宮崎興二のかたちに関する本二冊

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宮崎興二『プラトン五重塔―かたちから見た日本文化史』(人文書院 1987年)
宮崎興二『なぜ夢殿は八角形か―数にこだわる日本史の謎』(祥伝社 1995年)


 『プラトン五重塔』を先に読みました。ずいぶん前にタイトルに惹かれて買っていた本。先日読んだ「かたちの文化誌」とテイストが似ていると思ったら、著者は形の文化会の創設メンバーの一人のようです。本のカバーに書いてあるプロフィールを見ると、建築学・図学の大学の先生とあります。内容はとても面白いですが、大学の先生と思えないほど、胡散臭いにおいがします。興味の持ち方がトンデモ科学的と言えば、言い過ぎでしょうか。文章も各章に落ちがあったり、滑稽味に溢れていて、洒落気を誇示するために書いているようにも思えます。幾何学歴史漫談という感じ。あまりに面白いので、『なぜ夢殿は八角形か』を取り寄せて読んでみました。                                          

 このところ、多面体について書かれたものを読んでいるせいか、多面体の小置物が欲しくなって、お店を覗いたり、ネットを見ていますが、鉱石類は値段がバカ高く、また児童用の模型では高級感に欠けるし、また折り紙でもできるようですが、そこまでの根気はなさそうなので、迷っているところです。とくに正十二面体、正二十面体、この本で知った立方八面体、菱形立方八面体、十二・二十面体、菱形十二・二十面体などが好みです。  


 余談はともかく、浅学の私がまず『プラトン五重塔』で知り得た嘘かホントか分からないことをいくつか要約しておきます。
①先生によると、日本の昔の様式には中国から伝わったものが多く、中国の古王朝の想像上の帝王で天と太陽の支配者の伏羲と、地と月の支配者女禍の夫婦が、定規とコンパスのような道具を持って宇宙や中国大陸を作ったという伝説を反映したものがある。例えば、『魏志倭人伝』に出てくる銅鏡百枚の多くには、伏羲と女媧に酷似した東王父西王母が描かれ、大嘗祭に着る礼服の肩の部分には、太陽と月が付いているし、聖徳太子が手に持つ笏も、伏羲の持つ定規の名残である。そもそも伊邪那岐伊邪那美が伏羲と女媧ではないのか。

②インドは、六波羅蜜、六天、六物、六識、六根、六境、六派、六道、六地蔵、六牙の白象、六大(いずれも仏教用語)を信じ、西洋では、七つの教会、七つの霊、七つの燭台、七つの星、七つの角と七つの目を持った子羊、七つの封印、七つのラッパを持った七人の天使に導かれ、中国では、九九九九隅(ぐう)の広さの中に九野がある天と、九州、九山、九塞、九藪がある地とを持つ。それに対して、日本は八を好む。おのころ島の八尋殿に始まり、八百万の神、八岐大蛇、八雲立つの歌、八耳神(やつみみのかみ)、八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)、八千矛神など、古事記は八のオンパレードである。

③木火土金水の五行と地水火風空の五大は、同じ時期にそれぞれ中国とインドで説かれ始めたが、両者には大きな違いがある。五大は図形で表わされるとき五輪ともいわれる。インドから伝わった曼荼羅図では、胎蔵界曼荼羅で、中央の中台八葉院の真ん中にいる大日如来を反時計回りに五大を表わす如来が取り巻いており、また中台八葉院から左、上、右、下の順に地水火風空の五大が表現されている。金剛界曼荼羅でも、中央の成身会(じょうじんね)のなかには、五大が地天、水天、火天、風天などで表わされている。この五大が立体的に表されたのがわが国オリジナルとされる五輪塔である。

④日本では、五輪塔と宝篋印塔は同じころから作り始められ、原型はインドのストゥーパであるが、前者は空海真言密教、後者は最澄天台密教におけるシンボルタワーとなっているようである。宝篋印塔はいったん中国で姿を変えてから伝わったらしく、五行的で、立方体状の台座、球状の塔身、四角推状の屋根の三つからなるので、五輪塔に対抗して三輪塔というべきかも知れない。これは五重塔、三重塔についても影響していて、京都の東寺、醍醐寺仁和寺など古い五重塔を誇るところはなんとなく真言宗的で、逆に滋賀や兵庫に圧倒的に多い古い三重塔を誇るところはなんとなく天台宗的である。

プラトンは宇宙の構成要素として、地、水、火、風の4元素があるとし、そのかたちを正立方体として考えた。三角形がもとになっている三つの立方体のうち、正四面体は小さく鋭いので火の元素、正二十面体は大きく球に近いので水の元素、正八面体は四面体と二十面体の中間なので火と水の中間の風(蒸気)の元素にふさわしい。正方形でできている立方体は安定しているので地の元素とし、最後に正五角形でできている正十二面体は四元素の器である宇宙と考えた。

⑥東洋での立方体についての記述を見ると、中国ではすでに徐光啓の『測量全義』(1631)の中ですべての正多面体の図が初めて紹介されている。この中国の知識がいくらか日本にも伝わったとみえて、松宮俊仍(としの)の著した『分度余術』(1728)ではすべての正多面体の図が展開図とともに掲載されている。正多面体の知識はかなり日本で広まっていたとみえて、久留米の殿様有馬頼徸(よりゆき)が書いた和算書『拾璣(しゅうき)算法』では、図を略すほどになっている。一方、青森八戸で真法恵賢という和算家が正十二面体と正二十面体を独力で発見していたという。

 読み終わってみて、題名は『プラトン五輪塔』のほうが分かりやすいように思えましたが、それでは単純に過ぎると考えたのでしょうか。


 『なぜ夢殿は八角形か』は、『プラトン五重塔』とほとんど同じ内容で期待外れ。おそらく手に入りにくくなっているので、改めて大衆向けの味付けを強めて出版し直したのでしょう。副題に「数にこだわる日本史の謎」とあるように、数字のオンパレードが『プラトン五重塔』よりも激しくなっています。数尽くしの本といえばいいでしょうか。

 『プラトン五重塔』に書いてなかったことで(読んでから少し時間が経っているので、思い違いかもしれない)、重要なことは、五輪塔が下から上へだんだん軽くなる地水火風空の垂直的な順をしていると指摘しているところで、五大が垂直であるのに対し、五行は次のような水平関係にあるとしています。「木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む」という相生と、「木は土を倒し、土は水を倒し、水は火を倒し、火は金を倒し、金は木を倒す」という相克。

 あとは『プラトン五重塔』にもあったような細かな雑知識がいっぱい詰まっていました。万葉集にすでに九九の知識が披露されていること、妙見大菩薩北極星であり妙見宮には北斗七星が飾られていること、京都の吉田神社の屋根の上に正七角形の露盤があること、一階が正方形、二階が円の多宝塔には天円地方の考え方が表わされていること、葬式では四花、四方幕、四本幡、四門などと死体の四方向に飾りつけをするが相撲の土俵はもともとこの四門の四本柱を意味し土俵入りは死者のための悪魔祓いであったこと、第一次世界大戦後の国際連盟で世界共通の新しい暦を制定しようとしたとき、ひと月を二十八日一年を十三月にする案が出たこと、など。

 で、結局、聖徳太子の関係する建物に八角形が多い理由は、前述の古事記以来の八好みに加え、円と正方形の中間の形で東西南北とその中間の合わせて八方向を示し、宇宙のかたちとして古代では重要な意味を持っていたからと著者は書いています。