:パリに関する本二冊

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レオン・ドオデエ堀田周一訳『巴里左岸』(牧野書店 1941年)
ルネ・ドゥ・ベルヴァル矢島翠編訳『パリ1930年代―詩人の回想』(岩波新書 1981年)


 この二冊に共通するのは、パリを舞台にした回顧録というところだけで、回想している内容も文章のトーンもまったく違ったものです。ここで同時に取り上げるのもどうかというぐらいのものですが、読んだ時期が同じ頃なのでご了承ください。                                   

 レオン・ドオデエは、この本を読んで分かったことですが、アルフォンス・ドーデの長男で、医学を学んだ後、王党派に所属して政治活動を行った人物のようです。この本を読もうと思ったのは、そんなことではさらさらなく、巴里左岸というタイトルに惹かれて、古本屋のことでも出ていないかと思ってのことでしたので、期待外れ。巴里左岸の地名を軸にしたドオデエの回顧録です。この前に『巴里右岸』という本も書いているようです。

 まさにフランス的な冗舌体の見本のような文章です。ドオデエの経験に沿って、警察署、裁判所、オテル=ヂュウ病院、ノオトル=ダアム(この辺まではシテ島)、医学校、オデオン座、著者も収監されたサンテ監獄、サルペトリエール精神病院、仏蘭西翰林院(アカデミー)、(緑の服を着た会員に対する罵倒のすさまじさ)、下院(あまり知らない政治家の人物評が延々と続く)などが取り上げられていますが、後半三分の一は自らの政治活動回顧に熱が入って、モンパルナスなどは素通りです。愛児フィリップを謀略で殺された恨みと悲しみがあちこちに出てきました。

 固有名詞が頻出し、また遠い異国の時代も離れた些末な話が多かったので分かりにくく退屈な内容で、これで翻訳が硬ければどうしようもないところでしたが、翻訳が滑らかで、ドオデエ氏の想いが滲み出ている感じがして、その分なんとか読み終えることができたように思います。

 ところどころに出版社や古本屋も出てくるのが救いです。とくにマルセル・シュウォブと友人だったようで、シュウォブがセーヌ河岸の古本屋でカンパネラ『太陽の都』の自筆署名本を見つけた話(p183)や、シュウォブの若い頃住んでいたユニヴェルシテ街の住まいにルナアルやクロオデルが遊びに来ていたこと(p233)、アルフレ・ジャリがアルコール中毒に罹っていてかつ貧乏で、靴のかわりに包装紙を三角に切って紐で結んでいたこと(p258)、バルベエ・ドオルヴィリイの晩年看護したマドモワゼル・レッド(p277)などの逸話は収穫。


『パリ1930年代』の著者ルネ・ドゥ・ベルヴァルも存じ上げませんでしたが、第二次世界大戦前夜のパリの文学運動に加わっていた人で、マックス・ジャコブやレオン=ポール・ファルグと親交があり、アンドレ・ブルトンコクトー、エリュアールとも面識があった方のようです。こちらの方が、私の趣味に近い人物です。

 晩年日本に来て、加藤周一氏や編訳者の矢島翠さんらと交流する中でこの本が生まれたと「序」で加藤周一さんが書かれています。

 この加藤周一さんの序文では、維新後西洋文学の受容に際して、それまでの日本の伝統にまったくなかったものと、伝統にもっとも近いものの両極を同時に見出していたという指摘(p2)など、戦前からの日本の海外文学摂取状況を幅広い視野で把握していて感心しました。以前カッパブックスの『読書論』を読んで、その高踏的態度に嫌味を感じて遠ざけていましたが、何事も先入観で決めつけるのはよくないですね。

 この本の特徴は、大戦前夜パリの文学の活況を自分の見聞の範囲で素直に語っていて、当時の状況が生き生きとして感じられるところにあります。シュールレアリスム運動に満たされないものを感じた若い文学者が東洋的神秘や中世の神秘に惹かれていく様子や、第二次世界大戦勃発時召集を受けたものの何事も起こらない不思議な時間のこと、ドイツ占領下時代のドイツに対する接し方が日常のなかで曖昧に溶けて行く様子などが、印象に残りました。

 フランスロマン主義の作家たちを、ミュッセやラマルチーヌの感傷的ないわゆるロマンチックな作家群と、カゾット、ノディエ、ネルヴァルらの真のロマン主義者たちとに決然と分ける著者の態度に、大学生のころの自分を見る思いがしました。

 この本のなかで圧巻は日本では語られることの少ないミロシュについて書かれた章で、ミロシュの葬儀の思い出に始まり、「デカダンの詩」でポール・フォールの絶賛を浴びて詩人としてスタートし、象徴主義詩人の末裔として活動しながら、仏教や神秘主義へ傾倒し、数々の予言を行なったことなどが述べられています。また著者との親交のなかで、日常生活においても鳥たちの群を自由に操る神がかり的な姿が描かれています。

 サン=ポール=ルーについての章では、戦時中ルーの館に一人のドイツ兵が押し入って、乱暴狼藉を働く場面がありますが、戦争の残酷さ人間の野蛮さ無力さを生々しく伝えていて悲しいものがあります。