神話の本二冊

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 大林太良『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』(講談社学術文庫 1997年)

大脇由紀子『徹底比較 日本神話とギリシア神話』(明治書院 2010年)

 

  引き続き神話に関する本を読んでいきます。前回も書きましたが、酒を飲みながら、ギリシア神話と日本神話が似ているという話をしていて、また興味がぶり返して、まっさきに読んだのが『日本神話とギリシア神話』です。この本は初心者向けの入門書の体裁を取っていてとても分かりやすく書かれていますが、内容は充実しています。第一章は、概説に加え神の異称一覧と神々の系統図を配し、第二章では、神の性格に焦点を当て、左ページに日本神話、右ページにギリシア神話というふうに対照させながら解説し、第三章では、神話のテーマに基づいて日本とギリシアを比較しています。

 

 ギリシア神話と日本神話の神同士の比較では、ガイアとイザナミをともに初源の女神として取り上げ、二人に共通するのは「奥さま」の恐ろしさを神格化したものだと指摘したり(p36)、厄災をもたらすが守護神でもあるゼウスとスサノオ(p44)、戦いの守護神と位置づけられるアテネ神功皇后(p56)、春の女神であるコノハナサクヤビメとアプロディテ(p62)、酒と豊穣の神であるが祟り神でもあるディオニソスと大物主(p74)、多くの偉業を成し遂げるが最期は父から離別されるヘラクレスヤマトタケル(p84)、月の女神アルテミスとツクヨミ(p98)、冥界の女王であり大地母神穀物神的な要素も持つペルセポネとイザナミ(p102)などの類似が解説されています。

 

 また、テーマ別の比較では、アイエテス王の金羊毛を盗み逃走するイアーソンを守ろうとして、彼を愛する王の娘メデイアが弟アプシュルトスの体を引き裂き投げ捨て、王がばらばらになった死体を拾っている間にイアーソンを逃がすという話と、イザナギが黄泉の国から軍隊に追いかけられ逃げるときに、身につけたものを投げるとそれが山ぶどうや筍となって追っ手を足止めしたという話が呪的逃走のテーマという点で共通していること(p167)、大地と農業の女神デメテルが、馬に変身した弟のポセイドンに犯され激怒して洞窟のような所に隠れてしまったので穀物が取れず世界が飢饉となり、日本では、太陽神アマテラスが弟スサノオの乱暴狼藉に怒り洞窟に隠れたので世界が真っ暗になるが、両者ともに卑猥なダンスで元に戻るという点が類似していること(p173)の二つが印象的でした。

 

 また恥ずかしながら、いろいろ知らないこと(あるいは忘れていたことかも)を教えられました。例えば、日本の「天皇」という語は古代中国の北極星を神格化した「天皇大帝」から作られたこと(p14)、皇族以外の身分から皇后となった初めての女性は仁徳天皇の后イワノヒメであること(p58)、「イオニア海」、「ボスポロス海峡」(「牝牛の渡り場」の意)という言葉は、ゼウスがイオを牝牛に変身させた時、虻が刺すので、ヨーロッパからアジアへ逃げようとして海を渡ったことに由来すること(p61)など。

 

 

 『神話の系譜』はいろんな専門誌、学術誌に掲載した論文をテーマ別にまとめたもので、上述の本に比べると、複雑で分かりにくい。範囲は中国、朝鮮、北方ユーラシアからインド・ヨーロッパ、東南アジア、オセアニアと世界中を網羅しているうえに、テーマも各種あり、その例がまた多すぎて食傷気味、頭がごちゃごちゃになってきました。もう少し咀嚼してほしいとは思うが、こうした丹念な資料の読み込みのうえに、著者の主張が展開されているので無視もできません。著者による「原本あとがき」と「解説」(田村克己)が全体を俯瞰していて分かりやすいので、こちらを先に読んだ方がいいかも。

 

 世界中でこんなに似た神話がたくさんあるというのは不思議です。民話についても、一か所にあった話がどんどん伝えらえて広まって行ったという伝播説と、同じ人間の考えることだから話が似てくるという普遍説(と言ったかどうか忘れた)がありましたが、神話についても同様のことが考えられます。しかし細部にわたって何か所も類似してくるとなると伝播としか思えません。

 

 いくつかの共通するモチーフを列挙すると、日、月が神の目であるというモチーフ(p12)、洪水神話(p25、p247)、失われた釣り針型の話(p100、p210)、見るなのタブーを破ったため夫婦が離別するというメリュジーヌ型ないし豊玉姫型の話(p100)、天界の代表者たる男と水界の代表者たる女とが結婚しその子あるいは孫に地上の支配者が生まれるという構造(p114)、王権の根源が天(p114)または海(p116)にあるという考え、あるいは土中よりの始祖出現モチーフ(p127)、穀種漂着モチーフ(p129)、性器損傷(p136)、二人の当事者の一方が称することが真実であるか否かを試すモチーフ(p143)、天上他界観(p145)、天地分離神話(p205)、死体化生(ハイヌヴェレ)型の作物起源神話(p222)、若木迎えや柱祭の儀礼(p225)、呪石のテーマ(p275)、石を取るかバナナを取るかと言われてバナナを取ったために人間は死ぬことになったというバナナ型の死の起源神話(p291)など。他にもまだまだありますが書ききれません。

 

 著者はまた一見似ていなくても、構造を比較することで類似の点が見つかると主張して、別地域の神話の構造を克明に比較していますが、素人なりに考えて、あまり意味があるとは思えないこじつけのような気がするところがあります。また似ているからどうなのかと言いたくなるところもあります。

 

 田村克己が解説で、自分が神話を研究するようになったきっかけとして、「肉のかたまりのようなものが切り開かれて人間の形をとるとか、首がころころと転がり最後に月になるとか」神話の内容の奇妙さに惹かれたと正直に告白していますが(p299)、私もそういう興味で神話の本を読んでいます。

 

 いくつか紹介しますと、

姑から辛い水汲みの仕事を命じられた貧しい女が、白髪の老女から桶を叩くとすぐに水で一杯になる魔法の棒を与えられるが、怪しんだ姑が魔法の棒を盗んで桶を三度叩いたところ、水は溢れ出たが水を止めることを教わらなかったため全村が水中に没し姑も溺れ死んだという話(江蘇省南京)(p27)→デュカスの「魔法使いの弟子」と似ている。

爺と婆が背中合わせで合体していたために、お互いに顔も見たことがなかったが、神さまが哀れんで稲妻となって二人を割り、以後子どもを作ることができるようになって、子孫が繁栄したという話(山形県真室川)(p53)→爺さんと婆さんに子どもができるとは。

治水工事の名手の禹は工事中は熊に変身している。妻がその姿を見てしまい恥ずかしくなって、崇高山の麓で化して敬母石となってしまった。禹が「わが子をかえせ」と叫ぶと、石が破れて子どもが生まれたという敬母石の伝説(『漢書』)(p63)、同様の話として、息子に王位をうばわれたクマルビが、息子に対抗できる怪物を作ろうとして、巨大な岩と交わって精液を流しこみ、岩が孕んで全身が閃緑岩からなる棒のような形の子どもを産む話(ヒッタイト神話)(p67)がある。

釈迦と弥勒ともう一神が最初の一組の人間を作ったが、夜のうちに何もせずに灯火に火を点し、水鉢に植物を生やすことのできるものが人間に魂を入れ守護霊となれるとして、三人で夜番をする。二人が眠り釈迦が目覚めていると、弥勒の前の松明に火がつき植物が生えているのを見て、その火を消し水鉢を自分のと入れ替える(モンゴル・ブリヤート族の神話)(p141)→釈迦がインチキをするとは。

班孟が墨を口中に含んで噛み砕いて、広げた紙に向かって噴き出すと、墨汁はみな文字となり、紙いっぱいの文字が自然に意味のある文章となった(『神仙伝』巻十)(p143)。

以上『神話の系譜』より。

 

トロイア戦争で大勝利をおさめた後、オデュッセウスの船は「ハス食い人(ロトファゴイ)」の国に上陸、至福の忘却に酔いしれるというハスの実を食べた水兵たちは、帰郷のことをすっかり忘れてしまう(『オデュッセイア』)(p130)。

丹後国風土記逸文では、浦島太郎の亀が「五色の亀」として登場、浦島太郎が舟に亀を乗せそのまま寝ていると、亀が突然他に類のないほど美しい女の人に姿を変え、その亀と太郎が結ばれる(p150)。→こんなパターンもあったか。浦島次郎の出てくる話は知っているが。

以上『日本神話とギリシア神話』より。

 

 ところで、ずいぶん以前から、神話について書かれた本を読んでいますが、いくら読んでも、神の名前や物語の筋が頭に残らないのは、困ったものです。