吉山浩司『数はどのようにして創られたか』

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吉山浩司『数はどのようにして創られたか―中国古代史探究の旅』(私家版 1997年)


 昨年、浜松の古本屋で100円で買った本。私家版で、ネットで検索しても著者がどんな方がよく分かりません。たぶん、定年したサラリーマンか歴史の先生でしょう。小説の体裁を取っていて、定年した古代史が趣味の男とその妻、長男の会社員とその嫁、古代史趣味の男夫婦と家族ぐるみの付き合いをしている高校の東洋史の先生夫妻の合計6人が、中国旅行へ行き、ガイドの案内であちこちの都市や遺跡を回りながら、中国語の一から十までの数がどうやって誕生したかを話し合うという設定です。語り合うのがいつもホテルのバーというのが楽しそうでよい。

 どこまでが本当の話か確かめるすべもないあやふやな話や推測が多く、おそらくそれが理由で小説の形にしたのでしょう。しかし古代中国の国家の変遷や漢字の成り立ち、中国の地理など、あちこちにちりばめられている中国の基礎知識は本当のようで、かなり勉強になります。

 本題は、中国の数がどのように生まれたかを、漢字の成り立ちから考えていますが、参考としているのは、甲骨文字や古代の土器に刻まれた文字、また三種類の書体(殷・周の古い字、秦の篆書、漢・魏の新しい字)で書かれた魏の三体文字の石経、それに数字の発音、数えるときの指の中国式折り曲げ方や、壱、弐、参など大字と呼ばれる別の字体なども参考にしています。話がどんどん飛躍するのでよく分かりませんでしたが、およそ次のようなものです。

一(イー、イチ):一本指の指(シ)、「たったの」を意味する唯(ユイ)や委(イ)、「はじめ」を意味する始(シ)、手で一本の棒を持った形の聿(イツ)、数の刻み目を彫る契(キツ)などが語源として考えられるが、一の誕生は人類の根源にさかのぼるものなので、結論は不明としている。

二(アール、リャン、ニ):一が二つ重なったもの、「あなた」を表わす爾(ジ、ニ)、二つある耳(ジ、ニ、アールとも発音)、一の次の次(ジ)、児(ジ、アールとも発音)、両(リャン)など、これもいろいろ出てきて収拾がつかず。兄、姉の「ニ、ネ」や、たらちねの「ネ」は肉親に対する親愛の情を表わす言葉で、二と関係があるのではとも指摘している。(ちなみに、兄、姉の「ア」は大きいという意味、たらちねの「タラチ」は尊いの意味)。

三(サン):一、二にさらに横棒を一本増やしたものとも考えられる。もともとは尖った三角形のものを表したもので、尖(セン)とか傘(サン)とかと語源を同じにするとし、古代人は三をもってその他多数を示すということがあるので、数えるという意味の算(サン)や数(スウ)とも関連があるとしている。

四(スー、シ):魏の三体文字では、古い四の文字は横棒が四本で、篆書以後今の四の字の形になっている。四の字は囲いの中にルと書くが、殷の甲骨文字ではルのところが从(ショウ)で、これは牛馬の四本足を示している。囲いの一方が開いている匹(ヒツ)の字とも関連がありそうだ。

五(ウー、ゴ):篆書目録を見ると、五の字は横棒二本の間にXが書いてあるが、古い字ではXの代わりに爻(コウ)という字を書く。これは杵が交わっているのを表した形ではないか。最初に交わるという意味の爻という字があって、そこに横棒二本がついて杵の象形文字となったり、互(ゴ)という字になったりしたのではないか。五には組を作るとか、互いという意味があるのでは。

六(リュー、ロク):六は粒(リュー)から来ているのは間違いない。昔の蒼頡の書では米という字は横棒の上に三粒、下に三粒の米が描かれている。また梯子を表わす字は、□が左右に三つずつ並ぶ形をしていて、合わせて六。

七(チー、シチ):七の字の形は、柄杓に似た形をしている北斗七星から来ている。「斗」は柄杓の象形文字であり、この斗という文字を回転させると七となる。また柄杓の勺(シャク)の字は匙の象形文字であり、匙を表す別の字匕(ヒ)は北の字の右側にも使われており、北とも関係がある。すべて北斗七星に繋がっている。

八(パー、ハツ):八の字に似ている字に分があり、似たような意味で、草木の分かれ出ることを表わす丰(ホウ)という字がある。また左右に四つずつの刻みがついている字としては朋(ホウ)の昔の字があり、これは貝貨をつないだ形である。

九(チュー、キュウ):糾(キュウ)の右側の丩(キュウ)だけでも糸を撚り合わすという意味を持つが、逆さまにすると九の文字となる。または紐の右側の丑(チュウ)の字は物を掴む形の象形文字であるが、九十度回転して線を少し省略しても九となる。九は物を掴む形に関係している数字ではないか。また究(キュウ)は穴がすぼまってそこで終わるという意味であるが数の終りでもある。九はまた竜(リュウ)や蛇(チュウとも読む)と関係があるのではないか。みずちの虯(キュウ)という言葉もある。

十(シー、ジュウ):十の指文字は人差し指を立て、人差し指の背に中指を重ねるようにするが、重ねるという意味の重(ジュウ)ではないか。また五と五を二組十文字に合わせるということでもあるのでは。


 それ以外に、私の知らなかったことも含め、トピックスで面白かった話は、
①日本に中国の王族がたくさんやってきていたという話で、昔、呉と越とが戦争をして、負けた呉の王子と一族が蘇州から舟で黄海を渡って日本に来たという。次に、越が楚の国に敗れ一部の人たちが南島まわりの船でやはり日本に移って来た。また秦の始皇帝の長男扶蘇(フウソ)の子の有秩(ウヅ)が広東、韓国を経由して日本に逃げて来たのが、京都太秦に本拠を置き仏教の興隆に尽くし能の元祖とも言われている秦氏ということである。さらに、漢の高祖劉邦の甥の劉鼻が漢に滅ぼされ、孫の三人兄弟が日本に逃れて来たが、この三兄弟は日本神話のイッセ、イナヒ、ミケヌの三人に似ていて、末弟は後の神武天皇ではないかという。

②韓国の人や中国の種族との関係では、百済の国が滅んだとき、当時の都大津の近くにその国の人を受入れたこと、九州の隼人族が江南モンゴロイドの末裔ではないかということ、物部氏は中国から朝鮮半島経由で来たらしく朝鮮半島にいたときは徐氏と名乗っていたこと、大伴氏は苗族あるいはモン、クメール族の出身らしいこと、倭の五王の初代王は仁徳天皇であるという説が一般的であるが、中国の山東半島の鳥族の末裔らしいこと。

 この本でも、古代日本への道教の影響について言及があり、飛鳥時代にお寺で仏像を祭る大乗仏教が入るずっと前から、小乗仏教道教の思想とが一緒になったものが入ってきていると指摘していた。