:MARCEL BRION『l’enchanteur』(マルセル・ブリヨン『魔術師』)

表紙
インタヴュー挿絵


MARCEL BRION『l’enchanteur』(CLUB DE LA FEMME 1966年)

                                   
 『Algues(海藻)』に続いてブリヨンを読みました。少々おとぎ話的なところはありますが、ブリヨンの小説のなかでは最上の部類でしょう。『Algues』に較べると文章はやさしかったように思います。

 読み始めてすぐにどこかで読んだことがあるような気がしてきました。まず、ホテルに滞在する話者といういつものブリヨンのパターンから物語が始まるところ。それに物語の舞台がサーカスであること。前回読んだ『Algues』にもサーカス小屋が出てきましたし、以前読んだ短篇の「Le nain Samuel(小人のサミュエル)」もサーカス芸人の話、他にも操り人形や劇場に関連した物語はたくさんあります。また話者が城壁のある町をさまよったり、庭園のなかに踏みこんだり、森の中の洞窟へ導かれたりするところ。

 この物語は、サーカスの演者たちの奇芸を想像力豊かに紹介するというところが眼目なような気がします。魔術師Tintagelの幻影を出現させる手品、椅子と話をする腹話術師、ひたすら歩きまわりながら人の真似をする男、自分の胸から引き抜いた剣を振りまわす道化師、宙に浮かびあがる女、それに昔懐かしいサーカスの演目、短刀投げ、熊使い、玉乗り、空中ブランコ、騎馬パレード、古い曲を奏でるオーケストラ、ハーモニカ吹きなど。

 この作品には、「奇術」に関して複数の表現が使われ、タイトルにもなっている「enchanteur(魔術師)」と「prestidigitateur(奇術師)」という言葉がよく出てきます。今月号の「中央公論」の鏡リュウジの発言で知ったことですが、パトリック・カリーという人が、マジックとエンチャントメントの区別をしていて、マジックは近代科学の前身にあたるもので、人間の意志のもとに世界を操作し改変しようとするもの、一方エンチャントメントは妖精の領域のもので、もう一つの世界を感知現出させ、この世界を美しく豊かにしようとするものと定義づけているのと符合するようです。

 主人公もMerlin、Tintagelという二つの名を持ち(それ以前にCagliostroと名乗っていたこともある)、副主人公の女性もBrocéliande、Vivianeという別の名前で出てきました。MerlinもBrocéliandeも騎士物語に出てくる名前のようですが、MerlinとBrocéliandeが芸名で、TintagelとVivianeが本名ということなんでしょうか。

 半神である主人公の魔術師が永遠の至福に飽きて、人間の幸福を得ようとするところが、この物語のメインテーマであり、それが物語を動かしています。人間にはいのちの限りがあるということで幸福が光り輝き、そして死ぬことで神と合一できるが、半神は中途半端な存在だと言うのです。物語の後半は、それが理屈っぽくなってきて、物語の展開を狭め、つまらないものにしてしまっているような気がします。


 面白かった場面は、Tintagelの魔術で、若者がガラスの幕に閉じこめられなかで鳥葬を体験させられるのが話者にありありと見える場面で、サーカスを見ている時間のなかに別時間が現出するところが出色。わずか数分の間に、何時間いや何日もの日が流れます(p54)。それから、椅子と対話する腹話術師のエピソード。椅子がまるで人間かのようにまくしたて、泣き声になって狂気にとり憑かれたようになる描写で、椅子が身をよじったとしても自然と感じただろうと思わせる芸の凄さ(p65)。また絨毯の文様のなかに、この作品の登場人物たちが塗りこめられ、茨や野薔薇の茂みの陰から顔を覗かせているという場面(p90とp228)や、ヴェニスの鉄工芸家の手により、鉄柵に動物や植物の形をした造形が施され、あまりにリアルでそのなかの猿が逃げ出したという、左甚五郎の伝説のような話も出てきました(p156)。廃墟の王宮で乞食のように寝ている呪われた腹話術師Pallingとの対話の場面で、立場が逆転してほとんど主人と化した傍らの彫像が代わりに答えるところは圧巻(p170)。最後に、主人公Tintagelが死ぬ瞬間に、みんなの眼に彼が黒い河に流されていく幻影が見えるところ(p241)。

 腹話術師の人形がまるで人間の子どものように生きているように扱われ、無言でも様々な表情を見せますが、これは人形を見ている人の主観でそう見えるわけで、狐や小猿の動きが人間のように描かれるところと同じです。

 「日本の芝居の幽霊のような道具係のように黒い衣裳で身を包んだ助手」(p40)という文章がありましたが、ブリヨンは日本の黒子をどこかで見ていたようです。


 巻頭に10ページにわたる著者へのインタヴューが置かれていて、これが貴重な情報です。奥さんらしき人の写真も載っています。いくつか知り得たことを紹介しておきます。
①ブリヨン家はアイルランドの出自で、18世紀に祖先が南仏に移り住んだとのこと。祖先を遡れば、1004年にデンマーク人と闘って殺されたアイルランド王Brian Boruに行きつくとのこと。
②1914年に兵役についた後、1925年まで弁護士活動をし、1923年から39年にかけてヨーロッパや中東のあちこちへ旅して、美術や文学を学んだとのこと。
③影響を受けた作家としてあげているのは、精神的な父親としてのゲーテ、他にノヴァーリスヘルダーリン。現代では、ジイド、ホフマンスタールリルケ、パピーニ、J・ジョイス、C・F・ラミュ、トーマス・マン、ヘッセ、ウナムーノ、カフカ。ドイツが中心のようで、フランス作家は1人しかいません。
④書くのにふさわしい場所としてあげていたのは、山や森があるドイツやイタリアやオランダの古い小さな町。