:Marcel Brion 『Les Ailleurs du temps』(Albin Michel 1987年)(マルセル・ブリヨン『いまではないどこか』)


 標記の本の中で、以前読んだ『Contes fantastiques(幻想物語集)』に入っていない7篇の短編を読みました。

 ブリヨンの最後の短編集、1937年から1984年までの作品を集めたものですが、死の年に書かれた3編は、ストーリー性も希薄でエッセイ風な文章になり、明らかに死を意識した、遠くへの憧れに満ちた作品となっています。
遠くとはアルプスの山小屋であったり、湖に沈んだ見えざる町キテージ、あるいは地底へと下りる深淵だったりです。 

 ブリヨンの作品には、人の住んでいない館や庭園、森、海辺、船、劇場、サーカス、霧、夜などがよく登場し、作品の大きな背景を形づくっていますが、もう少し小さな部分に目を向けて、この本の中でよく出てくるイメージを列挙すると、扉、それも中開きのもの、人形、とくに自動人形、弦楽四重奏、オルガン、鉄柵の門、ペルシャの絨緞、玄関ホールの薄暗がり、階段、蝋燭の明かり、バルコニーの手すり、小枝が絡まる木立、動物の形に切りそろえられたものが生い茂って怪物のようになっているツゲの垣根、山の稜線、夕暮、朝方の白んだ光、教会の尖塔、鐘楼、鉱石など。
 そうした舞台装置や小道具が詩的な情緒を呼び起こし物語を盛り上げています。


 恒例により、個々の作品を簡単にご紹介します。(ネタバレ注意)○はよかったもの。
○Le nain Samuel(小人のサミュエル)
サーカスの小人の辿る悲劇。小人のカップルがいかに結婚させられ子どもを作らされたかその顛末、そしてその子どもを見世物にされ、家族で逃亡するが、結局子どもも妻も死んでしまう。サーカスの照明に照らされた揺りかごの中の小人の赤ちゃんの小さな手が印象的。


Dolorès: une histoire de cigarettes(ドロレス、煙草譚)
公園のベンチで深夜煙草をくゆらしながら、ドロレスという煙草の思い出にふけっていると、知らぬ間に亡霊のような女が横に坐っていて昔の話を始める。最後に出会う女性が15年前に製造中止でないはずのドロレスを差し出し謎を残して終わる。女性との会話が抽象的でよく分からず興味が薄れかけたが、煙草についての文章はよく表現できていて、8年も禁煙しているのに煙草が吸いたくなってきて困った。ドロレスが実在の煙草かどうか知らないが、平たい形や金の刻印という風に描かれているので、ゲルベゾルテが近いような気がする。


Les Tubéreuses(月下香)
むせるような月下香の香りのする庭で、湖を渡って来る女性をひたすら待つ男の話。女性との想い出や湖の幻想に浸るうちに夕暮が迫るが、ついに女性は現れなかった。


○Une horloge(時計)
古い館の中に時計修理屋として紛れ込み偶然に修理が成功する。お礼に招き入れられたサロンの気詰まりな雰囲気から逃れようとして、最後は壁にかかっている絵の森の中へ入っていく。家に闖入した男が状況に合わせて骨董屋から時計修理屋に鞍替えする辺りはブリヨンにしては珍しくユーモア小説の味わいがある。死んだような運河の描写はローデンバッハを思わせる。


Le vieux chalet(古びた山小屋)
アルプス?の山小屋に寄せる思い。ブリヨンも高齢になりもうその地へ行くこともできないという遠い憧れに満ち、自分の死を意識した山小屋へのオマージュとなっている。抽象的で物語の起伏がなく難しかった。


○Ce pays qui n’est pas de maintenant・・・(今でない国)
湖に沈んだキテージの町を探す男の話をしながら、ここでないどこかへの憧れを綴った作品。だんだんエッセイに近づいている。今でない国とはすなわち死後の世界で、ブリヨンの死を意識した一篇。


Leçons d’abîme(深淵のレッスン)
地底旅行』フリークの父から、深淵下りや尖塔、山登りの訓練を通じて、空間の恐怖を支配することを教えられる話。『地底旅行』の登場人物と話者との関係が摑めず難渋した。