香りについての二冊

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山田憲太郎『香談―東と西』(法政大学出版局 1981年)
諸江辰男『香りの歳時記』(東洋経済新報社 1985年)


 山田憲太郎は小川香料、諸江辰男は高砂香料と、ともに香料会社に勤務していた方で、山田憲太郎は22年勤務の後に大学での研究の道に進み、諸江辰男は副社長、相談役の後、業界団体の仕事に就かれたようです。お二人とも、実務の世界に身を置きながら、個人的に香りやそれに関連した知識を広めていった人のようで、扱う商品、仕事の種類にもよりますが、こうした人はどの会社、役所にもいるでしょう。実務と学問の二足の草鞋と言えばいいのでしょうか。

『香談』は、本格的な研究をベースにし引用文献も多彩で、東西交流商業史としても読め、久しぶりに読書の楽しみを味わわせてくれました。胸をわくわくさせるような話が満載です。なかでも、マゼランの世界周航の話は、昔ツヴァイクで読んだ時の感動がまた蘇りました。『香りの歳時記』は、日本経済新聞への連載記事をまとめ、社内報の随筆を加えたものとのことで、香りを中心とした歴史や博物誌の読み物といった感じです。お二人に共通するのは、中国の美女の香への思いで、山田憲太郎はそれを「脂粉の香」という章で、諸江辰男は「香りの人物譚」のなかで吐露しています。香りに興味のある人は女性も好きなようです。                                        


 『香談』で語られていたことで印象的だったのは、
①東アジアでは、幽玄な香水を焚いて感じる高踏的な匂いを求めていたが、西方世界では、古代から甘美な乳香や没薬などの樹脂類を焚き、ローズ・ラベンダーなどの花の香に、華美で艶麗な匂いを求めた、という東西比較。

②西方の世界では、太陽がのぼる東方の彼方に黄金の出るところがあるという信仰があり、9世紀のアラビアの地理学者が日本(倭)を「ワク・ワク」として初めて紹介した。これがマルコ・ポーロの黄金の国ジパング(日本)という話につながり、コロンブスの探検のきっかけともなった。

③一方、アフリカのどこかに、黄金がニンジンのように砂の中から生えてくる黄金の国があるというのと、プレスタ―・ジョンという強力なキリスト教国があるという二つの伝説があった。これがポルトガルの西アフリカ海岸南下を促し、喜望峰からインド洋に出る海路、また南米の発見につながった。

④ザビエルの鹿児島上陸から、キリスト教禁教令が敷かれるまでの1世紀たらずのあいだは、日本におけるキリスト教時代であり、一時信者の総数は約15万人に達していた。当時の人口は約1700万人なので100人に一人が信者だった。

⑤江戸時代の封建道徳では、武士の場合、主人が下人の生殺与奪の権利を有し、腹切り、首切りが日常茶飯事とされていた一方、仏法で牛馬や鳥など家畜類を食用のために殺すことを戒めるという矛盾を生じていた。この人命軽視は第二次大戦前の時代風潮につながっている。

⑥竜涎香が抹香鯨の体内に生じるものと知らなかった中世のアラビアでは、海底にある泉の泡が固まったもの、海底のキノコか松露様のものがむしり取られて上がったもの、海中に棲む牛のクソが浮かび上がったもの、蜂蜜の蠟分が流れ込んだものなどと想像していた。中国人は海中の怪物あるいは大魚を、中国人の想像上の祥瑞動物である竜におきかえてしまった。


 『香りの歳時記』で印象的だったのは、
①書道に使用する墨は油煙と膠と龍脳を練ったもので、上等の墨にはこの他に麝香が入り、墨を磨ったときの香しい匂いや、書き上げた書からほのかな雅やかな香りがするという記述。→これを読んで、万年筆のインクの匂いや新しい本を開けたときの印刷の匂いを想像しました。これらにも香料を忍ばせてるのでしょうか。

②日本に儒教が根付かなかった理由のひとつに宦官制度の残酷さがあり、古い文明を持つ国のなかで宦官制度がないのは珍しいが、これはすでにあった神道が穢れを忌みしたこと、また仏教が慈悲を主としていたことが原因である。

③奈良朝ではすでに仏教が政治の中心を占めており、天皇家の諸行事には、神道の式事に食い込んで、仏教から伝わった供香や空香を行ない、天皇即位式のときには必ず空香を行なったが、明治維新後、仏教を異教として排斥する政策を採ったため、仏教に由来する供香、空香ともに朝廷より追放して、元の「みそぎ」や「お祓い」となった。→これを読めば、天皇神道は明治後わずかの期間の言説にしか過ぎないことが分かります。

④世が殺伐であれば、より平和的で鎮静的なラベンダー調やシプレー調、グリーン調のハーバスノートが基本となり、平和的になれば、エキサイティングなアンバーやムスク調、アルゲハイド調が現出する。この基調は30年位を周期としてサイクルしているようである。→香料の世界も、ファッションと同様なんですね。

 他にもいくつか細かい知識を得ました。梅を食用としたのは17世紀以降とか、麝香は麝香鹿から採るが、麝香猫から採ったのはシベットとなり、他にも麝香牛、麝香鼠というのもいること、丁字は花蕾の形が釘状になっているからつけられた名で、英名のcloveクローブもフランス語のclou(釘)が語源であり、和名のニンニクは仏教用語の「忍辱(にんにく)」に由来し臭気を耐え忍ぶことが語源となっていることなど(以上『香りの歳時記』より)。麝香鹿は牡だけだが、麝香猫は両性とも持っているとのこと(『香談』より)。