:ピラネージに関する本二冊

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 マルグリット・ユルスナール多田智満子訳『ピラネージの黒い脳髄』(白水社 1985年)
ピーター・マレー長尾重武訳『ピラネージと古代ローマの壮麗』(中央公論美術出版 1990年)

                                   
 版画の本を読んで、何人かもう少し詳しく知りたいと思う作家がいたので、まずピラネージから読んでみました。いずれも大事に置いておいた本です。ピラネージについては、学生時代に澁澤龍彦の『幻想の画廊から』で教えられたのがはじめだったと思います。閉じられた牢獄のはずなのに、無限に上に続いている不思議な空間、そしてその全体を下から見上げているような構図が印象的でした。

 その後、筑摩書房の『世界版画 ピラネージと新古典主義』や展覧会の図録を入手したりしました。残念ながらこの展覧会には行ってなかったと思いますが、数年前「ユベール・ロベール展」で併催されていた「ピラネージ展」は見ました。最近ではJOHN WILTON-ELY編Michael Callum訳『PIRANÈSE LES VUES DE ROME LES PRISONS』(Arts et Métiers Graphiques、1979年)という大判の画集まで買って、その迫力を味わっているところです。
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 この二つの短いエッセイは、片方は美術史の専門家、もう片方は文学者が書いたものですが、両書とも、ピラネージの作品の特徴がどうして生まれたかを中心に、生涯に沿って具体的に叙述していて、要領よく簡潔にまとめられています。とくに、ユルスナールは絵の専門家でもないのに、克明な観察で深く追及していて、ピラネージの内奥に迫っている印象がありました。

 両書を通じてショックだったのは、ピラネージの《牢獄》は内面の苦悩から生れた深刻な画風だと思っていたのに、「《牢獄》のうすっぺらな版画集は、実のところ、これまたすでに確立されたほとんどの流行のジャンルに属するものであった」(『ピラネージの黒い脳髄』p15)とか、廃墟画は一部のマニアックで頽廃的な愛好家のものだと思っていたら、「同じような例は今日山ほど残されており、この種の観光客用みやげが当時いかに人気を集めていたかを物語る」(『ピラネージと古代ローマの壮麗』p20)とあっさり書かれていて、神秘的な雰囲気が壊れてしまったことです。


『ピラネージの黒い脳髄』は、時として文学者風の雰囲気のある言い回しが出てきて、何となく分かったような分からないようなところもありましたが、時代精神という観点と、バロック美という視点が特徴的で、その主張をいくつかピックアップすると、
①ピラネージは、ルソー、ディドロ、カザノーヴァと二、三歳ちがい、ゴヤゲーテ、サドよりも、一世代だけ年長で、18世紀の事象のあらゆる反響が作品のなかにあること(p14)。
②ピラネージの版画集は、家にいたまま旅を夢みた18世紀の商人や趣味人のために、今日の芸術的な写真集の受けもっている役割を果していた(p15)。
③突然の均衡の破れ、遠近法の意のままの修正、量感(マッス)の分析、影と光の大仕掛けな意想外の戯れ、永遠の天空、動的な照明。これらは彼のバロック的特徴である(p22)。
④ピラネージの廃墟の形象は帝国の栄枯盛衰や人の世のはかなさを強調するためでなく、事物のゆるやかな消耗や建造物の内部で耐えている石塊の不透明な在り様についての瞑想をうながすものである(p24)。
⑤画面に描かれた乞食の存在は、ピラネージの荒涼たる古代遺跡に、ある危機感の暗示を与えている。文字どおり廃墟がうごめいているのだ(p30)。
⑥《牢獄》の第二版に加えられた変更は、墨を使って線影を増やし、大きな明るい空間を減らして、影の部分を暗くし広げたこと。それに、車輪、滑車、クレーン、巻揚機、巻轆轤など謎めいた機械をつけ加えたことの二つ(p35)。当初は量感と空間に酔いしれた単なる建築家的幻覚だったが、標題を正当化するために、現実の監獄や拷問を思わせる細部をつけ加えたのだ(p39)。
⑦広間の奥に小さく描かれた人物はバルコニーまでの距離の膨大さを示しており、また中心が存在しないために広間のあらゆる方向に類似の広間が広がっていると思わせる。これはこの暗い宮殿が夢にほかならぬことを証明している(p46)。
⑧底なしでありながら出口のない深淵、これはありきたりの牢獄ではなく「地獄」であり、密室恐怖症的でありながら誇大妄想的な世界は、現代の人類が日増しに閉じこめられつつある世界を想い出させずにはおかない(p58)。

 この本の難点は、挿絵の版画と本文との関係がよく分からないところです。ところどころにピラネージの版画が挿入されていますがその必然性が分かりません。逆に本文の説明に出てくる版画作品の実物を見てみたいと探しても該当するものが見当たりません。不親切極まりなし。


 『ピラネージと古代ローマの壮麗』は、ピラネージの画風が成立するまでの下地となった他の作家たちの作品を追いかけているところが特徴的。いろんな画家の名前が出てきました。印象的な指摘をいくつか抜き出しますと、
①ピラネージの作品の成立には、オペラの舞台背景の技法である「シェーナ・ペル・アンゴロ(角度をもった背景)」の影響が大きく、その透視画法により構図に奥行が与えられ、さらに短縮法により石造建築の巨大な塊が持つ圧倒感が表現されるようになった(p49)。
②もうひとつの演劇的要素は前景の人物の激しい身振りで、その身振りのもどかしさが彼らを包みこむ廃墟の永遠性を感じさせ、彼らがいかにちっぽけな存在であるかを教えている(p49)。
③銅版画の技法から考えると、売るために十分な印刷量を確保するために昔の銅版を再処理したので、どうしても調子が暗くなっていったこと(p55)。またピラネージは「ピラネージの腐蝕液」というものを考案したことからも分かるように、腐蝕液の工夫が優れていた(p101)。

 ピラネージが実際に建てた建築物が残っているとのことです。アヴェンティーノの丘にあるマルタ騎士団の聖堂と広場がそれで、写真が載っていました(p82)。

 この本で印象的だった版画もしくは絵画は、
マルコ・リッチ「廃墟」「古代ローマの廃墟のある風景」
カナレット「ローマのティトゥス凱旋門
ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ「コロッセウムのある奇想」
ジョゼッペ・ヴァージ「カンポ・ヴァチーノ」
ピラネージ「マクセンティウスのバシリカ」「ネロの水道橋」「ディオクレチアヌスの大浴場」「ローマの遺蹟」第二巻の口絵、「想像の牢獄 五」「カピトール」


 次はメリヨン、カロと読み進む予定。