:吉田正俊『潮騒を聴く―英語文化とその周辺』


吉田正俊潮騒を聴く―英語文化とその周辺』(聖文社 1981年)
                                   

 古本屋に通っている皆さんなら、同じ名前で歌集をよく見ることと思いますが、新倉俊一と同様、まったくの別人のようです。こちらの吉田正俊さんは当時共立女子大学の英文学の先生。プルースト研究の吉田城さんは彼の息子さんです(だったと思う)。

 ヨーロッパの文化や英文学にまつわる薀蓄がいっぱい詰まっています。自然や色彩、神話の話題から、英文なぞなぞや早口言葉、アナグラム、字体に至るまで話題が豊富。本人も心がけたと告白していますがやさしい語り口。女子大で教えているせいもあるでしょうか。そういえば木村尚三郎鹿島茂内田樹などもやさしい語り口が特徴です。

 日時計につけられた銘など、面白い話が多かったですが、海外の文献からの紹介という感じで、オリジナルな思考に乏しいのが残念です。それに当時としては新しい知見かも知れませんが、いまとなっては多くの人に語られていてすでに知っている話が多いように思いました。

 それでも、ラビリントスという語のもとの意味が『両刃の斧』であるとか (p68)、シャルトル大聖堂の中央に直径40フィートもある迷路図があること(p70)、コクトーの貝殻の詩と同工のがW・S・ランドーの18世紀末に書かれた長詩「ジービア」にあること(p74)、13世紀スペイン系トルバドゥール詩人セルベリが現代詩とみまごうべき視覚を考慮した不思議な詩を作っていたこと(p218)、ボイコット、リンチという語は両方とも実在の人物の名に由来すること(p254)、?も!もそれぞれラテン語quaestio、Ioからできたらしいこと(p269)など、私にとっては知らない話もあり、新しい知見を得ることができました。


 印象深い一節を引用しておきます。

かつてある雑誌に「哲学的観念的な文章は嫌いである」と書いたら、私の恩師が「君の文自体が君の嫌う文です」と評されました。/p8

→恩師とは福原麟太郎

むかしの人は山なんか美しいともなんとも思っていませんでした。・・・旅をする人の妨げになる大地の隆起物でしかありませんでした。・・・森や山に対する中世人の恐怖心については、ジョン・ラスキンが『近代画家論』で詳細に論じている。/p18

太陽がもどれば、影もまた現われる。しかし人間の全盛期は決して戻っては来ない(日時計の銘)/p80

私たちは客として、また巡礼者としてこの世にいます。しばらく滞在すると、私たちは立ち去ります。(日時計の銘)/p81

しかもこの話(ワシントンが桜の木を折ったと正直に告白した逸話)のおもしろいことは、その桜の木の話がまったくの作り話だということである(ワイルド)/p100

私は誘惑以外のものなら何でも抵抗できる(ワイルド)/p102

大道などで数字を当てる大道芸人・・・目隠しをされた術者には仲間の相棒がいて、二人で符合をきめておきます。・・・ハイ―1、サァ―2、いいですか―3、さて―4、おちついて―5、なんでしょう―6、どうぞ―7、わかりますか―8、まちがえないで―9 見物人が誕生日を26日と言ったら、相棒は、「この人の誕生日はサァ、なんでしょう」と言えばよいわけです。/p121