところにある町の不思議を語った作品、後半部では、萩原朔太郎猫町」を代表として、日常空間に隣接した四次元的な異空間の発見をテーマにした作品を並べています。

 半分ぐらいは読んだことがありましたが、再読しました。どのみち覚えていないので読んだことがあると言っても同じようなものです。なかでもっとも面白かったのは、ダンセイニ「倫敦の話」と、マッケンの「N」。次に続くのは、『千夜一夜物語』の「青銅の町の綺談」、シュウォッブ「眠れる都市」、マンデヴィル「ドゥンデヤ諸島」、山尾悠子「遠近法」といったところですが、これ以外の作品もレベルが高く、楽しく読むことができました。

 幻想小説の味わいの深さの決め手は語りの芸にあると思われますが、この本のなかでも、「青銅の町の綺談」やポーの「鐘楼の悪魔」、ダンセイニ「倫敦の話」、チェスタトン「街」萩原朔太郎猫町」、マッケン「N」など、少し古風な語り口ながら、その芸が際立つ作品が多数ありました。ポーは私の好きな作家の一人で、グロテスクな状況を語る諧謔に満ちた文章に魅力があると感じています。今回マッケンやダンセイニに高い点数をつけたのは、ポーから引き継いだと思われるそうした語り口があったからです。とくにマッケンを翻訳した高木国寿は味わい豊かな訳しぶりをしていて読ませます。

 このマッケンの「N」に、「見慣れた風景はいつもの外観を失ってしまい、毎日通り過ぎる家並みは見たこともない景観を呈するに至る。家々は神秘な変容を遂げて不可思議にも豊かなものへと生まれ変わる」(p157)という一節があり、まさに朔太郎の「猫町」と同じ感興を記していました。実は、最近、私にも似たような体験があって、家の近所を散歩の途中、初めて通った道から大通りに出たとき、一瞬どこかで見たことがあるがどこか分からず、どこか知らない町を歩いているような不思議な感じに襲われたことがあります。すぐに、違う角度から見ていただけで、いつも車で通り過ぎる道と分かりました。単なるボケの始まりかも知れませんが、貴重な得がたい時間だったように思います。

 今回、恥ずかしながら初めて山尾悠子の「遠近法」を読みました。観念偏重の傾向はありながら、入れ子構造の組み立てがあり、そのなかに自己言及的な仕組み(ボルヘス作品の盗用)を採り入れたところ、また宇宙的な(物理的なと言うべきか)奇想に溢れているところは、新鮮な印象がありました。

 逆に、学生時代、デモーニッシュな鬼気迫る文章に圧倒されていたラブクラフトでしたが、「サルナスをみまった災厄」には荒唐無稽な感じが拭えませんでしたし、また絢爛眩いその文章に魅せられていた泉鏡花の「高桟敷」では江戸風の調子の良さに少し興ざめしてしまいました。鏡花であればもっと別の佳篇があったはずですが。またジャン・レイの「闇の路地」も破綻が見られて、あまり評価はできませんでした。