吉村貞司『原初の太陽神と固有暦』(六興出版 1984年)
吉村貞司『日本神話の原像』(泰流社 1980年)
古代の宇宙論への関心の延長で『原初の太陽神と固有暦』を手に取り、ついで『日本神話の原像』を読みました。吉村貞司は初めてですが、語り口の異様さに驚きました。文学青年風の感情過多の文章で、岡本太郎を彷彿とさせます。生命力を称揚する姿勢には共感しますが、表現が過剰、もう少し節度が欲しい。神話のストーリーを下手な通俗小説的な描写に置き換えて説明しているところは、こちらが恥ずかしくなるくらい。
勢いで書いているために、叙述に論理的な簡素さがなく、重複が多いのが欠点。とくに、『日本神話の原像』の後半では、こちらが日本神話をあまり覚えていないせいもあるが、詳しい説明がないまま神話の物語が引用され、火の神やムスビの神など、神の名がたくさん出てきて頭が混乱してしまいました。調べてみると、著者はドイツ文学から出発して、雑誌の編集者となり、その後大学教授となって日本美術を中心に研究された方のようで、それで通説に囚われない大胆な物言いになっているということが分かりました。ストレートに育ってきた国学者や歴史学者に対抗心を抱いているようにも感じられました。
『原初の太陽神と固有暦』を読んだのは、ちょうど平成から令和に移行する時期で、大嘗祭のことなども報じられていたので、興味深く読めました。この本で主張されているのは、古代の日本は太陽を中心とした世界観だったが、中国から新しい世界観が入ってきてせめぎ合いが生じたということで、それを、いくつかの点から論じています。
①一つは暦で、持統天皇以前は冬至を元旦とする太陽暦を採用していて、新嘗=大嘗=即位式=冬至は一致していたが、中国から太陰暦が導入されて混乱に陥ったこと。
②古代の日本は日の出と日没の東西の線が中心で、その線に沿って、奈良春日山―生駒草香山―旧生国魂神社(磐舟神社、石山本願寺→大坂城)、河内往生院―四天王寺―西方浄土、伊勢―奈良―淡路、法隆寺―竜田神社―住吉大社などいろんな線が引かれ得る。また伊勢神宮は春分秋分の日出日没をつらねた太陽の縦線にぴったり沿って建てられているという。一方、中国では不動の星北極星への信仰にもとづく南北の線が中心であった。
③しかし、直接太陽を祭祀する儀礼や祝詞は今日ほとんど残っていず、一種の太陽祭祀であった八十島祭も廃絶し、天照らすを名乗る神社はたくさんあったが今栄えているのは伊勢神宮を除いてない。かろうじて太陽は黄金に姿を変えて民話などに形跡をとどめている、とする。
他にも、春日一族や日下一族、物部一族、ワニ族などの家系に関する話があったりしましたが、私には正直よく分かりませんでした。私の住んでいる生駒周辺の地名が頻出していたのは嬉しく思いました。
『日本神話の原像』で強く主張されているのは、日本神話が縄文の感性や精神に貫かれているということで、縄文は、血や糞尿にまみれ、恥部をさらけ出し、残忍で非合理な世界であるが、生命の根源に根ざすエネルギーに満ちたものであり、それが原日本的な姿であるとしています。
もう一つの論点は次のようなものです。日本神話の女神は冥界に住み性と死にかかわり合う異様な存在で、主体的積極的であるのに対し、男神はスサノヲを除いて、ごくまっとうな現実的な存在として描かれている。これは現実においても、男が女性のもとへ許されて通うという女性優位の社会であったためで、略奪をもっぱらとする父性系の他国とは異なっていた。そうした母系社会が記紀成立頃から崩れてきたが、中国からの儒教の伝来が原因ではないか、ということです。また、日本神話では、火と水が重要な役割をしていることも指摘していました。
神話的なイメージでは、雷は、「稲妻」というように、稲を孕ませ実らせる男性的なエネルギーであり、雷光がひらめき大地がおののくのは天と地が交接していると考えたこと(p181)。八岐大蛇の八つの頭、八つの尾は太陽の放射状の光線であり、退治されることは、滅び去る古い太陽神を意味していること(p184)。父神が火の神カグツチを斬ってほとばしった血の飛沫の付着したところすべてが燃えるという情景。暗闇の中で岩石が燃え、草が燃え、樹木が燃える(p214)。
面白かったのは、ヘルメース神の神託のあり方で、聞きたいことを神像の耳にささやき、自分で耳をしっかりふさいだまま場外へ出、そこで耳のふたを取り、最初に耳に入った言葉を神託としたこと(p132)、中国では美女の正体が野狐であったり、幽魂であったと分かっても愛の破綻の直接原因とならないが、日本の神話では、女性たちは正体を知られることを全存在の否定のごとき衝撃として受けとめていること(p60)。
ほかにも面白い語源的な話が幾つかあり、こじつけのような気もしますが書いておきます。男を獲得するために、美しく魅力ある女性を餌にして誘い込もうとする。そうした女がオ・トリ(男取)であり、反対語がメ・トリ(娶)になる。女たちはできるだけエロスの魅力を発揮し、男の心をとろかし誘い込もうとした。それがオトリに由来する踊りである(p89)、日本古来の製鉄技術タタラ、この言葉は、タータール族やギリシア神話のダイダロスに至る広いひろがりを持つもの(p186)。
水が重要というところで、「人生は産湯に始まり、死水で終わる」(p267)という言葉が印象に残りました。