:「プーシキン美術館展―旅するフランス風景画」カタログ


山梨俊夫ほか『プーシキン美術館展―旅するフランス風景画』(朝日新聞社 2018年)

                                   
 今回は番外編と言ってもいいぐらいで、美術に関する話題。先日、奈良日仏協会で美術鑑賞会を開催した際に訪れた展覧会とカタログの感想です。

 私のベスト7は、クロード・ロラン「エウロペの掠奪」、ガスパール・デュゲ「ラティウムの小さな町」、ジャック・ド・ラジュー「狩猟後の休息」、フランソワ・ブーシェ「農場」、クロード=ジョゼフ・ヴェルネ「日の出」と「日没」、ジュール・コワニエ/ジャック・レイモン・ブラスカサ「牛のいる風景」、ルイジ・ロワール「パリ環状鉄道の煙」でしょうか。

 大半が19世紀前半までの絵で、なぜかと考えてみると、写実的な分かりやすい絵だということがまずありますが、さらに重要なのは、神話を題材にしたり、廃墟のある海景、古代ローマの小都市、牧歌的風景などが描かれていて、現実の風景ではないということだと思います。もともと頭も心も幼稚にできているので、お伽噺のような不思議な光景に目を奪われてしまうみたいです。

 バルビゾン派印象派の絵にあまり心を打たれることがないのは、自分では絵を描くことがないので、タッチとか色づかいとか絵の技法があまりよく分かってないせいもあるでしょう。そんななかでは珍しく「牛のいる風景」の倒木の描き方に感心しました。まるで3Dのように浮き上がって見えるのは、どんな技法なんでしょうか。

 19世紀後半の現実を描いた絵のなかでは、一点「パリ環状鉄道の煙」という絵だけはなぜか気になりました。日本の昔の絵巻物のように、画面の三分の二ぐらいが煙か朝靄に覆われていてほとんど見えず、わずかに垣間見える路面が妙にリアルに迫って来るのです。これもなぜかと考えてみると、当時の象徴主義の「明示せずに仄めかすことで想像力を刺戟する」という手法ではないかと思いあたりました。


 カタログでは、山梨俊夫、福元崇志の二人の文章がいろいろと啓発されて有意義でした。美術の専門の方には常識かも知れませんが、いくつか印象に残ったのは、
①風景が描かれた絵の古いところでは、西洋では紀元前80年ごろのモザイク壁画《ナイル・モザイク》、中国では紀元1世紀頃の画像塼(せん)、日本では8世紀正倉院に伝わる東大寺の荘園図がある。
②中世になって、キリスト教の神との関係で自然は人間から遠ざけられ、ルネサンス期に入ってようやく自然が描かれるが、背景に少し描かれる程度。まだ風景画とは言えない。
③何人かの画家が風景そのものを描くようになるが、王立アカデミーでは長らく風景画はレベルの低いものとみなされていた。
④19世紀後半になって、チューブ式油絵具の普及があり、一挙に野外での写生が広まった。また写真の登場により、対抗上絵の描き方に変化がもたらされた。この時期が風景画の絶頂期だったようで、20世紀に入ると画家たちの志向は自然を描くことから離れ、風景画は下降線を辿って行った。


 もっとも印象に残った核心の部分は、直接引用しておきます。

風景画になるための最大の要件は、画家が自然に共感し、生活の場とは別に何よりも精神のうえで自然と人間が接近すること、そしてそこに感動や安らぎを見出すことを基盤とする。(山梨俊夫、p25)

ひとはいつでも、好悪を問わず、関心のあるものにしか意識を向けることができない。風景という、人間的に意味づけられた世界もまた、その典型のひとつである。(福元崇志、p241)