:杉山二郎『極楽浄土の起源』


杉山二郎『極楽浄土の起源―祖型としてのターク・イ・ブスターン洞』(筑摩書房 1984年)


 杉山二郎の本はこれまで、『遊民の系譜』『木下杢太郎』『オリエントへの情熱』の三冊を読んで、熱い語り口に感銘を受けたのを覚えています。今回は実は『大仏建立』というのを先に読んで、そのなかで、阿弥陀如来西方浄土が、西アジア的な不毛の砂漠帯のなかで渇仰された緑と水のゆたかな楽園(ブスターン)だったこと、観音菩薩が、西アジアで崇拝された水と豊饒を司る女神アナーヒターの同族であることなどが書かれていたので、その辺りが詳しく論じられてはいないかと読んでみました。

 ターク・イ・ブスターン洞ひとつだけで、よくこれだけ面白くいろいろ展開ができるものだと感心しました。日頃からいろんなものに好奇心を持ち、推理し考えているからこそ、物事の繋がりが発見でき、大きな世界が見えてくるのでしょう。専門的な文献を引用しながらも、構想は大胆で下手なミステリーを読んでいるより胸がわくわくしました。


 いくつかのポイントがありました。
中央アジア西アジアのような砂漠のような乾いた世界では、湧水、泉池のある場所が聖地となり、人びとに尊崇され神域化され、楽園浄土のイメージが形成されていったらしきこと。
西方浄土は、中国からみて玉門の西の苛酷な流砂の彼方にある胡人らの説く楽園に重ね合わせて阿弥陀浄土を夢想したことから生み出されたもの。
③ターク・イ・ブスターン洞の入口に描かれている水の女神アナーヒターは、水が迸り出ている水瓶を持ち、当時のササン朝女性の垂髪をしているが、これは、同じく水瓶を持ち垂髪のある観音菩薩の姿に類似していること。アナーヒターはまた豊饒の神としてギリシアのアルテミスやバビロニアのイシュタール女神と深い関係にあること。
④無量光など仏教の光明思想はゾロアスター教の光明信仰と関連していること。ゾロアスター教では、極楽の次に至高の天界があり、それを無限光と呼んでいる。
ゾロアスター教の極楽はまた歌の国であって、阿弥陀の浄土が楽の調べに満ちているというのに似ている。またゾロアスター教の不死の天使アメレタートが植物界を支配しているのも阿弥陀の浄土が花に満ちているのと類似している。
⑥ターク・イ・ブスターン洞の壁画には鹿と猪狩りが描かれているが、鹿狩は角から薬を採るためのもので、当時の楽園に鹿が飼われていた。日本でも宇陀野に皇室動物園とも言うべき鹿苑があり、薬猟が行われていた。
釈迦牟尼は「遊牧民族サカ族の無上に優れた者」という意味の仇名であり、釈迦には遊牧民ならではの大胆な進取性がみられること。さらにサカという言葉に鹿という意味があり、鹿を祖霊としていた部族ではないかということ。
⑧日本でも東大寺の大仏を作る前に、五穀豊穣と天候和順を祈願して、良弁が水の神としての不空羂索観音を造立したこと。その後、竜神、竜穴の湧水信仰と観音信仰が結合する形で浄土思想が産み出されていったこと。

 結論としては、仏教はインド起源とされるが、西アジア起源という要素も見捨てられないものがあるということ、そして日本にもその西アジアの影響が少しくあるということだと思います。(ちょっと単純化しすぎか)。


 その他本筋から離れるかもしれませんが、面白い指摘がいくつかありました。
ギルガメシュ、アッシュールなど西アジア古代の神々は人間と鳥獣の形姿を複合した具象化がなされているが、有翼人物は多能力、超能力をもつものとして崇められたということ。
②輝く鏡は古代民族の神話において太陽の分身、シンボルであった。北ユーラシアの石器時代には、太陽は生きた宇宙的存在の形で、光り輝く黄金の角をもち、一日のうちに東から西へ天空を駆け抜けたトナカイとして考えられた。
③ペルシアではハオマ樹の精汁から採った麻酔的なハオマ酒が不老不死の霊液とされ、ゾロアスター信仰の中心的儀礼にも使われた。が実はハオマ酒は葡萄酒で、ハオマ神はアーリア族の神ディオニソスであるという説もある。
④生命の水の精髄が凝固して珊瑚あるいは真珠になる。ことに真珠は貝が月より落つる豊饒の功徳ある露を受けて孕むものと信じられていた。→美しいイメージですね。
⑤インド仏教美術では、紀元前二世紀ごろにすでに、時間的推移を同一場面のなかに描きこむ絵物語り手法が確立していた。
⑥農耕社会では偶数が基本にあり、遊牧社会では奇数の三・五・七が尊ばれている。これは民謡の拍子の取り方にも反映している。ガンジス農耕帯で流布した仏教には四進法による名数が多く見られる。四天王、天竜八部衆十二神将十六善神、三十二相八十種好相など。
                                  

 仏教の経典に極楽浄土がどう描かれているかについての説明や、経典の極楽浄土とターク・イ・ブスターン洞や他の極楽浄土造形との関連についての言及がないのが、初心者としては少々物足りないところがありました。

 これからしばらく杉山二郎を読んで行こうと思います。