:MARCEL BRION『LA ROSE DE CIRE』(マルセル・ブリヨン『蠟の薔薇』)

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MARCEL BRION『LA ROSE DE CIRE』(ALBIN MICHEL 1964年)
 3年ほど前ネットでフランスからまとめて買った本のうちの1冊(09年1月18日記事参照)。写真のようにルリュールされています。

 冒頭からブルックナーの音楽のように、重厚で朗々とした濃密な文章が響き渡ってくる感じです。前回読んだジャン・ロランの文章と比較して、少々入り組んでいますがたいへん分かりやすい。

 読み始めてすぐ「蠟の薔薇」が死んだ修道女の顔を意味していることが分かりました。が、しばらく読むと、今度は本当に蠟の薔薇が出てきました。

 謎に満ちた物がいくつか登場して、それらが物語のキーになっています。共通しているのは、人間(もしかして神?)が匠の技で作った精巧な造作物であること。またそれらが現実と等価の世界をしっかりと持っていることです。その世界に対して、主人公(あるいは作者かもしれません)が、ドイツ浪漫派的な憧憬の感情を抱いていることが分かります。

 例えば、鳥が出てきて歌う煙草入れであり、蠟の薔薇であり、金属細工師の作業場の滝であったり、クリュニー美術館に展示されていた狩人と犬の模様があるレース刺繍、唇に指を立て「黙って」という合図をしている少女の絵の入ったロケット飾り、また島の教会の庭の羊飼いの彫像だったりします。

 もう一つの物語のキーは、主人公の彷徨とその先にある謎です。夜の彷徨のうちにたどりつく劇場、深夜彷徨うスペインアラゴン地方の教会と町、これは昼ですがリュクサンブール公園から女友達の家までの小路、昔女友達と行った島のなかの教会。

 それから人物も謎めいています。柩の中の修道女、劇場で出会い深夜の町を一緒に歩いた踊り子の正体は分からないまま。また物語の数少ない登場人物として、主人公の昔からの女友達と、新しく知りあった金属細工師の娘が登場しますが、主人公とこの二人のそれぞれとの関係が曖昧なうえに、この二人の女性同志の関係が敵対的で闘争的なようでいて親和的なのです。

 そのように謎の牽引力が物語を進めていきます。冒頭に登場する柩に眠る修道女は何者か。「死んで行きます」というメッセージを残した女友達ではないのか。その柩も最後には蝋燭や傍らで伽する修道女たちも含め忽然と消えてしまいます。
 
 鳥の歌う煙草入れは故障して鳥が出てこなくなってしまい、相当腕の立つ金属細工師にもその修理の方法が分かりません。中近東のバザールで買ったその品物はいったい誰が作ったのでしょうか。神の御業でしょうか。そうこうしているうちに、ある日作業場からその煙草入れは忽然と消えてしまいます。

 また蠟の薔薇の葉に書かれた読みづらい言葉、結末になってようやくスペイン語らしき3つの単語が読み取れましたがその意味は? そしてロケット飾りのなかの少女の「黙って」という合図は何を表しているのか? 夜の劇場で出会った女はいったい何者か。「とうとう私は死んで行きます」というメッセージを残した女友達は本当に死んでしまったのか。どこでどういう経緯で?

 結局すべては分からないまま、最後に「物事には秘密というものがあるのだ、人にももちろん。」という言葉で物語は終わります。


 ブリヨンの文章のひとつの特徴は持って回った言い回しにより、優柔不断なような曖昧な境地を描くところにあります。また一つのことを長々しく語り、また昔のことを咀嚼するように何度も反復して語るのが特徴で、そのくどくどしさに嫌気をさす人もいるでしょうが、それが好きな人にはどっぷりとそうした不思議な世界に浸れる魅力があり、たまりません。そういう意味ではブルックナーマーラーの音楽と似ているところがあるように思います。

 またブリヨンの物語には必ずと言っていいほど、劇場や、公園、夜の町を彷徨する場面、自動人形、彫像などが出てきますが、これも上記と同様、それがマンネリだといっこうに思うことなく、またブリヨンの世界に沈潜することができる嬉しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。