:読書に関する二冊

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鹿島茂『成功する読書日記』(文藝春秋 2002年)
エミール・ファゲ石川湧訳中条省平校注『読書術』(中公文庫 2004年)
                                   
 今さら読書に関する本を読んでもとは思いましたが、やみくもに本を読んでつたない感想を綴っている私としては、少しでもこのブログを改善できればとの願いがありました。とくに鹿島茂の本は、読書日記のつけ方なので、直接的な参考になるかなと思って。

 鹿島茂の本は、初心者のために実践的な読書の仕方をアドバイスするというスタンスで書かれたもので、ご自分の経験を率直に語っていて、好感が持てました。そのアドバイスは、私が実践していることと重なることも多く、ひとつは、読後その本を何段階かに分けて評価すること、これは私の場合、◎○△×の4段階を記していて、時たま興奮して三重丸をつけることもあります。それから、下手な論評を書くよりは気に入ったフレーズを引用すること、これも学生の頃から続けていることです。

 その他、引用の次の段階としては要約することが理解を進めてくれるとか、ある程度量を読むことが大切ということや、読みにくいところは飛ばしてでも最後まで読むことのほうが重要とか、〆切を決めると読むスピードがアップするとか、書店は自分に合った店を決めて定点観測的に訪れるのがいいということ(これは最近実践していない)など、納得のできるものでした。本の蒐集についてのひと言、「コレクションそれ自体が意志を持ちはじめ、私に勝手な選択を許さなくなってくるのです。」(p12)、これは恐ろしいことですが、確かに思い当たります。

 私と違っているところは、鹿島氏が、同時に5,6冊並行して読むことを奨めているところです。それは鹿島氏の頭脳と体力がなせるわざで、私の場合はそんなことをしたら頭が混乱してしまうと思われます。フランス語と日本語だけは並行して読んでいますが、雑誌も含め1冊を読み終わるまでは他の本は読まないことにしています。

 読書の技術として一つ付け加えることがあるとすれば、やはり立読がお勧めです。フランス語の本を読む場合は、本棚の眼の高さのところに書見台を挿しこんで立って読んでいます。これなら眠くなりませんし、読みながら辞書が楽々引けます。それからもう一つ、フランス語に限らず、集中力が散漫になって来た時は声を出して読むのも効果的です。

 実践例として示されている読書日記で、驚いたのは、鹿島氏の精力旺盛さで、ご専門のフランス文学はもとより、歴史、国際関係、経済、経営など興味の範囲がとても広いこと。会社経営に関心があるのは、文学者にはめずらしいことです。それに、オリジナルで的確な論評がなされていて、頭脳の明晰さが推し量れます。


 『読書術』は、「解説」で中条氏が指摘しているように(p253)、フランスのモラリストの系譜につながる本です。読書や批評を題材にしてはいますが、基本的には人間観察の書で、人間の心理の微妙なところを、心の裏側にまで入りこんで、克明に解き明かしています。警句的な表現の切れ味も鋭い。例えば、第一章が始まってすぐ、「性急は、怠惰の一形態にすぎない。」(p14)などと書いてあったりすると、ドキッとしてしまいます。

 その分、中条氏が「けっしてすいすいと調子よく読み進められるような安直な本ではない」(p247)と書いているように、フランス風の持って回った表現が分かりしにくくしているところが多々あります。第二章「思想の書物」、第三章「感情の書物」、第四章「戯曲」と読み進んで、これは難しくて困った本を手に取ってしまったと思ってしまいました。表現の分かりにくさ以外に、人名や作品名、登場人物名が、読者が当然知ってるものとして頻出しているせいだと思います。

 ところが、第五章「詩人」からは俄然面白くなりました。実際の文章や詩が豊富に引用され(原詩も掲載されている)、それらが音律や諧調の面から、分りやすく丁寧に説明されていたからです。ファゲはもともと詩学の先生だったようです。第六章「難解な作家」以降は、モラリストである著者の独壇場で、第六章では、わざと難しく描こうとする人間の愚かな振る舞いがときには滑稽と思えるほどに描かれ、そのうえで、晦渋さは読者の都合の良い解釈に委ねられる性質があることや、晦渋さの裏に隠れた本心を見つけるのは賢明な読者の訓練になることなどを語っています。

 第七章「悪作家」では、どんな悪い本からでも人は教訓を読み取ることが可能だが、それ以上に悪い本に染まる人の方が多いことを指摘し、次の第八章「読書の敵」では、著者に嫉妬する心や、ベストセラーしか読めない臆病さが読書の敵だとし、また素直に感動する心と批評したがる心の葛藤を描いています。第九章「批評の読書」では、批評を文学史的なものと批評に分別し、本を読む前に読んでいいのは文学史的なものだけであり、批評は自身での理解を妨げるので読書の前に読んではならないと警告しています。


 とつたない感想を書いてきましたが、引用の方がいいということなので、以下、気に入ったフレーズを引用します(すべて『読書術』より)。

諸君はあたかも人がヴァイオリンを弾くことを学ぶように、即ちそれを享楽することを知り、そしてそれを享楽しながら可能なる最大の快楽を得んがために読むことを学ばんと欲するのか?・・・私がここに書きはじめるこの小さい書物がささげられているのは、唯この技術にだけである。/p10

世には・・・ゆっくりした読書に耐え得ぬ書物がある・・・しかしそれは正に決して読んではならぬ書物である。/p15

哲学者を読みながら人の求める快楽は、思惟することの快楽である。/p32

あらゆる悪徳を、そしてまたあらゆる美徳を描くのに、ほとんど自分だけで充分であろう。・・・我々各自は一つの小さな世界であって、そこに全世界が要約されて見られ、また萌芽として真に存在しているのである。/p46

音楽のみが、生活から逃れることを可能ならしめ、生活から抜け出すことを援助する、まことの芸術である。それは夢想の表現そのものである。/p55

詩の読者は、自分が暗号を知っていることを知っているか、あるいは知っていると信じている。それ故に・・・詩の読者はほとんど常に尊大である。/p60

脚本を読み得るためには、かなりしばしば芝居に行ったことがなければならぬ。何故ならば、脚本を読みながら、それを見ること、劇場において見たと同じように想像力の眼を以てそれを見ることが、必要だからである。/p74

→CDで聴く音楽とコンサートの関係もしかり。

一挙にして汲みつくされるような思想は、確かに陳腐なものでしかない。しかし独創的な思想は先ず近づき易いものであり、またいわば歓待的なものであるべき/p139

本当のところを言えば、人は退屈さえしなければ、書物を開くというこの自己抛棄と謙虚との行為を決して行いはしないだろう。・・・読書は、自尊心に対する倦怠の勝利である。/p169

発見に赴くこと―これは読書の最大の楽しみの一つである/p173

美しいものを享受するのを妨げるのは、その美しいものを悪いものと見ようとする羨望である。/p187

何故泣くことを恥じるのか・・・笑いは精神の全自由を残しておくが、涙は人がその自由を失ったことを示し、題目と作者とにによって心の底まで刺し通され捉えられたことを示すからである。/p190

ふたつの教育がある―第一は人が学校において受けるもの、第二は人が自分に与えるところのもの。第一の教育は不可欠である。しかし価値のあるのは第二の教育しかない。/p217

考えるために書物を必要としない人々は恐らくは幸福である。そして書物を読みながら、著者が考えているところのことしか正確に考えないところの人々は、明らかに全く不幸である/p232

→これは耳が痛い。