:CLAUDE FARRÈRE『Fumée d’Opium』(クロード・ファレール『阿片の煙』)


CLAUDE FARRÈRE『Fumée d’Opium』(PAUL OLLENDORFF 刊行年不詳)

 
 昨年パリ古本ツアーでの購入本。立派にルリュールされた本ですが、中の印字がところどころ潰れていて、虫食い算のように文脈から想像して単語を埋めながら読みました。語学の勉強に少しはなったかもしれません。

 文章は全体的には平明で私の語学力でも何とか読める短篇が多かったですが、一篇だけ、ピエール・ルイスが序文でこの作品集のなか最高作と評価している「Intermède (間奏曲)」だけは残念ながら難しくてさっぱり分かりませんでした。

 そのピエール・ルイスの序文は、序文にしては文章が固くなく、話かけるような感じで、読者に早く作品を読みたいという気持ちを喚起させるという序文本来の役割をしっかりと果しています。この序文の話が本当なら、ファレールはこの作品をとある雑誌の文芸コンクールに応募し、6000もの応募のなかから優勝してデビューしたもののようです。

 ルイスがファレールの最初の評価者と自分でも書いていて、「阿片というロマン派以来使い古された題材を新しく塗り替えていて、稀有な想像力、小説技術、文章の美しさ、話術の巧みさに驚嘆した(pⅨ)」と高く評価しています。また単に奇妙な世界だけでなく、さまざまなテーマに対応してまともな世界も描ける能力があるとも書いていますが、まさにそのとおりです。

 この本は、「伝説」「年代記」「陶酔」「乱れ」「幽霊」「悪夢」の六部からなっていて、冒頭の「Les légendes(伝説)」「Les Annales(年代記)」では、古代や歴史の架空の姿を題材に、長大な時間、広大な自然を眺望するような物語が展開されており、ファレールの想像力の豊かさに驚きます。

 「Les Extases(陶酔)」では、自分の阿片体験を中心に、阿片の夢に沈降しながらその作用を観察する諸篇が、「Les Troubles(乱れ)」「Les Fantômes(幽霊)」では現代を舞台にした阿片にまつわる怪奇短篇がまとめられており(「赤い宮殿」だけは「伝説」の部に入れるべきだったのではないか)、最後に阿片重症患者の末路を描く「Le Cauchemar(悪夢)」を据えるという配置になっています。

 読んでいる間、阿片を吸っているような気になりますが、これなら罪に問われないでしょう。ファレールはこれだけ阿片について書いておきながら阿片中毒にならなかったのだろうかと不思議に思ってしまいます。

 ファレールは実際に船員として、アジア各国を航海し、日本にも立ち寄っています。この作品でも、日本があちこちに顔を出します。「Les Pipes(パイプ)」には静御前と狐の伝説が出てきますし、「Le Sixième Sens(第六感)」ではSimonosekiの夕陽の情景が出てくるとともに、阿片を吸わない国としての日本が言及されています。また「Les Bêtes(虫)」では、babaという言葉が安南語で年寄りの女性という意味で出てきましたが、安南語でもババと言うのでしょうか。日本語の婆ゝの間違いではないのでしょうか。上海の話(「Fou-Tchéou-Road(福州路)」)でdjin-rickshawという人力車らしいものも出てきましたが、日本語の間違いではないのでしょうか。あるいは人力車を中国語でもジンリクショと発音するのでしょうか。


 各篇の簡単な紹介をしておきます。◎○は私が感銘を受けた大きさを表わす印です。                                    
「Les légendes(伝説)」
○La Sagesse de l’Empereur(皇帝の叡智)
自然と民と皇帝をめぐる抽象的な物語。一夜の阿片の幻想が邯鄲の夢のように五代にわたる開拓の歴史を垣間見させる。フィルムの早回しのように民が森林を切り開き帝都を作って行く光景が展開される。


○Fai-Tsi-Loung(フェツィルン列島)
お伽話。海洋と断崖にかこまれた湖を舞台に海賊の王と龍王の娘のすれ違いを描く。阿片のもたらす幻想と力の充溢、逆に切れたときの恐ろしい悪夢の描写は凄まじい。


○La Fin de Faust(ファウスト博士の最後)
ファウスト譚の一ヴァリエーション。若さに飽きた博士が悪魔に新たな注文を突き付け、阿片の桃源郷のような所へ独り入って行く。中に入れない悪魔は外で千年も待ちつづけ地獄へ落ちていく。ケシの花の咲く桃源郷の描写が凄い。


「Les Annales(年代記)」
○La Peur de M.de Fierce(フィエルス氏の恐怖)
臆病な男が東洋の丸薬のおかげで、突如勇敢に海戦を戦い英雄として祀られる話。戦艦対戦艦の戦闘の描写が迫真的。東洋の丸薬の渡し役としてサン=ジェルマン伯爵が登場する。


L’Eglise(教会)
夜不注意で教会に閉じこめられた男が真夜中に別の男の儀式めいた仕種を見る。どうやら阿片を燻らしていたようだ。


Les Bêtes(虫)
王女が宮殿を抜け出し娼窟で阿片を吸っているところに、白人たちが押しかけてくる。遣り手婆の機転で難を切り抜けた王女は、中国六千年の尊厳を失った自国を思いながらまた阿片を燻らすのだった。


「Les Extases(陶酔)」
Fou-Tchéou-Road(福州路)
上海の阿片窟で二人の美女と過ごした幸せなひとときを語る。


Les Pipes(パイプ)
所持している五つの阿片パイプの出自とそれにまつわる思い出を語る。


○Les Tigres(虎)
虎の革を敷いた部屋で阿片を燻らしながら、肉体的な愉悦よりはるかに大きく精神的な陶酔をもたらす阿片の魅惑を縦横に語る。


Intermède(間奏曲)
どうやら阿片窟での男女の乱交的な出来事を描いているようだが、難しくてお手上げ。


「Les Troubles(乱れ)」
◎Les Deux Ames de Rodolphe Hafner(ロドルフ・ハフナーの二つの魂)
ジキル氏とハイド氏のように、一人の人物のなかで阿片が介在して二つの魂が相争う物語。平明な叙述のうちに人物の神がかり的な奇矯さがくっきりと語られる。


○Le Sixième Sens(第六感)
ボードレールの面影のある散文詩のようにも思える。男と女の感覚の相違を創り出す阿片の不思議な眩惑を語る。


「Les Fantômes(幽霊)」
Ce qui se passa dans la maison du Boulevard Thiers(ティエル大通りの家で起こったこと)
文字も知らないあばずれ娘が急にラテン語で喋りはじめるという怪異を語る。


○Le Cyclone(台風)
台風の目の中で幽霊船を見る話。阿片患者の話を盛り上げる語りと幽霊船の描写がすばらしい。


◎Hors du silence(沈黙の外)
生きたままの埋葬のテーマ。阿片で耳が敏感になった墓守が、墓地で栽培した阿片を吸いながら、夜な夜な墓地で起こる音を語る。音をめぐるさまざまな経験についての語りが最高で、散文詩のようだ。


◎Le Palais Rouge(赤い宮殿)
散文詩。人間の状態でも、死者の状態でもない、宙ぶらりんの阿片の酔いのなかで、殺戮で血にまみれた古代の王たちの歴史を遠望し、その死者たちが墓からゾンビのように起き上がって歩き始めるのを見る。


「Le Cauchemar(悪夢)」
Le Cauchemar(悪夢)
最後は阿片を吸い過ぎた男の虚無の前に佇んだ姿と、いくら阿片を吸っても消えることのない悪夢を描く。