:宮岡謙二『異国遍路 死面列伝 旅芸人始末書』


宮岡謙二『異国遍路 死面列伝 旅芸人始末書』(私家限定本 1954年)


 日本人の海外体験を続けて読んでいます。今回は海外で亡くなった日本人と海外で興行した芸人たちの記録。著者は大阪商船勤務の後、別府亀の井ホテル代表取締役を勤めたアマチュアライターです。どこで資料を集めたのか、かなり綿密詳細な驚くべき内容です。


 『死面列伝』では、タイトルも衝撃的ですが、中身も言葉どおり、次から次へと海外で逝った人たちが登場します。死屍累々とはこのことかと思うくらいあまりに厖大な死の数々。死人のオンパレードに、陰陰滅滅となってしまいました。

 文章になかなか洒落た味わいがあります。途中から気障で皮肉っぽい調子が若干鼻につきだしましたが、次のような調子です。「フランスといえば、仏の国と書く、極楽浄土も近かろうなどと、なさけないことをつぶやきながらでかけている」(p2)、「荒浪にいじめぬかれた咸臨丸が、その疲れはてた船体を桑港に横たえて修理中、これは修理のきかない人の命、三人の水夫を、マリーン病院の墓地にうめている」(p76)、「度をこす『金吉』も、はめをはずす『呑兵衛』も、所詮は郷愁の常闇につうじる扉を、死面となってたたくほかはない」(p120)。

 いろんな死に方がありますが、著者は、留学生、外交官、僧侶、軍人、船乗り、移民などの別に章立てて紹介しています。なかでも衝撃的なのは、留学生仲間や移民の仲間うちの殺人、漂流者や軍人の現地の土人による虐殺、移民たちの大量病死、遠洋航海での「かっけ」による死、艦船ごと消失した事件など。病気では海外での過労がたたってか、肺病で次々亡くなっているのと、精神を病んで自殺するパターンが多いことが分かります。

 幕末から明治中期ぐらいまでの人たちで、当時海外へ行こうというからには、ここに名を連ねているのは未来を託された人々だったに違いありません。運命の歯車の加減で、志半ばに斃れた者たちと、ほぼ同じ境遇にありながらその後栄光に包まれた者たちとの対比が胸に迫ります。彼らに捧げる鎮魂歌とも言うべき書と言えます。

 本筋から離れますが、移民についての新しい知見を得ることができました。明治初年から集団移住が始まったこと(グァム島42人、ハワイ島153人)、明治2年初めて北アメリカへ渡った移民は白虎隊の残党だったこと、明治25年にはニッケル鉱作業に600人がニューカレドニア島へ移住していること、明治27年にはフィジイ島の砂糖畑へ送り出された350人が赤痢、かっけ、熱病で次々に死んでゆき、死亡者は耕地で81人に達し、即刻日本に引き揚げるも、船中25人、上陸後も5人亡くなったこと、明治33年ハワイにペストが発生したとき、一部の病家を焼こうとして風に煽られて大火事になり、日本人の罹災者が3,589人にのぼっていることなど。

 他に面白い話として、
慶応三年のパリ万博への使節一行のなかに、備前藩の花房義質という留学生がいたが、正式な渡航免許がとれなかったので、博覧会出品の荷物として箱詰のまま摘みこまれ、三昼夜箱の中で苦しんだという話。
東本願寺西本願寺が洋行合戦をして、東本願寺成島柳北を加えて欧米巡覧に出たのに対抗して、西本願寺もロンドンに派遣した。その途上、キリストの聖地イエルサレムを訪ねた邦人第一号と名乗りをあげているが、肝心の釈尊の霊跡には行っていないというお粗末さ。
当時海外には日本の無宿人が大勢いたこと。紐育ブルックリンの町には、領事館へも登録しない邦人が4〜500人ぐらい巣くっていたという。
ニューカレドニアもフランスの囚人が送られる島だったこと。


 『旅芸人始末書』では、幕末維新期の海外渡航者に、漂流者、外交使節随行者、留学生、芸人の4種類があったと前置きしてから、芸人たちは国費も藩費も使っていないどころかむしろ外貨を稼いでいると、芸人たちを褒めたたえています。また、海外巡業の日本芸人には、世界を相手にして世界に通用する自分の腕を見せようという人たちと、その頃増えつつあった海外在住の日本人を相手に日銭を稼ごうという人たちと、二タイプあることを述べ、分別しながら芸人を紹介しています。

 いろんな海外巡業のあり方が出てきました。いちばん目についたのが曲芸で、ミカド曲芸団を皮切りに、足芸の浜錠定吉、軽業師「薩摩」一座、太神楽(曲芸の一種らしい)の鏡味仙太郎、独楽廻しの松井源水一座ら。芝居の音二郎貞奴、烏森芸妓など。これらは万博出演のついでに各地を巡業するパターンが多い。また変わったところでは、浪花節の前身に当る「浮れ節」語り、馬術指南、南洋方面で活躍した吹矢や覗き眼鏡、日本村・日本式庭園・日本茶屋などの見世物、盆栽展示販売、柔道興行から果ては大相撲まで。邦人相手がはっきりしているのは、義太夫、落語、講談、幇間などの芸。

 初めの頃は外人興業者による海外渡航が多いこと。その後、日本人でも櫛引弓人という国際興行師や、北村組という興行専門の会社が出てきたり、ロンドンに太夫元ができるなどしています。

 川上音二郎貞奴の巡業にかなりの紙面を割いて紹介していますが、これが波乱万丈でとても面白い。ボートで隅田川から舟出をしてみたり、ボストンではイギリス本場劇団によるシェークスピアがかかっている劇場の隣で、同じ演目を即興で演じてみせたり、ニューヨークでも、向うの劇団の上演禁止となったばかりの「サフォー」を上演するなどの豪胆さが功を奏して、人気を博したと言います。アメリカでは大統領と面談、イギリスではバッキンガム宮殿での上演、フランスでは勲章を受章、貞奴がサロンの女王となるなど、桁外れの名声を得ているのが驚き。


 この本は、膨大な資料に基づいて書かれているのは見当がつきますが、学者の書いたものと違って巻末に資料の出所や参考文献が明記されていないのが残念です。興味を覚えてもう少し知りたいと思う人がいてもまたゼロから調べなくてはなりませんから。