:ビーダーマイヤーの音楽とは?

 最近コンサートへもめっきり行かなくなってしまいました。生駒市住民の私としては、昨年秋に生駒国際音楽祭へ行ったぐらいで(この時のドビュッシー弦楽四重奏はとてもよかった)、今年はもう少し出かけようかと考えておるところです。

 昨年後半は、ビーダーマイヤー時代に関心が湧きました。ある時代の思潮というものは、文学、音楽、美術の全般にわたって形成されるというように語られますが、ビーダーマイヤーにかぎっては絵画では時代区分があるのに、音楽ではあまり聞いたことがありません。そこで音楽のビーダーマイヤーはどんなものか無理やり考えてみました。

 本棚を眺めていると、ちょうどいい具合に吹田順助『ビーダーマイヤー文化』という本があるのを見つけました。昨年前川道介の『愉しいビーダーマイヤー』を読んだときは気がつきませんでした。一緒に読んでおくべきだった。

 まず、ビーダーマイヤーの特徴で音楽に関係した記述を探してみると、吹田順助のこの本では、「音楽においても、市民的な社交的形式が特に人々から歓迎され、例えばメンデルスゾーンの如きは、多くの男声合唱を作曲した。ドイツの唱歌クラブが方々に設立されたのも、丁度この時代に属する(p33)」とか「ベートーヴェンよりヷークナーに至るまでのこの中間時代においては、大きな楽劇や交響楽はあまり現われなかった。ピアノ曲や四部曲や軽いオペラが、むしろこの時代の好尚に適していた。なおこの時代にはシューベルトシューマン、ジルヒャー、リェーヴェらによって、多くの小曲や譚詩が作曲された (p70)」という記述が見つかりました。前川道介の本にも「貴族やブルジョアは音楽の夕べを自宅のサロンで開催するのを大きな誇りとした(p19)」という箇所がありました。

 ビーダーマイヤーの特徴としてあげられる「心置きのない正直さ(p22)」「つづまやかなもの、静観的なるものへの傾向(p24)」「些細なものへの敬虔(p54)」ということからあわせて考えると、どうやら音楽のビーダーマイヤーはまずシューベルトが代表格なのではないでしょうか。弦楽三重奏や「ロンド」、弦楽四重奏の「ロザムンデ」など楽曲の穏やかでつつましやかな風情や、シューベルティアーデという仲間内のサロンコンサートを開催していたことなどからも。

 話は逸れますが、サロンコンサートという言葉もよく分かりません。不勉強でよく知らないのですが、19世紀の室内楽をさす場合と、1920年代頃のウィーンの舞曲やコンチネンタルタンゴなど軽めの音楽をさす場合とがあるようです。どちらも少人数の聴き手を対象としている点では似ているのかもしれませんが。

 思いつくままに(でたらめに)、年代的なことや、音楽の印象から考えて、ビーダーマイヤー音楽の作曲家を挙げると、シューマンメンデルスゾーンブルッフ、ヴュータン、ガーデ(?Gade)、グーヴィ(Goovy)、ここに時代は遅くなりますがゴダール、ラインベルガーやレオン・ベルマンを付け加えてもいいかもしれません。あと北欧の作曲家たちの小品などが思い浮かびます。

 ヴュータンもゴダールも、ガーデ、ラインベルガー、ベルマンも学校の先生だったようですが、ビーダーマイヤーのモデルになったのもザイデル先生という学校の先生で、学校の先生というのは、ベルリオーズなどロマン派の荒れ狂う芸術家のイメージと違って、ちんまりと堅実なところがいかにもビーダーマイヤー的という感じがします。

 ここしばらくは音楽のビーダーマイヤーを追求してみたいと思います。


 ことのついでに、吹田順助『ビーダーマイヤー文化』(弘文堂 1939年)についての、感想と引用。

 吹田順助の評論は読んだことはありませんでしたが、時代がかった学者然とした硬い文章でまいりました。とくに付録の「クライストとカント哲学」なんぞは何のことがよく分からないまま飛ばすように読みました。

 詩的写実主義者という言葉にはじめて出会いました。ルートヴィッヒ、ヘッベル、ゴットフリート・ケラー、C・F・マイヤー、テオドール・シュトルム、エッシェンバッハらの名前を挙げています(p5)。この詩的写実主義はどうやら文学のビーダーマイヤーと重なるようで、「シュツルム・ウント・ドラング、古典派、浪漫派の系統を貫く非合理主義の流れに属するものであって、時代の進むにつれて、そこに合理主義化が漸次加えられたものとみることができよう(p10)」というように書かれています。

 そのビーダーマイヤーの本流の作家としては、メーリケ、シュティフター、ドロステ・ヒュルスホッフらに加え、グリルパルツァー、イムメルマン、ヘッベル、ケラーらも広い意味で含まれるとし (p26)、ビーダーマイヤー文学の特徴としては、市民的ということを挙げ、この時代に読者層がひろい市民社会にひろがって行ったことを指摘しています(p30)。

 また哲学におけるビーダーマイヤーの特徴として、哲学が僧侶らの手から市民に広く降りてきたという点と、ビーダーマイヤーの蒐集癖の一つの表れとして、哲学史がそれ自身で追及されるようになったという点を挙げています(p81)。

 まとめるのが面倒なのでここからは引用。

急激な社会相の変化のためにしかし、各個人と世間一般とは社会的及び心霊的均衡から拉し去られ、一部の人々はあわただしい世相から面をそむけて、昔のいい時代への追慕に心を傾けるに至り(これはビーダーマイヤーの一特徴となった)さらに他の方面においては、憂鬱症的な世界苦―それは一つの時代病となった―に陥るものがあった/p16

ビーダーマイヤーも元来は主として造形美術もしくは工芸美術に対して用いられていた名称/p21

このザウテル先生が「寡欲なビーダーマイヤー」のモデルとなったのであって、ビーダーマイヤー先生もやはり、村の小学校教員の地位、狭い小さな居室、猫の額のような菜園においてこの世の無二の幸福を認めているのである/p23

かくて外面的に華やかな生活を思いあきらめ、心のうちに理想を守りつ、内面の自由に生き、質素な、求むる所なき生活、家庭の悦びと配慮、親しい友のまどい、静寂と節度との生活をたのしむこと―これこそはビーダーマイヤーの生活理想である/p41

ビーダマイヤーの詩人は自然との調和のうちにこの上もない休息を感じ、郷土の菜園とか果樹園とかの日々の手入れや、毎日の散歩において自然と共感し、或いは徒歩でもって山野をさすらうことを好むのである/p52

ビーダーマイヤーの詩人は子供に対する愛を到る所に示している。多くの詩人はその題材を幼年時代、少年時代の体験から取り来るだけではなく、子供たちもしくは子供らしい聴き手のためにも創作する。そしてその際、自分の、或いは画家の絵をば挿絵として用いるのである。絵画と文学との握手は、この時代の文学における一つの特徴/p61

グリンムらを浪漫家から截別し、ビーダーマイヤーの方へ接近せしめる点は、かれらの人間的本質の簡素と直截性、危げのない自立性及び「些細なものへの敬虔」である。さらにかれらが未来よりは過去の方により多くの注意を向けていながら、それと共にきっぱりとかれらの現在において生きている―浪漫家が過去と未来とに同時に眼を向けていながら、しかしノヷーリスのいう如く、現在においてよりはより多く過去と未来とに生きているのに反して―ことも、截別の一つの目じるしとなるであろう/p90