:森豊の葡萄文様に関する本2冊

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森豊『海獣葡萄鏡―シルクロードと高松塚』(中公新書 1973年)
森豊『葡萄唐草―シルク・ロード幻想』(小峯書店 1968年)
                                   
 先月、奈良国立博物館正倉院展を見に行きました。正倉院展は行ったことがなかったので、その混雑ぶりに驚いてしまいました。人ごみを掻き分けながら眺めたなかで、いちばん印象に残ったのが、海獣葡萄鏡2点で、ひとつは四角い鳥獣花背方鏡、もうひとつが円い鳥獣花背円鏡です。

 それに刺激を受けて、家に帰ってから本棚を眺めていたら、まさしく『海獣葡萄鏡』というタイトルの本を見つけたので、読んでみました。森豊の本は、古本が趣味の方ならあちこちで見かけてよくご存じのとおり、シルクロード関係のシリーズをたくさん書いている人で、私もタイトルに釣られてたくさん所持しておりますが、実は一冊もまだ読んでないのです。

 そんな著者はまだたくさんいます。なぜか読んだことがない人の本でも、面白そうだと確信して次々に買ってしまうのは悪い癖です。それでも実際に読んでみてまだ裏切られたことはほとんどありません。

 今回もなかなか面白く読めました。ひとつは文章が平明で分かりやすく、感情がこもっているのが感じられるからです。毎日新聞の記者を長く務めた方のようで、読者と学者の橋渡しをするような立場の人だからできる芸当でしょう。論文を読む堅苦しさはなく、ときに発想が飛躍したりするところがまた魅力です。高齢社会になって歴史好きの人が増えているので、いま森豊の本を編集し直して出版すればけっこう売れるような気もします。

 しかし逆に言うと、学者ではないので、著者が独自に調査研究して何かを新しく発見したというのではなく、既存の学問を自分なりに咀嚼して紹介するということで、分かりやすさの反面オリジナリティに欠けるという面はあります。テーマは違いますが同じような感じの人は、新聞記者出身で言えば、森本哲郎が思いあたるでしょうか。

 著者について調べようとネットを探した時、あれほどたくさんの著書のある森豊がウィキペディアに載っていないので驚きましたが、そうした点が幾分影響しているのかもしれません。


 『海獣葡萄鏡』では、日本の鏡がどのように中国から伝わり製作され使われたかに始まり、次に、鏡に描かれている葡萄文様やそれに関連した葡萄栽培について、中国から、遠くは中東・ヨーロッパに至るまでを辿っています。その主な論点、印象に残る説は次のようなものです。

①鏡は中国からもたらされたが、鏡とともに技術者が渡来してきたことで、次第に国内でも製作されるようになった(p19)。
②鏡は神体の分身で、祀るべき存在であり、はじめは呪術的な役割を担っていたが、次第に化粧を用途とするようになり、芸術的な装飾が施されるようになった(p22)。
海獣葡萄鏡は唐時代に日本にもたらされたもので、これが決め手となって法隆寺が再建された事実が判明した(p29)。
④白村江敗戦を契機に、唐から六回にわたって大使らが精兵二千人を率いて日本に来たが、これはまさに武力を背景とした駐留軍のような趣きのあるものだった。その圧力を背景にして大海人皇子壬申の乱を起こしたのではないか(p52)。
古代オリエントの神殿の門前にうずくまる獅子やスフィンクスが東方に伝えられ、朝鮮半島を経由して高麗犬(狛犬)となる流れの一方(p42)、インドから入った仏教の獅子座の系統がある(p82)。
⑥当時これほど葡萄文様が流行したのに、葡萄の果実の文献はまったく見当たらないし、また葡萄酒も見えない(p37)。
⑦孔雀はインドでは霊鳥として尊ばれ、死者の魂を運ぶ神の使いと考えられた。マウリア王朝のマウリアとは孔雀のこと。また孔雀の羽には眼のような斑文がいっぱいついていて、それが美しく輝くので、ペルシアでは悪魔をにらみ返す力をもった眼のシンボルと考えられた(p126)。
⑧文様は原始古代においては呪術的な信仰に基いているが、後に美術的・芸術的意図のもとに造型されたときには、装飾や美の追求として描かれるようになる。これは音楽や演劇や絵画・彫刻といった芸術の諸現象と、その流れを同じくしている(p143)。


 『海獣葡萄鏡』が面白かったので、同著者による似たようなテーマの『葡萄唐草』も読んでみました。前半は『海獣葡萄鏡』と重なる部分が多かったですが、後半は中東からヨーロッパにかけて、いかに葡萄が精神世界の中心となっているかについて、『ギルガメシュ叙事詩』や『旧約聖書』『新約聖書』を引用しながら論述されています。

結論としてはおおよそ次のようなものです。葡萄唐草の文様は、イラン近辺で、樹木信仰、聖樹崇拝の下に誕生し、アジアの東に向かうとともに単なるエキゾチックな装飾文様となり、西ヨーロッパ世界に向かうとともに精神的なものをもった装飾文様になった。(ちょっと簡単すぎましたか)

 無知をさらすようで恥かしいかぎりですが、いくつか知らなかったことなど印象深い部分をご紹介しますと、

岩波文庫の表紙に描かれた文様は葡萄唐草で、奈良の正倉院に宝蔵される「禽獣葡萄背方鏡」といわれる鏡の文様の一部を使ったもの(p6)

日本で葡萄が栽培されたのは鎌倉時代甲州において発見栽培され、源頼朝に献上されたものをもってはじめとするという。(p33)

遠い弥生文化のころから・・・絶えず文化の源泉を中国に仰いできた。そしてそれが、もっとも華々しい形をもって行なわれたのが奈良時代だといえる。(p46)

一高寮歌の「ああ玉杯に花うけて、緑酒に月の影やどし・・・」というのも、こうした唐詩の影響の下につくられたという。そうすればこれも葡萄酒ということになろうか。(p63)

胡人の酒舗にあって酒間をとりもった美人が、西方の金髪緑眼白皙の胡姫で・・・その舞は胡旋舞という。(p66)

中国トルファン製の干葡萄・・・白緑のややくすんだ細長い宝石の粒のような干葡萄で、馬乳葡萄といわれるもの、甘く、やわらかな香気があって、今までの干葡萄の観念と全く異なった美味であった。(p95)

唐対アラブの世紀の決戦・・・勝利はアラブ軍に挙がり、唐側の士五万人が戦死、二万人が捕虜になったという。西暦七五一年の真夏のことであった。・・・中国の製紙の法がはじめて西方に伝わり(p130)