:MAURICE RENARD『?Lui?』(モーリス・ルナール『?彼か?』)


MAURICE RENARD『?Lui?』(G.CRÈS 1927年)

                                   
 モーリス・ルナールはこれで5冊目になります。長篇は初めて。何度か読み返してはじめて読解できるところもありましたが、音読している時に意味がスーと分かるというような易しい文章も多く、一日15頁のペースでコンスタントに読めました。

 表紙には「冒険小説」、中扉には「ミステリー」と書いてありましたが、これまで読んだSF的怪奇的作風とちがって純然たる探偵小説のジャンルに属するものです。古典的な探偵小説のお膳立てがそろっています。資産の相続が絡む入り組んだ家族関係、召使執事の存在、ぼんやりした探偵役、深夜の見張りと尾行、密室的な殺人、挿入される部屋の見取り図、警察の登場、インドの蛇使い、最後に登場人物が一堂揃うなか真実が探偵の口から明かされるなど。


 探偵小説ですのでネタバレは避けますが、およそ次のようなストーリーです。二人姉妹の姉が士官に嫁ぎ、妹が富豪の探検家に嫁ぐ。姉の夫の士官が戦士し、姉は息子を伴って妹の家で一緒に住むようになる。妹と探検家の間には娘が一人いた。探検家がアフリカから毒蛇を持ち帰り別荘で保管していた時に、ちょうど姉と妹家族が避暑に来ていて、妹が寝ている時に蛇に噛まれて死んだ。探検家は自分の責任を感じたのかアフリカ奥地の危険な場所に赴き土人に襲われて死ぬ。遺言で、娘の後見人に妹(叔母)が指定されていた。その5年後、娘息子も成人し、娘は恋人ができたので婚約したいと叔母さんに願い出る。

 実は前から、妹は息子を姪と結婚させたいと思っていて、道楽者の息子も結婚したいと思っていた。それは財産目当てだった。娘の恋人は息子と学校の同級生で、すでに研究書を2冊も著している酒も飲まない優等生だが、夜寝ていないという噂があり、ぼんやりしたところがある。怪しいと勘が閃いた母親は、何とか婚約を阻止したいと願って、その恋人に不祥事がないか息子に命じて夜見張らせることにする。すると驚いたことに深夜外出して朝帰ってきたその形相は悪人の顔をしていた。別の夜の尾行では酒場で蓮っ葉な蛇使いの女と逢引きをしていた。二重人格なのか。

 後で聞けば昔世界旅行をした時、インドで蛇使いの術を習得したという。さらに彼は別荘に行ったことがなかったのに、別荘の泉の場所を知っていたり、亡き探検家夫人のアルバムを見て考え込んだりしていた。二重人格では別人格の記憶が時折顔を覗かせるという。いよいよ妹殺しの疑いは濃厚だ。そこで親子はあるトリックを仕掛けて、恋人が悪事を働く現場を娘に見せて婚約を阻止しようと企む。が、そこで明るみになったのは・・・。


 この話の要になっているのが二重人格のテーマで、この部分には偽科学の好きなモーリス・ルナールらしさが感じられます。タイトルの『?Lui?』の?が二つあるのもそのことを表現しているものでしょう。この物語の中に、昼は検事長、夜は泥棒という二重人格者が主人公の『アレ検事長』という芝居をみんなでオデオン座に見に行き、そこで恋人が「僕はアントワーヌ座で見た」と言う場面がありますが、この作品は実在していて、ドイツのPaul Lindauの戯曲をHenry de GorsseとLouis Forestの二人が翻訳脚色して、本当にアントワーヌ座で1913年に公演されています。映画(1930年)にもなっているみたい。
 
 他作品に言及した例は、ほかに毒蛇の殺人に関して、コナン・ドイルの「まだらの紐」のトリックと同じ手口が使われていないか検証するところがありました。また日本に関しては、恋人が世界旅行をしている時に、日本で蛇の刺青を彫ってもらったというくだりや、道楽者の息子が倶楽部で奇妙ないで立ちで現われる場面で、「けばけばしいKimonoを着て」という表現がありました。