:ピエール・ルイスの評伝


沓掛良彦『エロスの祭司―評伝ピエール・ルイス』(水声社 2003年)

                                   
 『黒い瞳のエロス』を読んで、ピエール・ルイスの人物像に興味が湧いたので読んでみました。536頁にもなる大部の本で、横になって読むことが多いので腕が疲れました。

 著者はフランス文学は専門外と遠慮深げに言いながら、参考にしたテクストや文献は膨大な量で、その渉猟範囲は並みの専門家以上のものがあります。しかも「あとがき」で、和漢の書に興味が向かっているのでもう西洋の本は読まないというふうなことまで書いているのは、尋常な学究にはないスケールの大きさを感じます。

 ルイスの生涯を克明に追いかけていて、作品が成立するきっかけとなった出来事や、作品の内容についてもしっかり言及されています。とくに、ジッド、ヴァレリードビュッシーやワイルドとの交流の部分が詳しく、出会いから訣別までを、彼らとやり取りした手紙や、日記、兄ジョルジュへの手紙を引用しながら追跡しています。

 読後、絶頂から奈落に沈んでいくルイスの悲惨な境涯がやはり印象に残ります。ルイスが文学の道に導き、もしルイスがいなければ無名のままだったかもしれないヴァレリーがその詩論で一世を風靡しているときに、ルイスの出版した詩論は前世紀の遺物として顧みられず、かたやヴァレリーがアカデミー会員として国葬までされたのに、数少ない参列者のもとでわびしく埋葬されたという比較には悲しいものがあります。

 また、晩年ほとんど失明状態になったルイスが、それでもなお読書と研究をやめようとせず、拡大鏡を片手に、本の頁を手で探るようにしてかすんだ眼で活字を追い、書くときには手を支えてもらいながら、のろのろと一語一語紙に書きつけ、しかも自らの書いた字も判読できないという悲惨な姿(p443)には、鬼気迫るものがあります。

 それも、前回『黒い瞳のエロス』の時にも書いたように、ルイスが売文を拒否して収入がなくなったためですが、売文を拒否するというのは拙速の仕事を排除しようとしたからで、自らが納得できる完全無欠の表現美を追求していたとも言えます。ルイスは少年時代の日記に、「自分の求めるものは女たちと栄光だ」と書いたように名声は求めていました。それが後半生になって、詩の女神からも見放され名声の得られる作品が書けなくなったことで、勲章にすがったり、第一次大戦の従軍志願をしたりして名誉を求めるというふうに屈折していったようです。

 またルイスの致命的な性格として、人生の重要な局面に差しかかると、態度を曖昧にしながら安直な方に逃げを打つといった態度があると指摘していましたが、書けなくなった状況に直面して古典文学研究に逃げ込んだことが、ますます彼を創作から遠ざけていったようです。

 ルイスの生涯で一貫しているのは、ギリシア的な美の追求で、少年時代にギリシア語とギリシア文学に目覚め、その後訳詩集『メレアグロスの詩』、ルキアノス『遊女の対話』の翻訳をはじめ、創作でも中心となっているのはギリシアに材を採ったものです。そこにはギリシア化した東方世界の美意識が展開されています。一方、ルイスは、キリスト教以前の穢れを知らぬ裸体や官能の世界、恥とも罪とも無縁の世界を理想とし、キリスト教とくにプロテスタントに対して嫌悪感を持っていて、これはドイツとの戦争で従軍志願したように、北方嫌悪につながっていると思われます。

 ゴシップ的なところでは、『黒い瞳のエロス』では言及されてなかった(と思う)、兄ジョルジュが実は本当の父ではないかという説が一貫して出てきます。また『黒い瞳のエロス』では、マリー(レニエの妻)との不倫の息子ティグルがティナンの子である可能性があると匂わせていましたが、この本ではまったくそのことには触れていませんでした。

 著者の文章の特徴は、澁澤龍彦などとも共通する大上段にふりかぶった物言いというのが感じられるところで、一種の講談調とも言えます。また好悪をはっきりと表すのも特徴で、志賀直哉に対する侮蔑、ジッドの性格への非難、ゾラへの嫌悪がありありと出ています。またルイスが晩年になって半ば失明しいくつもの病に冒されながらも、性欲だけは盛んで、女性たちと交わることでさらに活力が増して創作欲まで高まるという記述の後、「うらやむべき特異体質」と書いているのは、著者の本音が出ていて面白い。

 実は、ピエール・ルイスの作品は『ビリティスの歌』ぐらいであまり読んだことがないので(『紅殻集』を読んでると思ったがどうやら読んでいない)、『紅殻集』『アフロディテ』『ポーゾール王』をはじめ、処女詩集『アスタルテ』、マラルメばりの秘教的な詩と言われる「イリス」、巧緻で秘教的な詩「イスティ」、アフォリズムの書『詩学』なども読んでみたいと思います。


 ルイスの言葉のいくつかが印象に残っていますので、下記に。

文学はそれを唯一の収入源としていない人たちにとっては、あらゆる職業の中でも最も自由で心地好い職業です。そうではない人たちにとっては、たとえ人に羨まれるような立場にいてさえも、これは不安定で絶えざる心労そのものなのです(p376)。

人生の目的は美の探求にある。して美は、われわれには形式によって顕われるのだ(p380)。

詩女神を信ずること。詩女神に沈黙と孤独を捧げ、その恩寵を待つこと。詩女神は言葉に先立って音を、文章に先立ってリズムを示唆することがありうるということ(p429)。