荒川紘『東と西の宇宙観 東洋篇』

f:id:ikoma-san-jin:20190415132404j:plain
 

荒川紘『東と西の宇宙観 東洋篇』(紀伊國屋書店 2005年)

 

 宇宙論の続き。この本は、インド、中国の宇宙論を古代から近代にいたるまで解説していますが、宗教思想史のようなところがあり、国の興亡や社会の変遷とともに記述していて、久しぶりに東洋史を勉強し直した気分になりました。

 

 いくつかの論点を大雑把にまとめると、次のようなところでしょうか。

①草原で遊牧的な牧畜の生活をしていたインド・ヨーロッパ語族が共有していた宇宙意識と、肥沃な土地で農耕生活をしていた民の豊饒と生殖力への信仰の対比。ユダヤ教キリスト教イスラム教の天なる神や、儒教の天は前者の系譜上にあり、古代インダス文明ヒンドゥー教老子荘子、陰陽説、五行説は後者の系譜に属する。

②インドの宇宙論の中心にある巨大な高山はヒマラヤ信仰が背景にある。メール山(バラモン教)―カイラス山(ヒンドゥー教)―須弥山宇宙(上座部仏教)と続き、さらに中国の道教における崑崙山にもつながっている。

ヴェーダブラーフマナ老子、陰陽説、初期の五行説などでは、宇宙を生み出した根源のものは水とみなされていた。これに対し、釈迦や荘子は宇宙の創成については問わない態度を表明している。孔子孟子も宇宙についてはまったく触れていない。

④中国では、天が地上を支配していて、旱魃をひき起したりするとされ、その意志を予見できるのが王であった。王は慈雨と豊穣を求めて天に祈る祭祀者でもあり、政治と祭祀は一体となっていた。→これは日本の天皇にも受け継がれた考え方だろう。

⑤釈迦は、輪廻や我の思想を否定する縁起という考えを唱道し、快楽や苦行による解脱ではなく中道の智慧を説いたが、その後の仏教は時代を経るにつれ、上座部仏教小乗仏教)が輪廻の考えを認めたり、密教が苦行を取り入れたり、釈迦の教えに忠実だった大乗仏教においても空の哲学が生まれるなど、形を変え、最後はインドや中国からも姿を消した。(戦後またインドで復活しつつあるとのこと)

⑥数多くの影響関係が推測されている。インドの『リグ・ヴェーダ』の天の神ディアウスはギリシアの主神ゼウスと、ヴァルナやミトラがゾロアスター教アフラ・マズダーやミスラと起源が同じこと、インドの洪水神話はシュメールやバビロニアから伝播したこと、西のエデンの園の観念がアショカ王の時代にインドに伝えられたこと、海上交易のルートに乗ってギリシア時代の天文学とともに占星術がインドに導入されたこと、メソポタミアの地獄がギリシアの地獄や仏教の地下の地獄に影響を与えたこと、西方から影響を受けて古代中国が青銅器や馬車を作るようになったこと、ギリシアプトレマイオスの天体理論がインドのヴィシュヌ派や中国の渾天儀へ影響を与えたことなど。→だいたい中心はバビロニアメソポタミアあたりのようです。

 

 いくつかの面白い指摘がありました。

①初期仏教では、西だけでなく、東や北の方角にも浄土がある考えられていたが、浄土が死後の往生と関連づけられてから西の浄土への憧憬が強まった。というのは、死の地は太陽の没するところにあるのがふさわしいからで、古代のエジプトでも、ギリシア神話でも死後の国は西に想定されている/p99。

②永遠と光明の浄土に住む唯一仏である阿弥陀信仰と唯一神であるキリスト教との類似性。これは極楽浄土とエデンの園の共通性にも見られる/p99。

③インドの上座部仏教の天界である須弥山頂上には、芳香をただよわせる樹木の庭園があり、美女も多くいる楽園があるとされていたが、これはインドの王族の王宮生活から想像された世界/p78。

上座部仏教では数多くの天が想定されていたが、そのなかで最高の天は非想非非想処、別名は有頂天/p82。→ここから来ていたのか

儒教は社会秩序の維持のための倫理を追求する思想であり、道教は個人の幸福を追求する宗教であったので、政治的には儒教を支持し、個人の幸福のために道教を信奉する形が多かった。日本では思想や宗教が国家主導で輸入されたため、反権力的な道教などは排除されたが、仙薬や陰陽寮の形で日本に移植された/p187

⑥インドから中国に仏教が入って来た時、解脱を求める仏教は自然との融合を理想とする道家に通ずるとして、道家の思想をもとにして仏教を受けとめようとした。「空」は道家の「無」として、「涅槃」は「無為」、「菩提」は「道」と訳され、「一切衆生悉有仏性」も『荘子』の「万物斉同」と重ねて理解された/p223

 

 他に、この本を読んでいて思ったことは、道教や陰陽説、五行説に出てくる「気」は、エントロピーの反対概念のネゲントロピーではないかということ。また、東大寺の大仏が毘盧遮那仏であり、空海が中国から持ち帰ったのが密教だった理由は、それぞれ当時の中国で最新流行の仏教が華厳宗であり、密教だったからということが分かりました。なんでも最先端のものを欲しがるわけですね。

 

 最後に、神話的想像力に富んだ魅力のある文章を引用しておきます。

虚空のなかで有情の業の力がはたらきだすことで、風が吹きはじめ、この風が密度を増して、風輪が形成される。この風輪の上の雲が凝集して雨となって水輪が形成され、水からは金輪が生まれ、その上に須弥山をはじめとする九山八海や四洲が出現した(『倶舎論』)/p87

極楽浄土には太陽も月もないが、光の仏に照らされた光明の浄土である/p97

バビロニアでも天は碧玉などの堅い物体からなると考えていた。水を湛えることができるほど天は堅固でなければならないというのである/p200