:Maurice Pons『Délicieuses frayeurs』(モーリス・ポンス『甘美な恐怖』)

                                   
Maurice Pons『Délicieuses frayeurs』(Le Dilettante 2006年)
                                   
 引き続きモーリス・ポンスを読みました。3年前パリの古本屋ジベール・ジョセフでの購入本。出版社の「Dilettante」はパリのオデオン座近くにあり、1Fで古本屋を営んでいます。

 121ページの薄い短篇集で、一週間ほどで読了しました。先日読んだ「Les Saisons(季節)」の興奮冷めやらぬなか、これらの短編も、緻密な文章とたくみな技巧でしっかりとした世界が構築されていて、小説を読む楽しみが存分に味わえました。

 9つの短編が収められています。古典的な幻想譚が4編「Un voyage de noces(新婚旅行)」「Le Violon(ヴァイオリン)」「La Sonnette(ベル)」「Déliceuses frayeurs(甘美な恐怖)」。幻想譚に若干のSF的味わいを加味した「L’Œil du chat(猫の目)」。それに残り4篇「La Fenêtre(窓)」「Noël au champagne(クリスマスのシャンパン)」「À l’ombre d’un bouleau(樺の木蔭で)」「La Vallée(谷)」は普通の短編ですが、いずれも登場人物が何かを思い込んだり、想像が膨らみ過ぎたりした末に、現実との乖離が生じて、絶望的な結末に至るという物語となっています。

 集中最高作は、「ヴァイオリン」で、楽器と結びついた音楽の魔力がテーマ。華やかな夜会だったはずの場所に2時間後戻ってみると、廃墟となっていたという場面が出色。「新婚旅行」「窓」「猫の目」「クリスマスのシャンパン」もそれに次ぐ佳編ですばらしい。「ベル」と「甘美な恐怖」もよくできた作品ですが、現代生活がリアルすぎる分、私の趣味から少しマイナスとなってしまいました。「谷」は「Les Saisons(季節)」の後半部とほぼ同じ物語だったので、新鮮な驚きには欠けてしまいました。「樺の木蔭で」は、文中のilsやleursが誰を指すかが私の語学力ではよく分からず混乱したのが評価の低かった要因です。

 いずれの作品も、小説の技法が巧みで、一つの事態を描くのにも、直接的な描写を避け、会話や別の事実から婉曲に状況を構築していくところや、人物の心理の動きを話の流れに沿って的確に捉えながら物語を進めていくところなど、基本がしっかりしていました。また「Douce-amère(甘苦茄子)」の短篇でもそうでしたが、どの物語も最後に一種の落ちがつくという短篇ならではの技巧が凝らされていました。「ヴァイオリン」や「甘美な恐怖」に使われている、あるはずの景色が変わっているというのも、幻想譚によく見られる技法のひとつ。


 以下簡単に各篇の概要を記します(ネタバレ注意)。
◎La Fenêtre(窓)
 病室に閉じこめられた4人の病人の唯一の楽しみは窓から見える世界だ。口数少ない窓際の患者が亡くなり、その後窓際に移った患者は窓から見える公園の日々の様子を克明に語り、彼らの喜びは倍加する。公園の人々に名前を付け安否を気遣うまでになった時、その窓際の患者が退院することになった。次に窓際に行った患者は口ごもりながら弱々しく質問に答えるだけ。その彼もやがて退院して行った。最後に残された患者が死の間際に、ようやく窓の外を見たら・・・。病人のわずかなものに幸せを感じる弱い心の美しさと、病人たちのお互いの気遣いがひしひしと伝わる佳編。涙が出そうになった。


◎Noël au champagne(クリスマスのシャンパン)
 クリスマスの夜24時間の休暇をもらった水兵がひとり町へ出て、縁日のルーレットでシャンパンを獲得する。意気揚々と町をさ迷うが、シャンパンを持っているせいでレストランやカフェに入れない上に、シャンパンを紙で隠そうと剥がしたポスターが皇室の告知だったために、現行犯で捕まってしまう羽目に。そして留置所でやけくそで飲んだシャンパンは・・・。自虐小説か。華やかなクリスマスの夜に溶け込めない船乗りの寂しさが迫る。


À l’ombre d’un bouleau(樺の木蔭で)
 太陽の照りつける南洋の小島が軍隊に乗っ取られた。占領下の村で、姪に洗濯物をお願いしようと出かけた村の老婆が、言葉を知らなかったために、兵士の誰何に答えられず銃で撃たれてしまう話。


○La Vallée(谷)
 雨の降り続く貧しい村に訪れた二人の異人から、山の向こうには常春の村があり、おいしい米が取れるという話を聞き、村人たちは村を捨て脱出する。が苦労の末たどり着いた峠の国境で、常春の筈の向う側から寒さに震えながら村人たちがやってくるのに出会う。


◎Un voyage de noces(新婚旅行)
 新婚旅行の二人が廃墟の宮殿の墓所らしきところで、エメラルドのペンダントを発見した。新郎はそれを新婦の首にかける。だが翌朝ナイトテーブルに置いた筈のペンダントが忽然と消えていた。7日後旅行の最後に宮殿を再訪した時、あのエメラルドが金の鎖を引きずりながら元の場所に向って地面を這い進んでくる光景を目にした。7年後のいまも彼女の首にはまだあのペンダントの残した痕が残っている。語り口、舞台設定は幻想譚にふさわしいが、前半の盛り上がりに比して結末は尻すぼみの感がある。


☸Le Violon(ヴァイオリン)
 音楽学校の生徒が学校の帰りに、先生と出くわし、そのまま連れられてある貴族の邸宅の音楽夜会に行く。そこでいきなりヴァイオリン演奏の初デビューをさせられ、魔に憑かれたような演奏を披露し喝采を浴びる。ところが家路についてから、先生が大事にしている高価なヴァイオリンと入れ替わっていたことに気づく。慌ててヴァイオリンを返しに貴族の邸宅に戻ると、すでにそこは廃墟、工事現場の様相を呈していて、埃の積もったピアノの上には先生のヴァイオリンケースがあった・・・。結末も茫洋としたまま終わる音楽幻想小説


○La Sonnette(ベル)
 朝の4時頃にベルの音が聞える。彼女がまたやって来たのだ。初めて彼女が夫の暴力から逃げてやって来た時のことや、誕生日にもらったプレゼントのことを思い出しながら、下に降りると彼女の姿はない。また寝ようと戻りながら思い出したが、医者から薬をもらっていたんだ。ベルの音の幻聴を抑える薬を。すべては語り手の妄想であった。


◎L’Œil du chat(猫の目)
 平原で見つけた片目の猫の仔が命じるままに、旅に出た新婚の二人。たどり着いた島では原住民が手厚くもてなしてくれ、廃墟の宮殿に泊まる。その夜二人は怪音とともに、猫の目が空高く登って行き、星の間に消えるのを見る。宮殿の扉に書かれていた文字ⅡⅩⅩⅩⅣが2時34分に奇怪な現象が起こるのを予兆していた。猫が神のように物語を支配し、猫の眼と星がシンクロしあう不思議な物語。ルドンの大きな目玉を思い出す。


○Déliceuses frayeurs(甘美な恐怖)
 近道をしようとした鉄道の高架下の道で、対向車のオランダから来た救急車が事故を起こし、救急薬を病院に届けるよう頼まれる。その病院は妻がオートバイ事故で右手を失くした時に担ぎ込まれた病院だった。病院へ行くと、そこには病院の跡形もなくマンションの工事現場があるだけだった。車に戻って憑かれたように箱の中を見てみると、妻の失くした右手が入っていた。「あのオランダ野郎め」と逆上し、戻ろうとした途中タンクローリーと正面衝突してしまう。担ぎ込まれた病院で心配そうに見守る妻にはなんと右手があった。オランダ人の救急車、妻の事故はすべて妄想だったのか。