:Maurice PONS『LES SAISONS』(モーリス・ポンス『季節』)

                                   
Maurice PONS『LES SAISONS』(CHRISTIAN BOURGOIS 2010年)
                                   
 一読驚嘆!世紀の怪作!これは『ビール醸造業館』と並ぶPonsの最高作ではないでしょうか。本の裏表紙に、「この作品はMalcolm Lowry、Julio Cortàzarの読者と同じような熱狂的なカルトに支持されている」と書いてあり、読む前は大げさなと思っていましたが、まさにそのとおり、私もカルトの一員となってしまいました。マルカム・ラウリーは読んだことがないので、一度読んでみよう。

 やはり私の読解力ではところどころ文章の分からない所があり、完璧に読みこなしたとは言えませんが、物語の概略は次のとおりです(ネタバレ注意)。
雨の降りつづける暗鬱な村に、主人公がやってくる。食べるものは豆ぐらいしかない貧乏な小さな村で、冬ともなると雪に閉ざされてしまう。居酒屋の2階に居を定めた主人公に次々と災難が押し寄せる。役人に目をつけられ、村人たちから邪険にされる。村に入ったときに怪我した足の親指が悪化し片足の先を切断することになる。次に凍った鉄に触れたため掌の皮が剥がれてしまい腫れあがる。主人公はそれでもその環境に満足し、またある女性が好きになり小さな幸せを感じている。そんな村に、ある日二人の立派な身なりの輝かしい騎士が現われ、自分たちの国は万年春だと言い白い米を見せて去って行く。村人たちは山の向こうには温暖な土地があると夢見るようになり、主人公の弁舌がきっかけとなって、極寒のなか全員で脱出することになった。が苦労のはてに辿りついた峠で遭遇したのは、同じ思いで登ってきた向う側の村落の人々だった。その時すでに主人公は目玉が凍って盲目となっていたが、双方の村人たちは、怒りの矛先を主人公に向け、動物の骨が積み上げられた場所へ追い詰め殴り殺してしまう。(どうも我ながら拙い概要で、原作の面白さがこれではまったく伝わっていませんが)

 救いようのない悲惨な結末に啞然としてしまいました。グロテスク小説というか汚濁小説、悲惨小説というべきでしょうか。それにしても奇怪、奇矯な想像力が横溢していて、それが生々しく描かれています。浸水した廃屋に岩礁のように坐っている老婆からスカートの奥で温めていた卵をもらい、それを割ると黄身の部分に虫がうじゃうじゃ蠢いていたというところや、村人の男たちが雨量計に向っていっせいに小便をかけ、それを見た女たちが輪になってしゃがみ小便をする場面、冬になると動物たちを体に巻いて暖をとる村人たち、坑道のようなところで動物や人の治療を行っている酔っ払いの医者、痩せた牛が蛆虫の湧いた腐った仔牛を生み、それを村人たちが「腐れ王」と称して馬車に乗せ戴冠式のように雪のなかを行進する場面、笑いざわめく衆目環視のなか寝たままの主人公と交合させるために、二人の役人が女性を抱えて上げ下げし、しかもくっついて離れなくなってしまった二人をそのまま医者の所へ運んで行くところ、氷の壁を、ある者は滑落し、ある者は狂気の発作に駆られて身を投じたりしながらも、14時間かけ登って行く村人たち。

 リアル感が尋常ではない世界。目を閉じると光景がありありと浮かんできます。絵画を見ているような感じ。それもシュールレアリスム的な。あるいは映画にすれば絵になる画面がたくさん作れそうな気がします。現実を眼前に見ているかのように細部が描かれています。日常的な現実の生活を100%そのまま描くというリアリズムなら犬にでも食わせろと思いますが、こういう突出した情景の細部のリアル感を描くリアリズムなら大歓迎です。ガルシア・マルケスは『エレンディラ』ぐらいしか読んだことはありませんが、マジック・リアリズムと近しいもののような気がします。この作品が書かれたのが1965年、マルケス百年の孤独』が1967年だそうですから、ほぼ同時期にマジック・リアリズム的な作品が地球の表裏で書かれていたことになります。

 もうひとつ、描かれている世界ですが、貧しい村で汚濁のなかに蠢く人間たちを見ていると、どこかマカロニ・ウェスタンの風景がよぎってしまいます。鬚もじゃの男たち、貧しいあばら家、汚い食卓、歯を剥きだしにして笑う男たち、よそ者に対する冷たい仕打ち、ゴミ溜、大便、膿など汚いものが次々と描かれています。悲惨さを描こうとしているのでしょうか。足の爪が割れて血が出るというのはキリストの苦難を思わせるところがあります。作家と自称する主人公が、村人たちの審問の場で、創作の秘密を語る場面がありましたが(p87)、そこでポンス自らの創作観が語られているように思いました。それは「恐怖、苦痛を描くことによって美に到達する」という信念です。

 古代の息吹も感じられます。ギリシア以前の村祭りのような土俗的な雰囲気が濃厚です。グロテスクさの中にユーモアが感じられます。それは荒唐無稽と紙一重でもあります(『ローザ』の場合は荒唐無稽に陥ったところが残念)。これはブラックユーモアか、それとも浪漫派的な諧謔でしょうか。まったく読んだことがありませんがラブレーに通じるところもあるように思います(齢を重ねると、読んだ本は忘れる代わりに、読んだことのない本もあれこれ見聞のせいで読んだことがあるかのように錯覚してしまうのが面白いところ)。

 技法としては、『ビール醸造業館』と同じく、ひととおり物語を進めた後、もう一度別の視点から語り直すという手法が取られています。『ビール醸造業館』では絵画の描写でしたが、この作品では、主人公の日誌で、各章の終りに、日誌という形で、それまで語られていたのと同じことが少しアングルを変えて再び記述されています。これで物語が立体的に捉えられることになり豊かで厚みのあるものになっています。

 村を訪れた二人の騎士が米について説明するくだりで、米から作る酒の話をしますが、水のようで寒い時は燗をして飲むというのは、明らかに日本酒のことでしょう。また米から作ったパンは雲のように白くて丸くて軽いというのは、軽いというのが解せませんが、餅のことでしょうか(p183)。