J.-C.MARDRUS『LA REINE DE SABA』(J・C・マルドリュス『シバの女王』)

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Dr J.-C.MARDRUS『LA REINE DE SABA』(CHARPENTIER ET FASQUELLE 1926年)

                                             
 久しぶりに、生田耕作旧蔵書を読みました。マルドリュスは『千一夜物語』のフランス語版翻訳で有名ですが、マラルメのサロンに出入りして、エレディア、R・モンテスキュー、ジッド、P・ルイス、レニエなど当時のフランス文人と交流のあった東洋学者です。この本の裏表紙には、『千一夜物語』全16巻の広告が出ていますし、緒言には、近々『コーラン』の訳書が出版されると書かれていました。

 この作品は、著者の言うには、「種々のアラビア語原典を比較校訂しひとつにまとめフランス語に訳したもの」で、「過去にもいろいろな粉飾が施されたように、訳者でもあるが著者でもある」と、マルドリュスが手を加えた部分があることを匂わせています。この作品をひとことで言うなら、東洋の神秘を礼讃した詩的散文で綴られた一種の叙事詩オリエンタリズム、異国情緒が溢れていて、おそらく、19世紀の高踏派やその近辺の異国情緒詩の影響を多分に受けていると思われます。一人目の奥さんのL・D・マルドリュスが詩人だったのも関係しているのかもしれません。

 まず、マルドリュスの手になる緒言からして、東洋讃美に終始しています。「今のヨーロッパ人は自分たちが世界の中心だと思っているが、東洋の文明の礎の上に成り立っているのだ。ギリシア、ラテンの人々も生地や性格から見ると東洋的であることが多い。イソップ、ヘロドトス、アレクサンドル、ホメロス、それにナポレオンら。東洋はヨーロッパに知的啓明をもたらしたが代わりに何をお返しできたのか。東洋との境は、ヨーロッパの卑俗さが消え、神聖、知的優雅が始まるところにある。ヨーロッパと東洋を無理に混ぜ合わせようとしても分離してしまうのだ」というのが、おおよその主張するところ。

 緒言ではこの他に、古代では敵の名前を知れば敵を自由に操れると信じ言葉の魔力を恐れたこと、さらに時代が進んでも、宗教者はもちろん政治の指導者なども魔法の言葉を使っているし、「自由」や「文明」という言葉も一種の呪文であること、また韻や喩を使う詩の言葉や軍隊の号令も呪文だと主張し、言葉の持つ力に注意を喚起しています。

 「シバの女王」のなかのオリエンタリズムの表現は、香料や果実、植物、宝石の頻出に特徴的です。例えば、香料では、没薬、シナモン、香油、安息香、麝香、香木、匂い袋、竜涎香。果実では、無花果、葡萄、檸檬アプリコット、メロン。植物では、蓮、椰子、葦、アロエ、肉桂、サフラン、ミルト、ナツメヤシバルサム樹、罌粟、ナツメグ、丁子、百合、薔薇、ヒヤシンス。宝石では、琥珀、紅玉髄、ルビー、ダイヤモンド、真珠、サファイア。それ以外でも、ゴム液、蜂蜜水、テリアカ、象牙スカラベ、象、ラクダ、ライオン、豹など。

 また衣服の色彩もきらびやか。「サライユは一瞬にしてバルキスの足元に一枚目の服を落とした。紺碧の繻子で真珠と紅玉髄が散りばめられていた。次に現れた服は杏子色の絹で言葉に出せない美しさ。3枚目は柘榴色のビロードの式典服で、宝石が煌めいていた。4枚目は檸檬色で、長い線模様が入っていた。5枚目はオレンジ色の紗で刺繍と房飾りがついていた。6枚目は緑の繻子で気も狂わせんばかり。いよいよ7枚目は、高貴な身体を直接覆うもので、空気を織ったような繊細さで鶏頭色に染められ…」(抄訳)。これは、婚礼前の儀式で、バルキスの7枚重ねの服を乳母サライユが一枚ずつ脱がせていく場面で、ストリップ的興味あり。

 物語はおよそ次のようなものです。
中近東南部のイエメンのシバの地に、16歳のバルキスという王女がいた。彼女が眼を開けばみんな一斉に溜息を吐き、眼を閉じればみんな暗くなるというほどの美女だった。星占いが彼女に「王の姿が見える」と告げたのと同じ頃に、ユダヤの地にいたソロモン王のところにも、南の地に絶世の美女がいるという噂が届く。ソロモン王は興味を示し、精霊の力を借りてさっそくシバの地に飛び、フップ鳥からバルキスの様子を聞く。噂どおりの美女と知って、手紙をバルキスのもとへ届けるようにフップ鳥に命じる。手紙を読んだバルキスは乳母に相談し、それは恋文だと聞いて、恋とは何かと乳母に尋ねる。

バルキスはソロモン王の知力を試すために謎かけを考え、それが解けなければ拒否しようとするが、フップ鳥が天上の隅で一部始終を見聞きしていた。乳母が隊長となってソロモン王への使節団が出発するが、フップ鳥からの報告を受けていたソロモン王は、使節団を迎えると同時に謎をたちどころに解き、乳母は魂消いって「バルキス王女は殿下の御意のままに」と答える。バルキスを迎えるにあたって、今度はソロモン王がバルキスの身体検査をする仕掛けを施し、彼女の身の清らかさを確認する。婚礼の日は、歌舞音曲、酒池肉林の盛大な宴が催され、婚礼前の儀式を経て二人は結ばれる。やがて子どもが生まれ、その子はイエメンとエチオピアの王となった。が女王は死の女神に召され、ソロモン王をはじめ一同は嘆く。

 この物語の興味の中心は、説話風の謎かけ、謎解きにあります。(以下ネタバレ注意)。バルキスの謎かけは、箱を開けないで中身を当てるというのと、迷路のような穴の開いた宝石に糸を通すということ、さらに使節団の500人ずつの男女の性質を見抜けというものでしたが、箱の中身を当てるというのはフップ鳥から聞いていたので訳もなく、迷路に糸を通すのはダニに一本の髭を咥えさせて一方の端から穴に入れて他方の穴から出させるというもの、使節団の男女は男が女装、女が男装していたが、王は全員に顔を洗わせて、女装の男たちががさつな洗い方をすることで見抜いた。ソロモン王が仕掛けた身体検査というのは、舗面がガラスの通路を作り下に水を流させてあたかも小川に見せかけ、バルキスが歩くときに服の裾を持ち上げたところをガラスに反射させて中を覗いたというものです。

 文章も、厳かな雰囲気を醸し出すためか、儀礼的で、呼びかけや繰り返しの多い宣託や祈りの言葉が挿まれ、また説話体独特の表現が見られました。例えば、「それは何千という月のなかでもっとも貴重な運命の夜だった(その夜に平穏を!)」という言葉が繰り返されて出て来たり、「一歩踏み出して~と言い、二歩踏み出して~と言い、三歩踏み出して~と言った」といったリフレイン的表現、前に言ったとおりに事が進んだ場合の「Il n’y a point d’utilité à le répéter(同じことを繰り返す必要はあるまい)」とか、「Voilà pour ce qui est de~, mais pour ce qui est de~, voici.(これは~のお話だが、~がどうなったかについてはこちら)」といったような言い回し。