:折口信夫『死者の書』

                                   
折口信夫死者の書』(中公文庫 1974年)


 「死者の書」ともう一篇「死者の書」の注釈とも言える「山越しの阿弥陀像の画因」が収められています。先週、當麻寺に行った際、當麻曼荼羅を織った中将姫のことが書かれていたこの本のことを思い出し、往復の車中で読みました。昔読もうとして、文章が難しくて物語の脈絡が捉えられないまま、途中で投げ出していた本です。山の上に阿弥陀仏の幻影を見る場面だけは覚えていました。

 當麻寺で、中将姫伝説の概要を知ったうえで、読んでみたからでしょうか、およその内容が理解できました。千巻の写経をし曼荼羅を織りあげたという中将姫の伝説と、謀議を計った罪人として二上山に埋められた大津皇子の悲話、恵心僧都の山越しの阿弥陀幻視の3つが折り重なってできた物語です。

 中将姫の編んだのが、ここでは曼荼羅ではなく、衣服であり、その上に色絵具で自分の見た幻視の絵を描くという設定になっています。姫は二上山の上に阿弥陀の面影を幻視しますが、その面影はどうやら二上山の塚に葬られている大津皇子の魂のようなのです。大津皇子の恋人への執着心が対象を中将姫に乗り換えて現われたのです(これは私の見当違いかもしれない)。

 この本の魅力的な場面は、まず冒頭の大津皇子らしき死者が土中で独白するところで、体の各部の呼称が独特の用語で表現されていて、身体感覚がありありと実感でき、生々しい息遣いが聞こえてくるような文章です。一目見ただけの耳面刀自(みみものとじ)という女性への恋心と、もはや骸となってしまった我が身への焦りに悶える様が描かれています。具体的に大津皇子の名前は出てきませんが、引用されている短歌を調べると大津皇子だということが分りました。

 それから、中将姫が二上山の上に阿弥陀仏の幻影を幾度か見るシーン。「夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳な人の俤が、瞬間顕れて消えた」(p53)というのが最初。「中秋の日の爛熟した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐・・・其時、男嶽・女嶽の峰の間に、ありありと浮き出た、髪 頭 肩 胸」(p54)と続き、この物語のいちばん美しい場面と思われる、姫が白玉の骨を見るシーン(p110〜112)の後3回目に幻視する場面(p113)。

 そして「蒼白い菫の花びら」の「仄暗い蕋(しべ)の処に、むらむらと雲のように動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂ひ出た荘厳な顔」(p130)、「しずかに雲はおりて来る。・・・雲は揺曳して、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた」(p145)という具合に、徐々にその姿を現わします。最後には「やがて金色の雲気は、次第に凝り成して、照り充ちた色身―現し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた」(p158)という風に、上帛に描かれ浮き出てくる姿として現われます。

 現代に書かれた小説でありながら、なにか古典文学を読んでいる気にさせる独特の言葉遣いが作品の魅力となっていて、これは長年の国文学の研鑚の素地が生みだしたものでしょうから、凡庸の人の真似のできるものではありません。また、「した した した」とか「こう こう こう」「をゝ…をゝう…」「ほゝき ほゝきい ほゝほきい」「つた つた つた」「あっし あっし」など、擬音の巧みな使い方が雰囲気を盛りあげています。

 悪口を言えば、いくつかよく分からない本の作りになっていて、表紙にエジプトの「死者の書」の絵がありますが、これが本作品とどういう関係があるか不明なこと(まさか題名だけが同じということではないでしょうね)、口絵に山越しの阿弥陀像の写真が1点添えられていますが、題字、説明がまったくなく、解説にもどこにも書かれてないので、「山越しの阿弥陀像の画因」でいくつか紹介されている中のどの「山越しの阿弥陀像」か分からずまごついてしまったこと。また、巻末の川村二郎の「解説」は、「弁証法」やら「ヨーロッパ精神」という場違いの用語を駆使した、学生気分の抜け切れない過剰な思い入れがあるもので、その割には、大津皇子や恵心僧都のことには一切触れられておらず、中将姫についても名前が1回出てくるだけです。これは解説としてはどうなんでしょうか。