鼓常良『西洋の庭園』

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鼓常良『西洋の庭園』(創元社 1961年)


 針ヶ谷鐘吉、岡崎文彬らと並んで、日本人が西洋庭園のことを書いたかなり初期の書物です。 あとがきで、庭園の写真を集めるのに、ヨーロッパに留学している人の手を煩わせて、わざわざ撮影に行ってもらったり、現地の写真家の転載の許可を得たりと、感謝の辞を述べています。当時は海外へ行くのもそう簡単ではなく、資料の少なさに加えて、当時は実際の庭を見ることがいかに大変だったかということがよく分かります。

 鼓常良本人はドイツ文学者、美学者ということで、造園の専門的な技術よりも、日本の庭と比較したり、思想や歴史との関連で考えたりなど、全体を俯瞰するような記述に特色があると思います。また、この本のねらいは、日本人の西洋庭園への理解を深め、日本の新しい公共庭園や邸宅の庭に西洋庭園の良さを取り入れてもらおうということにあるようです。

 まず、日本の庭園と西洋庭園をいくつかの点で比較してそれぞれの特徴を浮き彫りにしています。例により、誤解も交えて要点をまとめてみますと、
①日本庭園は自然の美景を手本とし型どったもので、茶室の茅萱葺屋根や土壁など、できるだけ人工の痕跡を消そうとするが、西洋庭園は人工が支配している。日本庭園では滝が重要なモティーフだが、西洋庭園では噴水。これはまさに水の天然の性質に反抗する人工の試みである。

②日本の庭師は植木屋の位置づけであるが、西洋では建築家である。日本庭園では廻遊によって見られる庭の個々の部分が鑑賞されるが、西洋庭園では全体が重要で、建物と一体となって設計される。建物と同じ素材を庭園にも使用し、建築物の立体形を投射するかのように庭面を造り、区画された地割は、絨毯を敷き詰めた床のような外観がある。立木も建築物のように刈り込んで壁面やトンネルを造ったりする。

 さらに広げて、日本人と西洋人の比較も行っています。
①日本人は鳥類、西洋人は獣類に比すことができる。日本人は地面より離れた床を作り植物性の材料を用いるが、西洋人は基本的に穴居であり床は地面の一部、材料は石と土で鉱物性である。

②西洋人は自然に親しむ場合は気軽に出かけて行って自然のなかで楽しむが、日本人は「居ながらにして絶景を楽しむ」という不精なところがある。これは日本人の坐生活の副産物ではないか。

 西洋庭園については歴史的に流れを追っています。いくつかのポイントがありました。
ルネサンス以前の西洋は、自然自体の価値を認めず、実用的か宗教的なものとして自然を捉えていた。僧院の庭も薬草園か菜園の性格があり、絵画では自然が景色として描かれることがなかった。13世紀頃からの漂浪学生の詩歌集やそのほかの抒情詩集に、初めて花咲く野原や荒野など自然を愛好する心を歌ったものが現われ、絵画でも14世紀末には自然風景が描かれるようになった。

②イタリアのルネサンス様式の庭園は、形式美の創造に全力を尽くし、形式庭園なるものの基礎を確立した。その後、形式庭園の反動として登場した風景庭園をまったく別種の物ととらえるのは皮相な考え方で、形式庭園で磨かれた造園術が発揮されている。

③ドイツなど北方では、イタリア建築の細部の面白い型式をすぐ真似して取り入れ、そのルネサンス様式の影響が17世紀の中頃まで続いた。フランスにおいても、イタリアルネサンスの影響が早く流れ込んだが、フランスには広々とした花壇など独自の造園術があり、平面を拡大する方向でフランス式庭園を造って行った。ドイツは今度はフランスの影響を受けることになる。

バロック期の造園設計で目につくところは、自然的要素(植物、土、水)よりも人工的要素(擁壁、洞窟、壁龕、階段、水槽、柱廊、彫刻像)が今までよりも幅を利かすようになったことである。全体の構成は律動的となり、飛躍や落下などが具体化された。

⑤風景庭園がとくにイギリスで発展した理由は、日本と同じ島国で、大陸よりは景色が変化に富み、また小さくまとまったものを発見しやすいということにある。建築物に近いところは形式庭園にし、遠いところを風景庭園にするという日本と同じ手法を使っているところもある。

 いくつかの庭園が写真で紹介されていました。面白そうでもし機会があれば行ってみたいと思えたのは、イタリアのエステ別荘のオルガンの噴水、カゼルタ宮の大庭園、ドイツのヴィルヘルム・スヘーエの段階瀑布。