:ANDRÉ DE RICHAUD『LA NUIT AVEUGLANTE―Le livre maudit d’un écrivain maudit』(アンドレ・ド・リショー『目眩む夜―呪われた作家による呪われた書物』)


ANDRÉ DE RICHAUD『LA NUIT AVEUGLANTE―Le livre maudit d’un écrivain maudit』(MARABOUT 1972年)

 一昨年、パリの「L’Amour du Noir」というミステリー専門古書店での購入本。作者についてはまったく知りませんでしたが、マラブ叢書ということと、タイトルだけで購入。

 一読して怪作の印象がありました。設定がとても奇妙で非現実的、なおかつ、ほとんどが主人公のモノローグ。理屈っぽい文章が並んで脱線が多いのはフランス文の特徴だとは思いますが、なかなか話が進展しません。ですが、ところどころ鮮やかな情景の浮かぶ印象的な場面があったり、幽霊物語風の挿話があったりと、本を放り出すところまではいきませんでした。


 簡単に内容を紹介しますと(ネタバレ注意)、
 村から遠く離れた山奥の谷間の廃屋に独り住んでいる男Cyprienの回想という形で話は進む。彼は18歳の時、2階の窓から村の宗教儀式の行列を悪魔の面を被って驚かしたが、罰で面が貼りついて取れなくなってしまう。司祭の祈りも効果なく、パリからの医者も処置できないまま、家族に迷惑がかかることを恐れて村から離れ独り山奥に閉じこもったまま、22年と40日が過ぎたのだった。廃屋の周辺以外には行かず、鏡や井戸など顔が映る物はすべて壊したり埋めたりして、逼塞して暮らしてきたが、働くことはしない。というのは、水道の蛇口からはなぜかワインが出てくるので、それだけを飲んで生き延びてきたからだ。

 ある夜、廃屋から少し離れた廃墟の中で、4人の哲学者が瞑想後、急に下品な歌をうたいながら踊り出し、首長が落とした入れ歯を争う姿を垣間見る。また別の日、誰かの呼声が聞こえたように思い、廃屋から逃げ出そうとして門まで行った時、廃屋のすべての窓から祖先たちが嘲笑っている幻影を見て留まる。憧れの女性を思い出し庭の石の下に恋文を入れておくと翌朝なくなっていた。しばらくしてまた呼声が聞え探すと居間に若い女性の首だけが浮かんでいた。娘は長々と喋り、あげくの果てに自分の物語を書いてくれと頼む。彼女はフランス革命期の貴族だったのだ。

 (挿話)ドイツの学生がパリへ幻視者についての勉強に出てきたが、その時ちょうど革命が勃発した。夜さ迷っていると、ギロチン台の階段の下でうずくまっている女性を見かける。家まで送ろうと申し出ると、墓の中ですと答える。自分の下宿に連れて帰ってみると、簡素な服だがダイヤモンドがちりばめられたリボンを首に巻いていて、理想の女性のように美しかった。二人は意気投合したので、翌日結婚することに決め、学生は友人の家に泊まりに行った。翌日結婚準備の買い物をして部屋に戻ってみると、女性はベッドから上半身をはみ出して死んでいた。警察を呼ぶと、昨日ギロチンで処刑された女性だと言う。首のリボンを取ってみると、首が転がり落ちた。

 Cyprienのまとめた文章を首が批判したので、彼は怒って外に出て、しばらくして戻ってみると、首は死んでいた。首を葬ろうと、首をランプのようにぶら下げてできるだけ遠くまで行こうと歩いた。川に出たが、橋が折れていて、ずっと昔からそこにあるように馬車が水に浸かっていた。中を覗いてみると首のない女の死体があり、そこに持って来た首を放り出すと、目が一瞬赤く輝いて消えた。

 台所の奥の部屋に通じる黒い扉を叩く音がする。中から水を飲ませてくれという声がして、ワインを扉の下に流すとぴちゃぴちゃと舐める音がする。なぜ囚われているかと訊ねると、囚人は身の上話を始めたが、何分か聞いただけでそれはCyprien自身の話だということが分かり扉を離れた。囚人はCyprienが聞いてくれないと分かると1週間叫び続けた後死んだ。

 嵐の晩に、雷に打たれ半身を黒焦げにした少年が戸口に現われる。顔もちょうど真中から半分が焼けていた。不思議なことに少年はCyprienの姿を見ても驚かない。Cyprienは手を自分の頬に当ててみるとつるっとした肌に触れた。外に出て水たまりに身をかがめて見ると、老けてはいるが18歳の時の顔だ。とっくの昔から悪魔の面は顔からはずれていたのだ。家に戻ってみると恩人の少年の姿はなかった。貯水槽のなかへ消えたようだ。

 新しく生まれ変わると同時に水道からワインも出てこなくなり、Cyprienは村へ帰ろうと思ったが、誰も信じてもらえないだろうし、修道院へ行くことや廃屋でこのまま死ぬことなども考えた。雪が降ってきたので、歩けるところまで歩こうと廃屋を後にした。手足が凍りつきそうになった時、村落が見え、最初の1軒の戸を叩く。そこには揺りかごのなかの死に行く子どもを心配そうに見つめる父と母と兄がいた。魂をさらいに来る3羽の鳥と戦い破れると、子どもの命が召されるという村の伝説どおりに、最初の1羽を父が、2羽目を兄が破り、そして3羽目はCyprienが格闘しに出ていく。

 20世紀前半、二人の狩猟家が山間の廃屋に辿り着き、水槽に手を突っ込んだ状態の死体を発見する。二人のうち近くの村で生まれ育ったのが、その死体は「キリスト」と綽名され何年か前に失踪した村の狂人だと言う。もう一人の医者が、ここだけの話だが死因は凍死だと告げ、この物語は終わる。


 簡単なつもりで、長くなってしまいました。最後の落ちは正直よく分かりませんでした。とりわけ印象深く面白かった場面は、第2章の「哲学者の集い」と第4章に挿まれた「娘の話」。瞑想にふけっていた哲学者たちが、突如ポケットから盃を取り出し、酒を酌み交わした後、一斉に歌いながら踊り出し、あげくの果てに落ちた入れ歯をめぐって殴り合いを始める光景は、グロテスクで珍妙。また「娘の話」はフランス革命期を舞台にしたデュマ風の幽霊小説の趣きがありました。

 終盤、囚人の語る身の上話がCyprien自身の人生だったというあたりで、これは観念小説だということに気づきました。振り返ってみると、哲学者が戯画化されていたり、半身が焼けただれた少年が登場したり、さらには悪魔の面が取れなくなったことや、ワインの出る廃屋そのものも、すべてが観念小説的な性格を帯びています。

 ただ観念小説にありがちなことですが、現実では辻褄の合わない不可解なことが起り過ぎるのが、説得力がなく荒唐無稽の感を免れないところです。Cyprienはワインだけで本当に22年も生きることができたのか、面が知らぬ間に消えていたのに本当に気づかないものか、黒い扉の後に居た囚人は食べ物や水なくしてどうして生きながらえていたのか、黒い扉の鍵がなぜポケットにあるのに気づかなかったのか。(あるいはこれらは私の読み違えでしょうか)。

 Cyprienは結局森のなかの苦行僧、あるいは中世の村はずれにされた若者(池上俊一『狼男伝説』に解説あり)で、そういう意味では、この作品はフランスならではの変人小説ともいえるでしょう。
 
題名の「目眩く夜」というのは、主人公が呪いから解放される嵐の夜の場面で、雷が夜を輝かせる光景からきているみたいです。

 ジャン=バティスト・バロニアンの序文がついていましたが、それによると、Richaudは若くして才能を認められ、パリに出て華々しくデビューした作家のようで、カミュがその時の彼の作品を読んで作家になる決意をしたということです。その後アルコールに溺れていき、誰からも忘れられていくなかで、他人を拒否し自分を呪うようになり、その人生がこの「目眩く夜」の主人公Cyprienに投影されていると言います。そう考えると、この作品のCyprienにかぶせられた悪魔の面はRichaudの華々しいデビューによる虚栄・慢心を意味しているのでしょう。