:Camille Lemonnier『Un mâle』(カミーユ・ルモニエ『雄』)


                                   
Camille Lemonnier『Un mâle』(Jacques Antoine 1977年)

                                   
 生田耕作旧蔵書。この本を買ったとき同じ著者の『L’HOMME EN AMOUR』というのも買って、それが「デカダン叢書」の一冊だったので、世紀末の雰囲気を期待して読みましたが、結果は期待外れと言うしかありませんでした。

 ネットで調べてみると、ベルギーの作家で、画家のフェリシアン・ロップスとは従兄弟同士。普仏戦争セダンの戦いに参加してルポルタージュを書いたりした後、この『雄』で一躍認められることとなり、その作風から「ベルギーのゾラ」と呼ばれたりしたということです。その後、ユイスマンスジャン・ロランの作風に近づいたようです。

 たしかにこの本を読む限り、Lemonnierは狂気の人でもなく、頽廃趣味の人でもないと感じました。森のなかでの密猟や酒場での乱闘、主人公が死に瀕していくさまなど、描写が克明執拗で、なかなかよく書けていますが、このリアリズム的なタッチは私の趣味には合いません。セダンの戦いルポルタージュというのがこの人の基本にあるようです。

 物語は、森と農村が舞台。森で育った自然児で密猟にあけくれる男Cachaprèsと、農村で育った勤勉な娘Germaineの恋物語。途中までは波乱がありそうでなく、淡々と進みます。森のなかの自然や村祭りなど農村の生活風景が等身大で描かれ、牛の出産や動物の死が自然の営みを感じさせ、それが物語の奥底にずっと響いているという感じ。Cachaprèsの特異な個性と、森が舞台になっているというのが、少し変わった印象があるといったところです。

 村祭りをきっかけに、CachaprèsとGermaineが結ばれます。Germaineは婚期を少し逃しかけている女性で、このまま恋を知らずに年老いていくのかという焦りと、Cachaprèsの動物の雄のような執拗な求愛に負けてしまうのです。

 二人は、森の老婆の家を密会場所として逢瀬を続けます。Germaineが未来の展望のない関係に嫌気がさしてきた頃、ご近所のHayot家に招かれ、そこの長男の学識があり優しいHubertと親公認の間柄になりそうになったことから、不幸が始まります。その日Germaineを送っての帰り道に、Hubertは、二人の様子を見ていたCachaprèsに襲われ、それがきっかけになって、Germaineの不品行が明るみになってしまいます。Germaineはほとんど家に監禁状態になり、彼女を拉致しようと家に忍び寄ったCachaprèsは銃で撃たれ森に逃げ込みますが、10日後に死んでしまいます。

 GermaineがCachaprèsと会うより、Hayot家のHubertと少し先に出会っていれば、事態はまったく違って平穏な展開になっていたのに。運命とはそういうものでしょうし、そうであれば物語にはなりません。

 序文でJean Muno が指摘しているように、Cachaprèsが黄金時代を憧れる森の神秘、Germaineが国家、家族に守られた平原の秩序を象徴していますが、著者の気持ちは前者にあるようです。途中で珍しく、Cachaprèsの口を借りて、次のようなことを述べています。「人生の不公平を感じた。片や狼のようにうろつき、安らぎもなく、おいしいものも食べられないのに、片や農場で大事に育てられ、美しい婦人と結婚する生活。動物にはそんな不公平はあるか。強いものが必ずしも富を持っているというわけでもない。密猟は泥棒か、動物は誰かの所有物なのか。神はそんなことは決めていない」(p200)。持てる者(農場主)と持たない者(密猟者)の格差を述べるあたりは社会主義的か。

 ベルギーフランス語が特殊なのか、それともLemonnierの造語なのか、あるいは単なる誤植なのか、辞書に載っていない単語がしばしば見受けられました。また発音を忠実に表記した単語(elle→alle)や、口語の綴りで母音を省略して「’」でつないでいるところが多々あり、読みにくいことかぎりなし。

 作風が変わったと期待して、またいつかデカダン叢書の『L’HOMME EN AMOUR』を読んでみることにしよう。