:篠田知和基『竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち』(人文書院 1997年)


日本語の本にしては珍しく、読み終えるのに1週間以上もかかってしまいました。神話や伝承研究の素養がないうえに、齢とともに理解力が悪くなったせいか、頭にすとんと落ちません。しかし著者の精力的な冗舌は留まるところを知りません。目まぐるしく話題が次から次に出てきて、結局なにがなんだかよく分からないまま読み終えました。

著者は最後に次のように全体を振り返っています。
「蛇女の物語をできうる限り広い伝承のなかに辿ってみようとした。竜宮の女たちとその息子たち、その成り立ちと運命とを辿ったのである。山姥と金太郎もそこからつらなってきた。桃太郎も、花咲爺の犬も『水界から来る英雄』として、竜の末裔と規定された。それを人間の文化を織りなす女の物語から考えた。はじめは神に仕える機織女である。つぎには竜にさらわれた湖の女である。最後は川から上がる犬である。途中に瓢箪のシンボリスムがある・・・」(p323)

一言でいえば怪作。これは講義録をつなげたものでしょうか。論点が整理されていないような印象があります。いちおう章立てはありますが、各章にわたって同じような話が頻出します。もう少し簡単にまとめられないものかと思いました。これは著者ではなく編集者に責任があります(「機織姫の旅」という序文がありますが、これはおそらく編集者が全体の見取り図をあらかじめ提示してもらおうと著者に書いてもらったものに違いありません。しかし結果は本文と同様冗舌体に終始してしまっています。)

神話の本によくある飛躍の多い断定も一因かもしれません。例えば、「この話の一つの羽後の『鳥の姉御』では、食わず女房になるのは山姥のかわりに産土の杜の鳥である。ということは産土の神そのものと言ってもいい。・・・つまり、食わず女房が蛇や蜘蛛だけではなく、鳥である場合もあるということで、その素性が風を司る女神であるなら鳥でも不思議はない。炭焼き、すなわち鍛冶師のところに福をもたらす異類女房が、蛇、蜘蛛、鳥であるとして、蛇は地下の金属資源、鳥は風と言ったが、蜘蛛は『賢淵』伝承に見るように水中の妖怪でもとは水の神と思われ、また、切れない糸を紡ぐ妖怪としては機織姫ともつながり、糸と鉄のイメージをつなぐものともみなされる。」(p128)というような部分、何度読んでもよく分かりません。


いつになく悪いところばかりを書いてしまいましたが、神話や昔話、伝承の豊富な事例が出てきて、各部分はそれなりに面白く読めました。神話のみならず、著者の得意分野であるノディエやネルヴァル、果てはフランツ・エレンスやペラダンの名前も出てきます。考えようによっては、全体的なわけの分からなさも、神話的混沌を自ら創出し実践していると言えるかもしれません。

かろうじて理解できたのは、例えば禁忌が技術の秘伝に関するタブーだったという具合に、神話の背景には、農耕や鉄、繊維などの技術的な要素が大きくあること、それらに動物象徴が絡み合っていること、また蛇が世界的に太古の信仰の中心にあったこと、神話で語られる蛇と白鳥、竜と馬は実は同じものの別の形だったということなどです。


これらの神話・伝承群を眺めてみると、結局、誕生、結婚、死という人の一生の大きな節目で物語が展開されていること、それに、親族、兄弟、隣人などの人との関係、動物や川、食べ物など自然界との交流、冥界への旅などの要素が混じって、いろんな物語が生まれているというように言えると思います。

 もうひとつ、神話や伝承が作られた時代の人々や社会にとっての神話の意味を探るよりは、現代に生きるわれわれを土台に据えて、個々の神話や伝承が魅力的に感じられるのならなぜ魅力的に見えるのかを追及するほうが大事ではないかと感じました。あくまでもわれわれの感性を追求していくことで、おまけとして古代人のあり方も見え隠れするに違いありません。


印象に残った文章を少し。

犬が「ここ掘れワン」と言って大判小判を掘り出させるのも、竜宮が金や地下資源を生み出すことにつながっている/p15

人身御供と嫁入は本質的には同じなのではないだろうか/p43

小槌でも大槌でも鍛冶屋の槌ないしハンマーに通ずる。金太郎が担いでいる斧は北欧神話の大槌を持った鍛冶神のハンマーではないか/p56

神は多く、乞食の姿でやってくる。それを追い返した長者の家では、一家全部が猿になる。親切に迎えた女はそれで顔を拭くと美人になる手拭をもらい、それを真似た金持ちの女は、手拭で顔を拭いて馬になる。・・・その日始めた仕事がいつまでも続くようにしてもらった女が、洗濯物を畳みだしたところ、いつまでも続いて、大変な物持になる。それを真似た女が、その前にまず用を足してと思ったのが失敗で、裏庭に出てしゃがんだら、いつまでたってもとまらずに大きな川ができてしまう/p131

鳥に姿を変えて夫を探しに出る。姉がその鳥を叩き殺す。その死体から木が生える。姉がその木も切り倒す。夫がそれで洗濯棒を作る。姉がそれを燃やし灰にして、田圃に撒く。そこにいた田螺を夫は拾って瓶に入れる。その瓶の中から田螺が出てもとの女の姿に戻って、家事をしてはまた瓶の中に隠れる。・・・この連続的な変身はフランスの「トレギエの王子」その他、鳥、馬、犬などに次々に変身する話を思わせる/p153

限りなく遠いものとの比較のシステムが普遍的なシンボリスムのメカニスムを開示する(アンドレ・ブルトン)/p285