:立花種久3冊

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立花種久『獺の日』(パロル舎 1998年)
立花種久『大蜥蜴』(パロル舎 2001年)
立花種久『不明の時間―幻想小説短編集』(パロル舎 2002年)
                                   
 引き続き立花種久の本を読んでみました。これらの本以外に『電気女』『眠る半島』という近作が出ているようですが、未入手。

 創作の基調は前回ご紹介した4冊の本とほとんど変わりません。が前回の本も含め『獺の日』がいちばん構想が複雑で、変化に富んだ短篇が多いように思います。単に町や森をさ迷うだけではなく、いろんな味付けがされています。1995年あたりに書かれた作品がそれで、それ以降の作に期待しましたが、逆に『不明の時間』になると、1篇が短くなり味わいが薄くなってしまっているようでした。

 前回書いたことと重複しますが、やはり主人公の精神状態に際立った特徴があります。例えば、主人公が今日は平日か休日かと考えたりするのは定年後の私なんぞはよく陥る疑問で同感ですが、この場合は勤め人なので、あきらかに酩酊状態にあるにちがいありません。そう思って、酒が出てくる作品はいくつあるか数えてみました。数え間違いがあるかも知れませんが、意外と『獺の日』では15篇中8篇、『大蜥蜴』では10篇中6篇、『不明の時間』では27篇中16篇と少ない。しかし酒が直接出てこなくても、飲んだ後の酩酊が続いているような感じだし、小春日和で眠気で朦朧としていたりするので、基本的に酩酊小説と名づけることができるのではないでしょうか。それでなければ痴呆小説か。

 また作品全体にある種独特の感性が感じられます。例えば仕事をしているはずの平日に酒を飲んで見知らぬ街をさ迷っているというような社会を踏み外した感覚や、酩酊の迷妄状態が呼び起こすマゾヒスティックな世界で、そういう状態が延々と続くのを読んでいると、状況はこれ以上は悪くならないというか、妙に落ち着くところがあります。

 主人公が朦朧としながら、ああでもないこうでもないと複雑に考え込む態度は男性固有のスタイルでしょう。酒を飲んでだらだらするのと併せて考えると、女性には理解されにくい男性の文学と言えるのかも知れません。著者はどういう生活をしている人か知りませんが(たぶん酒飲みだと思う)、こつこつとこうした作品を書き続けているのは尊敬に値します。こんなに自問自答しながら彷徨する場面ばかりを書いているのは、日本文学史上稀有な存在ではないでしょうか。

 『不明の時間』では、先にも書いたように、一篇が短くなってきて、思いつきのような感じもするし、分かりにくくなっているのもあります。落ちがついたショートショートの味わいの出ているものもあれば、散文詩に近づいているようなものもありました。「日暮れる頃」の無謀なタクシーなど、だんだん荒唐無稽になってきた感じもします。

 私の趣味に近づけて言うと、古本屋が登場するのが2篇ありました。「自転車に乗って」と「不明の時間」。「自転車に乗って」は時間つぶしに古本屋に立ち寄る程度ですが、「不明の時間」では古本屋の不気味な雰囲気と古本の魔力が重要な役割を演じていて、古本小説のアンソロジーには欠かせない一篇です。



 面白かった短篇を下記にピックアップしておきます。
◎獺の日→大小の小川が入り混じる茫洋とした風景が魅力的。
○川魚料理→鰻を食べに行こうと、開いているかどうか分からない川魚料理屋に上がり込んで、飲み食いしているとあたりが冠水している。
○短い夏→幽霊譚。友人のいる町を訪ね、一緒に飲むが、その友人は半年前に転勤していない筈。
○魚眠洞→深海魚らしきものを食べさせている居酒屋。怪魚のような女の客が大勢いる。
○笑う水→友人と待ち合わせしたところで、水乞いをする男と出くわす。しかしその男は間違った呪文で、永遠の雨を引き起こしてしまう。
○鸚鵡熱(おうむねつ)→バーで知り合った男のマンションに行くと、鸚鵡熱をうつされてしまう。
○森林浴研究所→彷徨の仕方が複雑になってきた。催眠術や薬物をにおわせる記述もあり。
○釣猫記(ちょうびょうき)→ある屋敷で古書を整理していると、そのあたりで猫を釣るという噂を聞く。それに符合するかのように古文書が出てくるのが面白さのピーク。
◎虫たちの宴→虫の眷属に取り囲まれていくぼく。
以上、『獺の日』
                                 
  
○眠たい町→消えてなくなったという噂の町目指して車を走らせる。かつて仕事で訪れていた町で、いつも最後の1軒は女主人が待っている。だがもう夜でなかなか辿りつけない。
◎その場所→たしか別の宿に泊まっているはずだが、番頭に迎えられ旅館に上がり込んで酒を飲む。そこで酔客と謎めいた会話のうちに、ある場所に辿り着くのだった。
○斜面→温泉街で女と待ち合わせした男、女を待つうちに泥酔して朦朧としたなかで、女と一緒の場面と飲み屋の場面が交錯した末、山上の展望台でもう一人の自分を踏みつける。
○夏の涯→しばらく身をひそめた方がいいというA氏の忠告で、田舎の列車に乗ってとうの昔に廃業したような海辺の宿に泊まる主人公。そのうちA氏とも連絡がつかなくなり、何日経過したかも分からずあたりは草ぼうぼうになるのだった。ベルトリッチ『暗殺のオペラ』の最後のシーンと終わり方がよく似ている。
◎奥山→女を囲っている家に行くために、人気のない駅に降り立ち、途中行きつけの店へ飲みに行くと、客が自分の噂をしているのが耳に入る。家へ近づくと鶏泥棒と間違えられて老人に殴られるが、老人の話ではその家は男が殺され女は失踪し取り壊されたと言う。嘘だと思うならと一緒に行ってみると確かに家はなく、そこで自分が幽霊だということが判る。意表をつかれる結末。
以上、『大蜥蜴』
                                 
  
○夕空晴れて―車中の宴会を抜けて独り途中の駅に降り立った主人公。そこは昔住んでいたところだ。川原で飲んでいたかと思えば、居酒屋に居て、相客が話す夕陽を見に行く舟のなかにいたりする。最後は舟と居酒屋の二つの時空が意識のなかで混ざり合う。
○海坊主―郊外の港町で独り観光船に乗って缶ビールを飲む主人公の耳に聞こえた「海坊主」という言葉がきっかけとなって、どんどん自分が海坊主になって行く様子が描かれる。
○漂う舟―社内旅行でグループからはずれ独り田んぼの畦道を行き、立ち往生するうちに、次第に冠水し、舟に乗ってさ迷う。
○果樹園―夜、まどろみのなかで、昼の楽園を夢見る。それは荒地だが、楽園で、猿や桃の木、池の気配が現われては消える。不思議な味わいの一篇。
以上、『不明の時間』